COVID-19パンデミックのはじまりとひろがり

第2回

 中国湖北省の省都・武漢市は、人口1100万人を超える中国でも有数の大都市であるとともに、北京、上海、広州、成都といった他の大都市とのあいだを高速鉄道が走り、国内外を結ぶ国際空港をもつ交通の要衝である。

 2019年12月30日、この街で多数の肺炎患者が発生しているとの報告が、中国国家衛生健康委員会にもたらされた。翌日には、中国疾病予防管理センター(中国CDC)が武漢に調査研究チームを派遣。2020年1月5日付の世界保健機関(WHO)の速報によれば、12月31日までに41人(のちに104人に訂正)、の肺炎患者が報告された。この時点では原因は不明で、人から人への感染(ヒト−ヒト感染)もまだ確認されていなかった。

 同センター調査研究チームのレポートによれば、12月27日の時点で、重症肺炎を発症し武漢のある病院に入院していた患者3人のうち、1人は49歳の女性、1人は61歳の男性、もうひとりは32歳の男性であった。49歳の女性は武漢市内にある華南生鮮卸売市場の店員で、12月23日に37〜38℃の発熱と咳せき、胸部不快感を感じ、4日後には症状が悪化(ただし熱は低下)、CT検査の結果肺炎と診断され入院した。61歳の男性は、頻繁に生鮮市場に出入りしていた客だという。12月20日に発熱と咳の症状があり、その後7日間症状が改善されず、さらに2日間にわたって悪化したため、人工呼吸器を装着した。患者は武漢市内にある華南生鮮卸売市場の関係者・客がほとんどだったため、市場は1月1日に閉鎖された。


閉鎖された武漢市華南海鮮卸売市場の正門付近の様子(2020年4月)。中国新聞網より

 年明けになると患者は急増し、1月11日には武漢市当局から最初の死者が発表された。華南生鮮卸売市場で食品を仕入れていた61歳の男性で、9日に重症肺炎を原因とする呼吸不全で亡くなったという。

 一方1月7日までに、中国CDCのチャン・ヨンチョン博士らによって、肺炎を発症した感染者の気管支肺胞洗浄液からこれまで知られていなかったコロナウイルスが分離され、肺炎はこのウイルスへの感染が原因で引き起こされたことが突き止められた。12日には、この新型コロナウイルスのゲノム配列データが公開され、新型肺炎は「2019年新型コロナウイルス感染症(COVID-19)」と名づけられた。原因ウイルスは、当初2019新型コロナウイルス(n-COV-2019)と呼ばれたが、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行を引き起こしたSARSコロナウイルス(SARS-CoV)と近縁なことから、SARSコロナウイルス2(SARS-CoV-2)という正式名称がのちに与えられることになる(以下、本稿ではSARS-CoV-2を用いる)。

 COVID-19は、同市からの旅行者とともにまたたく間に世界にひろがった。1月13日にはタイで、15日には日本で、16日には韓国で、それぞれ1人の感染者が確認された。これらの感染者は、いずれも武漢からの旅行者または帰国者だったことがわかっている。1月24日には、中国国外で初となるヒト−ヒト感染が確認された。感染したのはベトナムに住む20代の中国人男性で、武漢から訪れた60代の父親から感染したとされる。

 頻繁な人の往来が、初期において急激に感染を広げた理由のひとつと考えられる。例年多くの人が帰省したり、旅行したりして移動する春節休暇期間(2020年は1月24日〜)を前にして、中国政府は感染拡大を食い止めようと1月23日に武漢市を全面的に封鎖、人の出入りを禁じた。武漢市に乗り入れる鉄道や航空機も運航を停止した。しかしそれ以前に人口の半分、約500万人が武漢市を出てしまっていたといわれている。この時期、日本にも武漢市から多くの旅行者が訪れていた。彼らの一部は、中国でも人気の高い雪まつりが開催される北海道・札幌に向かった。このあと北海道は、全国に先駆けて感染流行の波に襲われることになる。

 のちに国立感染症研究所が1月15日〜31日にウイルス感染が確定した12例を調べたところ、日本国内における最初のCOVID-19感染例は武漢市出身の在日中国人男性で、同市に帰省中の1月3日に発熱の症状があった。男性は6日に日本に帰国して、医療機関を受診したところ肺炎と診断されて入院したという。その後15日になってSARS-CoV-2に感染していたことが確認された。男性は帰省中に華南生鮮卸売市場を訪れてはいなかったという。24日には武漢市から日本を訪れていた男性旅行者の感染が確認された。この男性は封鎖前の19日に来日していたが、14日にはすでに発熱があったという。年明けには武漢市内で相当感染が広がっていたことがわかる。武漢市の全面封鎖は遅きに失したのである。

 日本政府は、封鎖された武漢市およびその周辺在住の日本人とその家族のために、1月下旬から2月中旬にかけて5便のチャーター機を派遣し、合計で829名が帰国した。そのうち検査で感染が確認されたのは15名であった(厚生労働省発表)。

