見出し画像

悪役令嬢は逆ハーエンドの夢をみるか?

電子書籍【乙女ゲームの悪役令嬢にまた転生したので、推しの虚弱ラスボスを今度こそ全力で救います!】発売記念のSSになります



その日、久々の休日をもぎとったフローライトは、久々に市場へ買い物に来ていた。
(あぁ、お休みって素敵……!)
 馬車を停車場に待たせ、軽やかに街中に降り立ったその時。
「フローライトか」
 突然声をかけられ、フローライトは慌てて振り向いた。この声は――
「殿下?」
 ちらりと見ると、曲がり角の街灯の下に、ブライアン王子が佇んでいた。お忍びなのか、平民のような服を着て、手には花束をもっている。彼は微笑んで当たり前のように話しかけてきた。
「まさか君に会うとは。面白い偶然だ」
「殿下は街へ何を?」
「いや……エミリエンヌと待ち合わせていてな」
 やはり。花束を見てそう予測していたフローライトは一歩引いた。
「デートの邪魔になってしまいますわね。私はこれで」
「いや、待ってくれ」
 ブライアンはフローライトを呼び止め、一輪の薔薇の花を差し出した。
「え? これは……」
 戸惑うフローライトに、少し照れたようにブライアンは微笑んだ。
「特に意味はない。ただ……君にも花をあげたくなったんだ」
 どうやら他意はないらしい。フローライトは素直にそれを受け取った。
「ありがとうございます、殿下」
 軽くお辞儀をし、薔薇を眺める。真紅の花びらは、まるで天鵞絨のように艶やかだ。
「……君はもう、俺を名前では呼んでくれないのだな」
 少し寂し気なその声を以外に思いながら、フローライトは苦笑した。
「私たちは、もう婚姻のようなつながりはありませんが――これからも、志を一つにした仲間ですわ」
 この国を、平和に運営していく。ブライアンもフローライトもエミリエンヌも、その点ではきっちり足並みがそろっている。
「だからこれからも、殿下夫妻ともどもよろしくお願いいたしますね」
「ああ」
 ブライアンはまだ何か言いたげだったが、フローライトは彼を残して目的地へと向かった。
(そう、今日こそ、シグルに影猫パンケーキをつくってもらうのよ……!)
 
