ハードSFの書き方18「ラプラスの悪魔と地球外少年少女」
「決まっている未来」
これが気になる。「地球外少年少女」という面白いアニメが地上波で放映中だ。現時点で人類が慣れ親しんでいる次元は3次元とか4次元だが、宇宙の基本は11次元なので、次元が違えば「起こったこと」を「起こらなかった」ことにする、のようなストーリー展開も可能になる(のかもしれない)。悪い結果が起こった、が、それを何らかの形で変更できるならば全力でよい結果になるようにみんなで協力して変更しよう!のようなストーリーだ。
ただ、未来=過去、過去=未来のような方程式が満たされない条件では、そもそも「決まっている未来」つまり、どうしても起こってしまう未来(つまりは「過去」と同義)という状況はそう簡単に受け入れられるものではないだろう。どのように決まっているかはわからないが、決まってはいる(例えば、どのように死ぬかわからならが、いつかは死ぬ、死んでしまうという未来はいわば「決まっている」ことになる、という意味で:これを「不明瞭な決定論的未来」と呼ぶ)、ということが言いたいわけではない。上記アニメではこの「不明瞭な決定論的未来」について語っているわけではないだろう。逆に「明確な決定論的未来」についてのことだとおもわれる。
この明確に決まっている未来、はカオスの立場からも量子力学の不確定性原理などからも否定される。これは11次元の世界観を持ってきても同じことだ。11次元になるといきなり因果律が破れる、というわけのわからない理屈は排除したとして、「本質的に未来は決まっているものではない」(個人的意見なのかもしれないが)。
当然ながら、11次元なのだから時空を超えて、通常の世界の意味での「過去」や「未来」に存在する者と情報のやりとりができるのだ、というのは何となくあり得るのかもしれない、と多くの人が思うだろう。が、そこで問題なのは、これは大問題なのだが、理由が不明なのだ。何の理由?
もっと読みたいという読者のために書いておくと、「理由」とはこういうことだ。11次元ならば、いつでもどこでも過去や未来が改変可能という前提が成立するのであろう。そうですよね?そして、いったん起こってしまったことは起こらなかったことにはできない、という前提も成立するであろう(多重宇宙論だろうが並行宇宙だろうが、同一世界線ならば)。(1)まず第一に改変可能だとしてもそれは別の世界線の話であって、起こってしまった世界線の延長線上ではやはり起こってしまったことが原因になって次の結果を生む、という因果律が延々と続く。どの世界線を改変したくて行動しているのか理由が明確ではない(2)いつでもどこでも改変可能なら、例えば、上記アニメの2030年前後あたりの世界を改変するのではなく、もっと前とかもっと後とか、いつでもいいはずなのに、なぜその時代なのか?について理由が明確ではない。
「不明瞭な決定論的未来」について:すべて起こり得る物理現象はすべて起こっている、ただし今、自分が存在している宇宙ではその確率の1つが起こったに過ぎず、起こっていないようにみえる現象もどこかの宇宙で起こっている、と仮定すれば不明瞭ではなく、明確に起こっている決定論的未来(宇宙)といえなくもない。ただし、完全に確率的な物理現象で、かつ、ほとんど無限大分の1ぐらい小さな確率の現象までもどこかで起こっている、というのは受け入れ難い。
確率の話:宝くじ、1億人に1人だけ当たる、とする。当選する確率はかなり小さい、だから起こらない、という意味ではない。必ず当たりくじがある、という前提のもとに1億人に1枚ずつ配れば必ず誰か1人だけ当たる、ということが起こる。上記ほとんど確率的に起こらない現象、というのは「必ず起こる」という保障がない。