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22 中原中也『芸術論覚え書』(読書録、400字)
体の内とも外とも言いにくい感覚が全体的にぷっくりと膨れ上がり、破裂する気配もしぼむ気配もなく「充実」という言葉が浮かぶことなく私は私自身が球であると同時に球である私の観察者であった。「体験」と「観察」が分かれているともくっついているとも言えなかった。では何をしていたかというと、ただ単に球であった。
中也はたしか、こう言っていたーー「これが手だ。」と言う時に、「手」と発語する直前まで感じている〈手〉。それが感じられていればよい。
私は寝っ転がってスマホでそれを読んだが、その画面を開いて引用していない。「たしかこう言ってた」という感覚で、今、書いた。引用したらいけないとまでは言わないし、それはそれで良いところもあるのだと思うが、中也のこの発言について、「引用以外は認めない。きちんとコピーペーストするか、書き写すべきだ。」などと言ったら、間違いなく、中也は泣く。もしくは、激怒するだろう。明らかに、中也は、そういうことを言っている。
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