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一人で生きている - 集団から離れた自尊心

 昔、わたしが20代の頃に友人が「俺は一人で生きていける」とよく語っていた。友人は元自衛官で自衛隊を辞めたあと地元には戻らず、同じように辞めた仲の良い同期とともに大阪で生活していた。中学や高校生の頃に勉強の出来や進路のことエリートの父親と反目しあうことが多かったらしく、自立や独立ということに対しては色々思うところがあったのだろう。
 その話を受けて当時のわたしは、言わんとすることは分かるけど山籠りでもしないかぎり結局社会の人々の助けやインフラに頼って生きているんでないか?と思った。
 だが今になって改めて考えると、確かに商取引や契約を利用するだけで集団に依存しないという意味では一人で生きているし、移動の自由、集団への参入・離脱の自由があり生きるための資源を共有しなければたしかに根本的に誰もが一人だな、友人の言う通りだなと思う。

 「一人で生きている」という認識が自立しているという考えが他者や集団の価値観を退けて不可侵で揺るぎない自尊心を持つことに繋がる。それは自分は自分、他人は他人と利害を異にして協調性を欠く原因にもなりえるが、また一方で他人が自身の価値観に基づいてどれだけ「私が優れている、お前は劣っている」と主張しても気に留めず「俺は一人で生きているんだから関係ない」と張り合うことがなくなるかもしれない。
 わたしは最近集団内での無駄な階級闘争について問題意識を持っていてよく考えているが、「一人で生きている」という認識が上手く働けばその無駄な階級闘争を減らす鍵になるかもしれないと期待している。

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