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忙しくてバタバタしている人こそ素晴らしい理由

さて、一昨日くらいの気づきから

グンっと考えが深まって発展してきています。

目下、最大のキーワードは

「目の前の人の喜びに貢献する」。

ぼくね、

仏教とか武道にかぶれていたんで、

「無我の境地」

というものに憧れがあったんです。

無我、無私、無為自然…

忘我の境地、明鏡止水…

それは

「厳しい修行」の果てに

たどりつける境地なんだと。

で、その「悟り」の境地に

たどりつくと「スゴイ人」になるんだと…

でも、それは大いなる勘違いでした。

「無の境地」

は「いまここ」にあったんです。

そしてぼくらが「無になる」

というのはゼロになることじゃない。

「何もしない境地」というのも

ダラダラ過ごすことじゃない。

ぼくらが「無私」「無我」「忘我」の状態になるとどうなるか。

それは

「目の前の人に喜んでもらいたい」

という気持ちになるんです。

で、

「どうやって目の前の人に喜んでもらおうか」

ということばかり考えているから

「私」というものを、自然に忘れてしまうんですね。

つまり

「忘我の境地」

というのは修業して求めるものではなく、

「目の前の人に喜んでもらう」

ということを極めていった結果として、

「なってしまう」

ものだったんです。

だから「無の境地」というのは、

たとえば家族を捨てて

瞑想などの修行をすることではなく、

むしろ家族や友人との関わりを通じて

「我を忘れて、その人を大切にする」

というところに極意があるのだと気づきました。

だから

「忙しすぎて自分のことをする時間がない」

という方は、もはや悟りの境地に近づいているのです。

現代社会では

「自分の時間がない」

というのは悪いことのように思われがちですが、

実は「人のために自分の時間がない」

というのは素晴らしいことだと思うのです。

まさに「無私」「無我」…

道元の言った

「自分を知るというのは、自分を忘れるということだ」

その実践をしているのが、

いま、誰かのために忙しいあなたです。

お子さんのお世話、仕事、親の介護…

じぶんの時間が取れないことって、あります。

けれども、そんなときにこそ、

あなたは最高に輝いている…

誰かのための喜びのために

自分を無にして働く尊さは、誰にも真似できないものです…

今日も、ありがとうございます。

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