 どうせなら、文化祭で作ったものよりも豪華仕様がいい。そう思ってフローライトはわざわざ自ら足を運んで、材料を買いにきたのだった。チョコレートはもちろん、お酒に漬け込んだ真っ赤なドレンチェリー、銀色に固めた粒砂糖、それに色鮮やかなシュガーフレークたち。製菓店の店先で、フローライトは迷っていた。
(どれも可愛いわぁ……そうね、でもこれにしましょ)
 そう思ってドレンチェリーに手をのばす。しかしその時横で、そのチェリーをかっさらう手があった。
「あっ……」
「あれっ、フローラ?」
 鮮やかな黄緑の髪に、大きなゴーグル。チェリーを手にしたマッドオーブがぽかんとフローライトを見ていた。
「マッド! ここで何してるの」
「何って、お菓子買いに」
「そんなの研究室にたくさんあるでしょう」
 お小言を言いかけるフローライトに、マッドはへへへと笑う。
「でもたまには外で買い食いしたくなるっていうか」
「……まぁ、わからないでもないわ」
「そう? ならいっしょに何か食べにいこうよ!」
 マッドがフローライトの手を掴んで走り出す。やれやれと思いながらもフローライトは彼のペースにすっかり呑まれ、一緒に真ん丸のお菓子を頬張っていた。なんの変哲もない丸パンの切込みに、固く泡立てた生クリームがみっしり詰まっているお菓子だった。
「美味しい。初めて食べたわ」
「マリトッツォ、って言うらしいよ」
「あら初耳」
 そう言いつつももぐもぐ食べるフローライトを見て、マッドが無邪気に笑う。
「フローラと2人きりなのって、もしかしてはじめて?」
「あ……それもそうかも」
 マッドは地面に目を落として、少し恥ずかし気に言う。
「いつもカールか、最近じゃシグルが一緒だからね」
 フローライトにとって、マッドは最初からなんだか弟のような存在だった。だから気負わずに微笑んでうなずいた。
「たまには二人でこうしているのも、いいかもしれないわね」
 するとマッドは、じっとフローライトを見て目をほそめた。
「……それって、どういう意味で?」
 少しシリアスな、見た事のない表情。しかしフローライトは嬉し気に提案した。
「え? 言葉通りの意味だけど……そうだ、今度一緒に秘密のカフェに行かない? タルトがとっても美味しいお店なのよ! マッドならあの美味しさ、わかってくれるはず」
 マッドの肩が、なぜかがくんと落ちる。そして苦笑して言った。
「そうだね。考えとく。 じゃ、俺は先に行ってるね」
 身を翻し去ってしまったマッドを見送り、フローライトは目的のものを買い込んでお店を出た。
(あら、けっこうな荷物になっちゃったわ)
 もう寄り道せずに、まっすぐ帰ったほうがいいかもしれない。そう歩き出したフローライトの前に、ふっと立ちはだかる人物がいた。
「あの……ライザーさん」
 そこには、フローライトを罵倒した青い髪のフィルが立っていた。
「あら……奇遇ですわね。どうかされましたか」
 なんだろう。たまたま街中で見かけて、またフローライトを責めるつもりだろうか。しかし彼は、突然フローライトに頭を下げた。
「文化祭の時は……その、すみませんでした!」
 殊勝な物言いに、フローライトの眉が顰められる。
「あの時の自分は間違っていました。あなたのその後の活躍を見て、それに気が付きました」
「いえ、そ、そんな……」
 いきなりそんな事を言われても、ちょっと困る。
「あなたは裏で、学院の魔術研究を守ろうとずっと尽力されていた。それなのに僕はっ、自分のつまらない思い込みで――っ」
 声を詰まらせた彼に、フローライトは慌てた。
「まってまって、そんなに気にしないでくださいませ」
 けっこうな激情派なのかもしれない。そういえばエミリエンヌの対する思いとストーカーじみた行為も、彼は他の男性とは一線を画していた。
「過ぎたことはけっこうですわ。私は隠密に活動していましたから、むしろ誤解されるのは上等です」
 フローライトは彼を落ち着かせるため、威厳をもって彼に言いはなった。
「ですからあなたは、これからも学園でご研究を続けてくださいませ。それが一番、あなたのためにも、周りのためにもなりますから」
 フィルの揺れる目と目が合い、フローライトは最後ににっこり微笑んだ。あなたに敵意は持っていません――という表明のつもりだったが、なぜかフィルは次の瞬間、ぽっと頬を赤らめた。
「あ、あ、ありがとうございます、ぼぼ僕――」
 なんだか厄介な事になりそうだ。そう思ったフローライトはその場を去ろうと足を踏み出した。
「では私、急いでおりますのでこれにて」
 追ってくる彼の目線を避けるように、さっと人込みにまぎれ裏路地へと入る。馬車を待たせている停車場まで、ここからだとちょうど近道だ。
「よし、今度こそ帰……っきゃ!?」
 ガッと腕を掴まれて、思わず悲鳴が出る。しかし相手は、ぱっとフローライトから手をはなした。
「ふぅ~ん、君がシグルの」
 あなたは……と言いかけて、フローライトは言葉を失った。
 しっとりとした紫の髪。間違いない、あの日シグルのかわりにサーペントから寄こされた魔術師だ。
「わ……私に何か御用ですか」
 震えまいとしつつキッと彼を見上げたフローライトの顎に、彼の手がかかる。
「たしかに美人だけど……サーペントを捨ててまで……?」
 フローライトは混乱した。最後は小声で聞き取れなかった。
 とりあえず、フローライトは軽く目礼した。
「お、お褒めいただきありがとうございます……?」
 すると紫の髪の男はぽかんとしたあと、あははと笑いだした。
「ははっ、なんだそれ。褒めてなんてないし。君面白いねぇ。天然?」
「そ、そんなことありませんわ」
 すると彼は、すっとフローライトに顔を近づけた。まるでキスするような距離。
「ねぇ、結婚式はいつ? 俺の事も呼んでよ」
 笑っているのに苦し気なその目を見て――フローライトは彼の気持ちに気が付いた。女なら誰しも身に覚えのある感情が、その目には浮かんでいたからだった。
(嫉妬の色――シグルではなくて、私に)
 この人、シグルが好きなんだ。フローライトは次の瞬間、ぎゅっと彼の手を握っていた。とっさにごめんなさいという言葉がでかける。でも、フローライトはそれを飲み込んだ。
(謝るのは――失礼だわ。この人の気持ちも、私の気持ちも、自分だけのものなんだから)
 だからフローライトは、深呼吸してから告げた。
「お呼びしますわ。あなたがそれを――望むのなら」
「え?」
 今度は、彼の方が困惑した顔をした。
「来ても来なくても、招待状、お送りしますね」
 真面目にそう言うフローライトから、彼はぱっと離れた。
「あは、俺が誰かわかってて言ってるの? だとしたら君はそうとうバカだな」
「……そうですね。でも、送ります」
 きっぱりとそう言い切ったフローライトに、ふふっと彼は笑みを漏らした。
「住所も名前も知らないのに、どうやってさ」
「あ……」
 彼が正面から、フローライトと向き合う。
「いいよ。招待状はいらない。なんとなく――シグルの気持ちがわかったし」
 そして少し切なげに顔を歪ませた。
「もし、君と学院で出会っていたのがシグルでなくて俺だったら――どうなっていたのかな」
 そう言って、彼の姿は掻き消えた。転移魔法だ。
「待っ――」
 結局、名前も何も、わからなかった。
 フローライトはため息をつきつつ、停車場へと向かった。そしてはぁとため息をついた。
「そう、俺がカール。ライザー家お抱えの魔術師さ。ね、一緒にこの馬車に乗って今から出かけない?」
 馬車に身をもたせかけて、カールが女の子を口説いている最中だったからだ。
(まったく、もう! 今日はなんて日なの)
 フローライトはつかつかと馬車へと向かった。
「ごきげんよう。カール、その馬車でこれから私帰りますので、それはできかねますわ」
「おおっと」
 ごめんごめん、とかなんとか調子の良い事を言って、彼は女の子を帰した。そして悪びれずに言う。
「ちょうどよかった! 俺たちものせてよ」
「は? 俺たち?」
 馬車の影から、弟のミケが顔を出す。こうなると、無碍にはできない。
「あらまぁ……じゃあ、お乗りなさいな」
 3人を載せて、馬車が出発した。カールが残念そうに言う。
「あーあ、今の子可愛かったのになぁ」
「口説くのなら、自前の馬車を使ってくださいませ」
 ツンとそう言うフローライトに、まぁまぁとカールは笑う。
「ごめんってぇ。あ、今夜だけどこの馬車借りてもいい?」
「まったくあなたって人は! どれだけの数の女の子を口説けは気がすむの」
 少しは落ち着きなさい――と説教しかけるフローライトに、カールは少し拗ねたように、怒った流し目を向ける。
「俺が落ち着かないの、誰のせいだと思ってんのさ」
「はい?」
 しかしその時ミケが慌てて口をはさんだ。
「そっ、そうそう、今日はシグルさんが、みんなにパンケーキを焼いてくださるんですよね?」
 その聞き捨てならない言葉に、フローライトはすぐさま反応した。
「皆に?」
 帰ったら、今日は二人きりで過ごす予定だったのだが。しかしミケはにっこり嬉しそうに笑って言った。
「今朝シグルさんが、そう言っていたんです。おやつの時間に間に合えば、僕の分も作ってくれるって!」
 ミケは、助手のような形で研究室や学院をいったりきたりしている。その彼に無邪気に頼まれれば、シグルも当然――
(うん、って言っちゃうわよね)
 仕方がない。フローライトはため息をついたあと、彼に向かってほほえんだ。
「それは楽しみね」