 武漢市・湖北省の封鎖や、春節で帰省していた労働者らの移動禁止など厳しい感染拡大防止対策が功を奏して、中国国内での新規感染者数は2月中旬の1日あたり4600人をピークに減少に転じた。このころまではおそらく、多くの人がこの新型肺炎を武漢市や河北省、あるいはせいぜい中国国内の「エピデミック(地域や国レベルの感染流行)」だと考えていただろう。しかし、中国で感染の波が下降に向かいつつあった2月中旬、原因ウイルスはすでに世界中に広がってしまっていた。

 春節休暇を前に、つまり全面的な封鎖以前に、武漢市からの旅行者は世界中を訪れていた。2020年1月24日、フランスでヨーロッパ最初のSARS-CoV-2感染者が確認された。イタリアで最初の感染者が確認されたのは、2020年1月31日だった。1月23日に武漢からミラノ国際空港に到着し、ベローナやパルマを旅行して28日にローマに入った中国人夫婦に、咳せきや発熱の症状が見られたため検査したところ、新型コロナウイルスに感染していることがわかり入院した。しかし、彼らと接触のあった人からは感染者は見つからなかった。

 その3週間後の2月21日、北部のロンバルディア州で国内3人目の感染者が確認された。その後イタリア国内での感染確認数は指数関数的に増加し、とくにロンバルディア州や隣接するエミリア・ロマーニャ州で感染者が増えつづけた。

 ロンバルディア州保険総局などが初期の感染者5830人を調べたところ、同州で最初にCOVID-19患者が確認された時点では、すでに流行(エピデミック)は始まっており、ロンバルディア州南部一帯に広がっていたと考えられるという。さらにスペイン、フランス、ドイツなど近隣諸国にも感染が広がり、ヨーロッパ各国が非常事態を宣言、外出が禁止されたり商店・飲食店の営業が停止されたりした。イランでも2月中旬以降感染者・死亡者が急増、韓国では、新興宗教団体の施設を中心にした集団感染が発生した。日本では、横浜港発着の国際クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」で集団感染が発生、2月以降に北海道で感染が拡大したのは、札幌雪まつりがきっかけと疑われた。

 3月に入ると、ニューヨークを中心にアメリカでも感染が急拡大した。WHOは3月11日、SARS-CoV-2の感染が114か国11万8000人と世界的に拡大している現状を、2009年の新型インフルエンザ以来の「パンデミック」と認定した。しかし、これはほんのはじまりに過ぎなかった。

 イタリアでは、そのひろがりの速さもさることながら、「致死率」が高いことが中国での流行と大きく異なっていた。致死率は、感染を原因とする死亡者数を感染確認数で割った数字である。WHOと中国保険当局が合同で、中国国内における感染者5万5924名を分析した報告書[1]によれば、武漢市での致死率は5.8%、それ以外では0.7%だった(平均3.8%)。これに対して4月4日現在のWHOの発表数字では、イタリアにおける致死率は約12%と、当初病原体が特定できず対応が遅れた武漢に比べても著しく高かったのだ。イタリアの高齢化率が高いこと、キスやハグの習慣、家族や友人らが集まって多人数で会食する機会が多いなど、感染しやすい生活習慣ほか、さまざまな原因が取りざたされた。感染拡大のスピードが速すぎて、検査キットが十分に手当てできず、感染者数の実数が把握できていなかった(実際の感染者数が多ければ致死率は低下する)とも指摘された。しかし、いずれも説得力のある説明ではなかった。

 パンデミックとなった2020年3月以降のCOVID-19の様相──ウイルスの性質や臨床像など──は、2月以前の、ほぼ武漢市(あるいは湖北省)の問題であったCOVID-19と、大きく変わったようにみえた。この時点で病原体であるSARS-CoV-2は、すでに「進化」を遂げていたとみられる。

 その後2020年暮れからは、SARS-CoV-2の遺伝子(そして遺伝子が発現するアミノ酸)配列に変異をもつアルファ変異株が、2021年初夏から秋にかけてはデルタ変異株が、それまでの系統を押しのけて世界的に流行し、同年11月に南アフリカなどで検出されたオミクロン変異株が世界中を席巻した。

 幸い前例のない速さで開発されたワクチン接種効果もあり、治療薬も承認されて、2021年暮れまでには一時のような医療体制の逼迫は解消された。しかし、オミクロン変異株の派生型とされるBA.2がそれまでのBA.1に置き換わり、BA.1とBA.2のハイブリッドといわれる変異株や、さらにはオミクロン株が最初に報告された南アフリカでBA.4やBA.5などのオミクロン株亜系統が出現。BA.5は世界各国に広がって2022年夏までに主流となった。そのころには早くも次の亜系統、BQ.1やXBB(BJ.1)などが報告された。

 このようにつぎつぎ現れる変異株やその亜系統が、それまでの主流変異株・亜系統を押しのけて流行するという状況が2022年末までつづいた。日本では2022年秋から2023年1月にかけて「第8波」に見舞われ、その間の死亡者数は第6波や第7派を大きく超えた。

