~柳川の人に聞く~ Vol1.古賀穂弦さん(喜よし食堂)
前回のnoteでもお知らせしたように、これまでいろんな人と出会ってきた僕が「改めてお話を聞きたい!」って人や「こんな人にもお話聞いてみたい!」って人を取材する新聞を書くことになりました。
その名も、「すがわらばんも」
※すがわら×かわらばん×柳川弁の〜ばんも(意:〜ですよ)(なんそれとか言わないで。恥ずかしいから。)
この新聞は、自分のような“よそもん”にも「柳川面白い!」って思ってもらったり、
あとは、柳川の人が気づいていない柳川のいいところを“よそもん”目線で知ってもらったりできればいいなと思って作りました。
※取材や文やイラストは僕が担当しましたが、その他のレイアウトなどは御花の敏腕デザイナー竹中氏に手がけていただいております。
☆この記事の最後にPDFを貼っております。
記念すべき第一回はこの人。
喜よし食堂の“大将”こと古賀穂弦(ほづる)さんです。
お顔もさることながら名前もかっこいい。
大将との出会いは、5月3日から5日まで行われる沖端水天宮祭の準備にて。自分のような外部の人間をすんなりと受け入れてくれて、「なんて優しい方なんだ、、」と感じたのを覚えています。
大将は4人兄弟の長男に生まれ、15歳から両親の後継ぎとして漁師になります。
25歳の時に結婚し、奥さんの家業だった食堂と漁を5年ほど続けるも不漁が続き食堂一本に。
奥さんが亡くなった時に店を畳もうか悩むも、街の人の声に応えるべく、メニューをちゃんぽんとうどん・そばに絞り再開しました。
そんな喜よし食堂は、現在も町の人にも観光客にも愛される、沖端になくてはならない存在となっています。そんな大将に、僕が気になっていることを色々と聞いてみました。
―「喜よし食堂って、なんで喜よし食堂って名前なの?」
「喜よしの“喜”は亡くなった嫁さんのお父さんの名前からとったって(嫁さんから)聞いとるよ。“よし”は分からんったい。」
そうだったのか。。
何を隠そう、僕ははじめ大将のことを「きよしさん」だと思ってました。
だってきよしって名前っぽくないですか、、?
お恥ずかしい。
そもそも喜よし食堂が始まったのも、大将のお義父さんに先立たれたお義母さんが子供3人を養うためだったとのこと。そんなストーリーが名前の裏側にありました。
―「柳川の好きなところは?」
「やっぱり綺麗な風景がよかね。お堀に月が映るとことかも好きよ。」
意外とノスタルジックな回答に驚きましたが、僕もそれは同じ意見。お堀なんて見たことも聞いたこともなかった僕にとっては、余計素敵な風景に感じます。(昼もいいけど、特に夜の沖端が好きです。)
「いろんな観光客も来るしね。特に若い女の人のファッションとか、流行を感じられるのも。」
大将、さすがすぎるて。
流行に敏感なところは僕も見習うべきと感じました。
―「さいごに。御花の思い出は?」
「20代のころはよく行っとったね。漁から帰ってきたら必ずってくらい。」
当時御花には“一番館”と呼ばれる建物の中に喫茶店が。22時までの営業で、コーヒー一杯分の値段で何杯でもおかわり可能。まちの人のたまり場だったそうです。
「待ち合わせの時間に間に合わん時は長靴で行きよったよ。」
と今では考えられない思い出も。
外部から来た僕は、御花に対して「格式高い」「柳川が誇る文化財」というイメージだったため、余計意外に感じました。
もっと昔は藩主家、伯爵家のプライベートな別邸だったこともあり、一般の方が入れるのは年に何度かだったそう。御花にも色んな歴史があるんだなと勉強になります。
犬の散歩中に出会った女性にも「御花にコーヒー飲み行かん?」と誘いをかけた大将。その結果見事ゴールイン。犬と御花が無かったら喜よし食堂も無かったかも…?
喜よし食堂の詳細はこちら↴
※この記事は今度沖端に向けて発行する「すがわらばんも」内の記事と同じものです。
次回発行は7日予定です!\(°∀° )/
実際の新聞はこちらから!⤵︎⤵︎⤵︎
取材、文、イラスト:菅原颯太
デザイン:竹中逸人