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ペンギンの島と人の欲

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”富は海水に似ている。飲めば飲むほど渇く。名声についても同じことが当てはまる“『幸福のためのアフォリスメン』より

ショーペンハウアーという哲学者はこのように述べたそうです。
富、名声、人の欲とはそれぞれ色とりどりで果てしなくて限りないですよね。際限はなく満たされることなく常に何かを欲しがり飢えている。


皆さんはスマホゲームをしたことありますか?特に放置ゲーム。私がやっているのはペンギンさんを集めるゲームです。ペンギンの島っていいます。ただペンギンが可愛いなって思って始めたんですけど。するとペンギンさんが仕事をしはじめてお金を作ってくれるようになるのです。有難い!そのお金を集めて更にペンギンさんを増やすことが出来るのです。しかもペンギンさんはお金を作るのをもっと増やしたり、お金を増やすのに使えるハートをくれたりします。有難い!


お金を集められるようになると、ペンギンさんだけではなく、ペンギンさんの仕事場を買う事が出来るようになります。ペンギンさんの仕事場が増えればお金をもっと得ることができるようになり、もっと多くのペンギンさんを買えるようになります。しかも敷地が増えるので買えるペンギンさんの種類が増えるようになるのです!有難い!


となるとお金を集めようとします。最初お金はゴールドとだけで記号はついてなかったんですけど、お金を1000ためていくとAという単位がつきました。つまり1Aは1000ゴールドですね。そのAをいくらか集めて仕事場を開拓していきB集められるようになりました。Bは1000Aです。最初はAだったのにBも集められるようになったのです。嬉しい!またお金を集め仕事場やペンギンさんたちを買っていきます。そしてC、D、E、F………と。ペンギンさんの数が10、20と増えてきます。正直もう何匹も同じ種類のペンギンさんがいるんですよ。でも買うんです。お金やハートが増えるから。仕事場も買います。バンバン買うようになります。


買うとどうなるか。バンバンお金が入ってきます。お金をいかに効率よく入手していかに莫大な財産を築き上げいかに早く仕事場を開拓しいかに早く最後まで辿り着けるか。作業の様にアプリ内の操作をこなし、どんどん莫大な金の単位を裁いてきました。今の生産できる単位はTです。Aからどのくらい離れているかはABCの歌を歌ってみると分かります。先ほども述べたように大体アルファベットが変わるには1000ほど集めなきゃいけません。そう思うとTってどんな数値だか分かるでしょうか。途方もない単位のひたすら繰り上げをしたわけです。ペンギンの数も5,6匹で喜んでた私も70匹所有しています。ペンギン以外の生き物も沢山います。

これが普通の会話の中で言うのならただの戯れた自慢であるのでしょうが、冒頭の話もあり、自慢話ではないことは分かっていただけるでしょうか。

私は最初に比べて膨大な富を得ていると思います。AからTまで。TをAに換算したらとんでもない数です。しかしそれで私は満足していると思いますか?ペンギンの数も比較するまでもなく大量に手にしています。それにペンギン以外の生体も沢山手に入っています。でもお察しの通り満足はしていません。


何故なら上がまだあるからです。Tの次はU、その次はV、Wとまだ続いていくのです。まだ見ぬペンギンや生体だって山ほどいます。まだ私は稼がなければなりません。まだ膨大な富を得たところでまだ私は上がある限りこのゲームで立ち止まるわけにはいかないのです。次があります。このゲームをコンプリートする日まで私は作業を続けるのです。


所で私ってなんでこのゲームはじめたんでしたっけ。


私は最初、ペンギンが可愛いなと思って始めただけです。そこにそれ以上の感情はありませんでした。でも気が付いたらいつの間にかペンギンなんてまったく目にもくれず膨大な数に膨れ上がる金の変動を楽しんでる自分がいました。目に入っているのは数字だけです。


思うんですけど、これってゲームの中だけの話ですか。


私はこれってゲームだけの話じゃないと思うんですよ。お金持ちになりたい人が居て億万長者を目指すとします。でも億万長者になった頃にはさらに上の兆の資産を持つ人を目指すんじゃないでしょうか。Aしか持ってなかった私がTまで引き上げてもUやVの財産を作るのに必死なように。


多分ですよ、お金持ちになりたい人ってお金を稼ぎたいって理由じゃなかったと思うんです、私みたいに。私がペンギン可愛いなって思って始めたようにお金に困らず生きていきたいとか、憧れの車が買いたいとかほかの目的があって目指すと思うんですよ。


でも多分お金に困らなくなってもさらに困らないようお金を貯めたり、憧れの車を買ったとしてもまた別の車買うことを目指すんじゃないでしょうか。私が別の種類のペンギンを手に入れるためにお金を稼いだように。そして何十台も所有し車を買う事が当たり前になって、いつか車を本当の意味で見ることはなくなるのかもしれません。私が70匹もいるペンギンを見なくなったように。


たかがスマホゲームだけど、私はここに人間の尽きることのない欲望を自分を通して見出す事が出来て、可愛いデザインなゲームなだけにぞっとするのです。

これが人生ならやめることはできません。一生、金を作ることに必死になり、数を追いかけ満ちることのない莫大な数を追いかけることになる。何故なら自分の生活と人生が掛かってるからです。それに加え自分のステータスを確立するための配偶者や車、仕事や地位や名誉。様々なオプションも求めていくと思います。

そしてそれらを得た後は失う事を恐れるようになるでしょう。配偶者が浮気しないか、仕事をクビにならないか、ライバルに追い抜かれないか、家が災害で壊れないか、株価が下落しないか、財産を奪われないか、車に傷が付かないか。

所有するってそういう事なんだと思います。

父親も、母親も、世間の人も、多くの人も富や名誉を築く事が幸せだと考えています。ただ、それを追って一生あのゲームをしてる最中のような妙な焦燥感やどこか満たされない気持ちを抱えたまま生きるのであれば、私はそういう人生は送りたくないと思うのです。

スマホゲームなら最後までやり切れればすっきりするのかもしれません。しかし人生にクリアはありません。際限は一切ない世界です。世界一の金持ちになったところで金メダルを取った選手が自己更新記録を目指すように、さらに自分の上を目指すことになるんでしょう。

そんな人生を送り、死ぬとき報われますか。死んでもいいって思えますか。ゲームをまだ終わりを迎えてないのに突然取り上げられて不満は出ませんか。まだクリアしてないじゃん。それを現実の世界でまだ億の財産を築き上げてないじゃん、あの車をまだ手に入れてないと文句を言いながら死ぬんでしょうか。


人生には「富」や「名声」が飲んでも飲んでも満たされない海水なのだとすれば私たちに必要なものは「果て」ですね。限り、すえ、終わり、際限。

生に死という終わりがつきものなのは、何にしても「果て」というものが必要だからでしょうかね。