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性別に関する違和感について

私は小学生の時、いつも外で男の子と走り回っていた。
私は運動神経が良くなかったから、チーム戦になると、いつも足手まといだったけど、単純に楽しかったから遊んだ。あと周りの友人が優しかったから、いつも一緒に遊んでくれていた。
(男の子と走り回っていた、と書いたが、もちろん女の子もいるし、小学生の時の私はあまり男女とか気にしてなかった。)

今も昔も私はめちゃくちゃ泣き虫で、ドッジボールで球が当たっただけで、泣いていた。痛くてじゃなくて、当たったことに悔しくて、そして、こんなことで泣いてしまう自分が悔しくて。私は周りに心配されたくないから、涙を隠していたけど、たぶん周りにはバレバレだっただろう。それでも仲間に入れてくれたんだなぁ、と今思い出してほっこりしている。


私は小学生の時からずっと強くなりたかった。当時読んでいたこち亀の男性より強い婦警たちの姿に憧れていたのかもしれない。私は温厚なので、喧嘩をしたことは無かったが、パワーで男性に勝てないという事実それだけで悔しかった。
きっとこれは、スポーツを極めている人のほうが感じることなのかもしれない。

私の弱いところは、この悔しいが行動に移らないところだ。
「悔しい。でも女だから仕方ない」なんて感じ。

私は、この「女だから仕方ない」をちょっとずつ高く積み上げてしまった。
今あるのは、女性であることに対するコンプレックス的なもの。

自分を守るために作ってきた言い訳が、自分のアクションを妨げる壁になってしまっていた。

もちろん私は、性別以外の壁も作ってきてはいるけど、いまはとりあえず、分かり易い性別の言い訳から。

男の人のほうが面白い。
男の人のほうが仕事ができる。
男の人のほうが熱く語れる。

勝手にこんなステレオタイプを作って、自分を守って、自分を傷つけてきてしまった。

よく考えてみれば、「その男の人って、誰?」って話で。面白いかどうかとか、ヲタクかどうかとかって、個人によってグラデーションで違うわけで。
上記のステレオタイプなんて、意味がない。
改めて、文字に書き起こすと、良く分かる。うん、意味がない。
自分のために作った世界観が、自分を苦しめている。うーん。なんとしたことか。これが皮肉ということか?
あとこういう価値観が、結局差別につながる。他人にも牙をむく。とおもう。


だからといって、私は「女性であることが嫌で、男性になりたい」とかではない。

なんというか、シンプルに女性であることを個性として受け止められるというか。そういうフラットな目が欲しい。


まとめると。
自分の不変の属性を言い訳にしていると、その属性がコンプレックスとなり、自分を苦しめる。自分の持っているモノを人と比べずに、まっすぐ捉えて、「武器にしよう!」ってしたほうが、自分に優しい。

うーん。
なかなか、言い訳ばかりしてしまうけど。
少しずつでも、こういうのを取っ払っていけたらいいな。

以上。

#コンプレックス #差別とか #言い訳していいわけ ? #恥ずかしいこと #未熟者

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