「わたしの課題ではない」という考え方
「推し」という言葉ができたのはいつごろなのでしょうね。わたしがその言葉に出会ったのはここ数年のことで、世間でいうところの「推し活」とわたしが思う「応援道」は、似ているようで少し違うなぁと思ったのです。
そこから思いがめぐりめぐって、題名にあることを書いてみたくなりました。
応援をしていて陥りがちなのが、心を寄り添わせすぎることです。「推し」の活躍を見たり思いを知ることで、嬉しくなったり力をもらったりしているうちはいいのですが、どうやら苦しくなったり辛くなってしまったりもするようです。
推しの出番が少ない
推しの歌割りが少ない
推しの不調に心痛める
推しの境遇に怒りが込み上げる
そんな時には、
「これは推しの人生の課題であって、わたしの課題ではない。」
と受け止めるとよいと思います。
その上でどう応援したら良いのか(それがわたしの課題)を考えるのです。
エールを送り続けること。
どんな時も応援していることを表明すること。
絵に描く。詩を書く。素敵な画像を撮る。
うちわを作る。タオルを掲げる。
グッズをあれこれ買ってみる。などなど。
自分のできることを考えて、それをする。
人生は、それぞれの翼をもったもの達が、それぞれの力で己の空を飛び切ることだと思っています。
いっ時同じ空を共に翔けたとしても、並翔している相手を支えることは容易ではありません。
声をかけ、見守って、ときにはゆっくりと速度を揃えて共に飛ぶことはできたとしても、翼を動かし続けるのはそれぞれなのですから。
推しが苦しい時の応援は、少しでも上向くための気流を起こすことです。それは純度100%の「愛」が成すことでしょう。
そして、そのことは推しの心に力をもたらして、思う以上の助けになるとわたしは思っています。
付け加えるなら、過度な心配は相手の力を信じていないこととも言えます。
推しには苦境を打開する力があると信じて、ポジティブな気配を送り届けたいものです。
これは、子育てにも通ずることなので、これから子育てに向き合う方々には、推し活を通してさまざまなことを考えるとよいのでは?と思っています。
我が子に勝る推しはいませんからね✨
喜びは格別、苦しさも一層ですからねー🔥
推しがいる人生は豊かです。
考え方ひとつでより幸せになる推し活を、楽しみながら続けていきたいですね🌸
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