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1か月半を振り返って

今回は、これまでのTOUCAの取り組みを軽く振り返りながら、残りの1か月半で何をしていくかについて以下の項目に沿って書いていこうと思います。

・2週間の出来事(今回は1か月半)
・そこから学んだこと
・地域に対して抱いている課題
・今後やりたいこと

1か月半の出来事

これまでの出来事はインスタやTwitterを中心に発信してきました。
そんな中で間違いなく言えることは、
この1か月半は人生の中で一番濃い1か月半だったということです。甲子園期間といい勝負。

とりあえずそんな濃ゆい1か月半を分かりやすくお伝えするために、2つに分けて振り返っていきます。
※インスタグラムの内容と被る部分がありますがご了承ください。

①社外研修(企業訪問、川下り体験など)

柳川は観光地として、特にうなぎと川下りが有名です。

でも、それに劣らないくらい豊かな土地と作物も魅力的なんです。広大な干拓地にはいちごぶどうといった果物をはじめ、大豆なんかも多く採れます。

鶴味噌さんの工場。大豆が波うってます。

この周辺の田んぼは、一年の間に麦と米を入れ替えて育てる、いわゆる二毛作が行われています。

教科書で勉強したことはあっても、リアル二毛作を見るのは初めてでした。

柳川の麦畑。綺麗すぎて、この上に寝転びたいくらい。
(写真提供:御花ブライダル担当 田中さん)

日本一の干満の差を持つ有明海からはめちゃうまな海苔が採れます。
海苔美味しいとか感じたことない僕ですが、そんな僕でも分かる美味しさです。さすがやね。

干潮の有明海。


古くから「お殿様の御屋敷」としてこの地に根付く御花。

そんな御花が、料亭や宴会場、そして観光地として今も残ることが出来たのはこういった柳川周辺の恵みを生かす人がいたからこそなんだと気付かされました。

そんな中、皆さん共通して語っていたのは

「伝統や文化を残すためにも、新しい取り組みは不可欠。」

ということ。

農園の存続に向けて日々奮闘されている
立花家17代の民雄さん

いくら伝統伝統って言っても、誰にも見てもらえず途絶えてしまいましたでは話にならない。かといって本質を見失えば、それは伝統でもなんでもない。

こういった部分が、伝統とか文化財のむずかしいところだな。と御花に来てからよく思うようになりました。

②社内研修編(現場研修、歴史を学ぶ)

御花では、社外に出て企業を訪問したり、文化に触れたりするだけでなく、ちゃんと働いたりもしてました。

初日、御花の社員の方と初の顔合わせ。
立花家史料館の館長、植野かおりさんから教わる
立花家の歴史
フロント
サービス
スチュワード
予約事務所
御花の施設管理といえばこの人。スーパー志岐さん。

ここまでがっつりサービス業で働いたことがない自分にとって、一つ一つの所作や言葉遣いに気を使わなければならないのは正直疲れます。

その分、「いつも利用していたお店とか宿泊施設で働く人ってこんなにも大変なのか!!」って思うことができたり、

従業員の方が自然と体現されているホスピタリティは、普段から目配りや気配りが意識せずともできているからなんだなと感じたりできていることは、めちゃくちゃ学びになっています。

☝ゴールデンウィーク中にはこんなことをつぶやいていました。

③沖端水天宮祭編

上記のことと並行しながら、地元のお祭りにも参加してました。

右手前で棹持って漕いでるのが僕です。
まさかハッピ着てごりごりに祭りするとは思いませんでした。

これはTwitterやインスタでたくさん発信してきたのと、書こうにもバカでかい量になるので、今度またまとめてnoteにしていこうと思います!!

そこから学んだこと

学んだこと、感じたことはつい先日のnoteに書かせていただきました。まだ読んでない方は、こちらも併せて読んでいただければ幸いです。


地域に対して抱いている課題

これに関してはいくつかあります。
柳川での生活を通して、歴史の長い御花だからこその課題、柳川の課題いろんな課題が見えてきました。

その中でも一番大きいのかなと感じているのがこの問題。

御花と地域との距離が、コロナを経て離れつつあるということです。

ここで言っておかなければならないのが、あくまでも1か月半を通して感じた僕の主観です。ということ。だけど、僕自身が地域のお祭りに参加したり会話に入る中で、こういった声が聞こえてくることは確かでした。

以前の御花は、自由に人が立ち入りできるみんなの庭という感覚だったそうです。

写真提供:ちゃんぽんが看板メニューの“きよし食堂”の大将(中央下)

現在、御花は国指定の文化財ということもあり、以前までの使い方、使われ方を見直しています。

でも、その見直しがどんな意図をもってどんな風に進んでいるかということを、地域の人はあまりよく知らないということが問題の原因になっている。のではないかと感じています。

今後やっていくこと

そんな状況を踏まえて、残りの日数でやっていこうとしていること。 

それは、新聞づくりです。

懐かしいですよね、新聞づくり。
多分世の中のほぼすべての人は学生の時に何らかの新聞つくってきてると思います。僕自身、新聞づくりは中学生の時以来です。

ちなみに両親は新聞の販売センターで働いてます。
年末は兄弟で配達とか手伝ってます。

なぜ新聞づくりかというと、地域の人は御花のことを意外と知らないし、同じく御花に働く人も業務に追われて地域のことを知る時間が無い

お互いがお互いのことを知ることが第一歩だと考えました。


次に、なぜ新聞という媒体を選んだか。
それは、地域の人に確実に届ける必要があったからです。

柳川に住む人が一番確実に見る媒体、それは市報です。

僕も大学で新田辺に住んでいた時に必ずポストに入っていました。

学生のころは軽く目を通すか通さないかくらいでとらえていた市報。話に聞くところ、「柳川の人は必ず読む」「市内に宣伝するなら市報」という声があがるくらいです。ちゃんと読んでおけばよかった。

侮るなかれ、市報。

ということで、今後は自分が見てきたことやこれから聞くことを、地域と御花に発信していくことで双方をつなぐハブの役割になることを目指します。

今回も、ここまで読んでいただきありがとうございました。これからの取り組みも楽しく発信していけるよう頑張っていきます💪('ω'💪)

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