 帰ったら結局、いつものメンツでおやつを食べる運びになっていた。ミケとマッドオーブが嬉しそうに、そしてカールはどうでもいい顔をしつつも、皆でシグルのパンケーキができるのを待っている。
「まだかなっまだかなっ♪」
「楽しみですねぇ、シグルさんってすごい器用だから」
「まぁたしかに、おっそろしいほど手先が鋭敏だよなぁ」
「ミクロン単位で魔力の調整できるやつなんて初めて見たよ! 俺よりやばい!」
 3人があれこれ話している声を聞きながら、フローライトは研究室備え付けのキッチンでシグルを手伝っていた。
「シロップとってくれ」
「はい」
 チョコレートやシロップでパンケーキをかざりつけ、みんなのお皿ができあがる。いそいそと運ぼうとしたフローライトを、しかしシグルは呼び止めた。
「フローライト」
「なに?」
 シグルが身体をよせて、すん、と息を吸う。
「……誰と会ってた?」
 フローライトは内心ぎくっとした。
「えっ、今日は市場にいったから……いろんな人に会ったのよね」
「ふぅん……」
 シグルはフローライトを探るように、短くなった髪を弄びうなじに触れる。
「っ!」
 突然首筋に、ぴりっとした痛みが走る。ちゅ、と音がして彼が顔を離した。
「な、なにをなさるんですの」
「……マーキング、かな」
 そう言ったあと、ホイップのたっぷり乗ったケーキを一口、フォークで差し出す。
「ほら」
 フローライトはさからえず、甘くてふわふわのそれを口にした。
「どう?」
「おいしい……ですわ」
 フローライトが素直にそう言うと、シグルは再び、フローライトの耳元の唇を寄せた。
「次の休みは……お前だけに作ってやるから」
 きゅんと胸が跳ね上がる。しかしフローライトが答える前に、彼はさっと身をかわしてもうパンケーキの皿を手にキッチンから出ていた。
(もう……ずるいんだからっ)
 婚約者になっても、シグルがたまに見せるこうした姿に、ドキドキさせられっぱなしだ。もし、どんなイケメンが現れて甘い言葉を囁こうとも――正直言って、フローライトの眼中にはシグルしかいない。
 フローライトはシグルを追いかけ、そのお皿を半分運ぼうと手をのばしながら、仕返しした。
「次の休み、ぜーったい近々取りますからねっ」
 小声でそう伝えると、シグルはかすかに、笑った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?