見出し画像

現代版「おじいさんの時計」

先日、祖父が亡くなった。その時のことを将来の自分のために書き残しておこうと思う。

祖父の遺品整理をしていた時、埃にまみれた古い腕時計を見つけた。銀色の文字盤に細かな傷、擦り切れた革のベルト。時を刻む音さえ、もう止まっていた。

手に取ると、不思議と祖父思い出が蘇ってきた。畑仕事の合間に時計を覗き込む姿、日曜の朝、正確に7時になると起き出す習慣。そして、私が小学生の頃、日曜日にお昼過ぎまでだらけていると「時間を大切にしなさい」と諭してくれた日のこと。

昭和30年代、高度経済成長期の真っ只中に買ったこの時計。当時はきっと、憧れの品だったのだろう。祖父の人生と共に歩んできたこの小さな機械は、今や博物館に展示されてもおかしくないほどの代物だ。

時代は移り、今や誰もがスマートフォンで時間を確認する。けれど、この古い腕時計には、デジタルでは表現できない温かさがある。祖父の人生哲学が、この時計に宿っているような気がした。

私は静かに時計を掌に乗せ、りゅうずを回した。カチカチと音を立てて、針が動き出す。
「まだ、動くんだ」
思わず声に出した瞬間、目頭が熱くなった。

時は流れ、人は去る。けれど、大切なものは確かに受け継がれていく。

その日から、私は祖父の古い腕時計を身につけ始めた。最初は単なる懐古趣味のつもりだった。しかし、日々の生活の中で、この時計は思わぬ影響を及ぼし始めたのだ。

出勤時、電車の中でふと腕を見る。液晶画面ではなく、アナログの文字盤。時間の流れがより実感として伝わってくる。「あと10分」という数字の羅列ではなく、ゆっくりと動く分針が、時の重みを教えてくれる。

会議中、スマートフォンを取り出して時間を確認するのとは違う。さりげなく腕を返す仕草は、相手への配慮にもつながる。祖父が大切にしていた「人との付き合い方」を、この時計が自然と思い出させてくれるのだ。

休日、公園のベンチで本を読みながら、ふと空を見上げる。雲の流れと時計の針の動き。ゆっくりとした時間の流れに身を任せる贅沢さを、久しぶりに味わった。

しかし、この時計との生活にも、戸惑いはあった。精度は現代の基準からすれば良いとは言えない。重要な約束の時は、スマートフォンで二重確認する必要がある。電池交換も頻繁だ。それでも、この「不便さ」が、かえって私の生活にメリハリを与えてくれているような気がした。

この時計は単なる懐古趣味の対象ではない。過去と現在、そして未来をつなぐ架け橋なのだと。祖父の思いを受け継ぎ、さらに次の世代へと伝えていく。そんな大切な役割を、この古い腕時計に担ってもらうことにした。この時計には時を超えた旅に出てもらおう。

時代は変わり、技術は進歩する。けれど、人の心の奥底にある大切なものは、形を変えながらも受け継がれていく。私はこれからも、この時計と共に歩んでいこう。そしていつか、誰かにこの時計を託す日が来るのかもしれない。その時、この時計と共に刻んできた私の思いも、確かに伝わっていくことだろう。

きっとスマホを託しても面白くないだろうし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?