 一方、2022年にはほとんどの国々が感染を防ぐための強い規制を緩め、SARS-CoV-2との共生=「ウイズ・コロナ」へと舵を切った。主要国のなかで唯一、厳格な「ゼロ・コロナ政策」をつづけていた中国は、強制的な行動制限に対する国民の不満と抗議活動の高まりを受けて2022年11月に突如ゼロ・コロナ政策を撤廃、翌2023年にかけて短期間に多数の感染者と死者を出した。他国は中国からの入国者を制限する事態となった。

 2023年春までには、日本国内でも世界でも、感染者・死者の報告数は減少し、中国での感染爆発も収束した。日本では、3月13日付で公的空間でのマスク着用規制が撤廃され(個人の判断に委ねられる)、5月8日からはそれまでの「新型インフルエンザ等感染症」から、原則的に行動制限などが課されない5類感染症に移行することになった。5類感染症には季節性インフルエンザや麻しん(はしか)、風しんなどが含まれる。

 しかし、感染者数が大きく減ったのには、検査数の減少も大きく影響している。2023年3月下旬時点でも、毎日、日本国内で数十人、アメリカでは数百人の死者が発生している。COVID-19は、けっして消えたわけでも取るに足らない病気になったわけでもない。高齢者や持病をかかえる人などが感染すれば、重症化したり死亡したりするリスクは変わらず高いのだ。5類感染症になれば感染者の全数把握がおこなわれなくなり、実態はより見えにくくなる。感染がつづくかぎり、より強力な変異株の出現にも警戒しなければならない。

 このウイルス(SARS-CoV-2)は感染拡大のはじめから、私たちの楽観的な見通しをことごとく裏切ってきた。一時感染者が爆発的に増えたブラジル・マナウス市やインドでは、感染者が人口の一定割合を超えることでそれ以上感染が広がらなくなるとされる「集団免疫」を獲得したといわれたが、そのあとにそれまでより大きな感染増加の波に見舞われた。日本では当初感染率も死亡率も低く、衛生観念や行動様式を理由とする「日本モデル」、日本人特有の遺伝子型や、既存のかぜコロナウイルスとの交差免疫など、解明されていない「ファクターX」などが取り沙汰された。しかし、2021年夏の第5波、2022年の第6波、第7波と感染者や死亡者が大きくふえたことで、こうした説も説得力を失っていった。

 ワクチン接種で体内につくられた抗体も数か月で減衰し、変異株に対してはさらに効果が低下して、ブースター(免疫増強)ワクチンと呼ばれる3回目、4回目のワクチンを接種しなければ感染や発症を防げないということもわかった。新たに出現した変異株は、ワクチン接種や感染によって獲得された免疫を逃避する可能性があるため、それら変異株や亜系統に対応するワクチンを開発する必要にも迫られた。

 SARS-CoV-2は、もともとキクガシラコウモリ属(Rhinolophusリノロフス)のコウモリに常在していたウイルスだと、多くの研究者は考えている。それがなんらかのルートでヒトに感染(異種間伝播スピルオーバー)し、さらにヒトからヒトへの感染(ヒト−ヒト感染)を引き起こしたことが、このパンデミックのはじまりであることはほぼ間違いないと思われる。ただし、最初のヒトへの感染はコウモリから直接だったのか、それとも媒介した動物があいだにいたのかにかんしては、まだ決定的な証拠が見つかっていない。しかし、最初のCOVID-19患者が報告された中国・武漢市では、初期の感染(動物−ヒト感染およびヒト−ヒト感染)が起こったと強く疑われている華南生鮮卸売市場以外にも、複数の生鮮市場でハクビシン(ジャコウネコ)やタヌキなどの野生動物が、生きたまま売られていたことがわかっており[2]、これらの動物はSARS-CoV-2に感染することも確認されている。2003年に流行したSARSコロナウイルスを媒介したのは、やはり市場で売られていたハクビシンあるいはタヌキだと考えられており、そのため、SARS-CoV-2も、最初はこうした動物からヒトに感染したのだろうという説が研究者のあいだでは有力なのだが、そこに至るまでのルートはまるで霧のなかである。

 14世紀のペストや20世紀のスペインかぜ(インフルエンザ)のように、動物からヒトに感染し、それがパンデミックにまで拡大したことは過去にいく度もある。21世紀に入ってからは、SARSや中東呼吸器症候群(MERS)といったコロナウイルスを原因とする新興感染症も出現したが、幸いこれらは世界的流行までには至らなかった。

 近年警戒されていたのは、これまでもたびたびパンデミックを引き起こしてきた鳥起源の「新型インフルエンザウイルス」だった。実際、2009年には鳥インフルエンザウイルスがブタの体内で変異した新型インフルエンザウイルスが流行を引き起こし、こうした事態は将来も起こりうるとして警戒された。しかし、その10年後に起こったのは、新型インフルエンザウイルスではなく、新型コロナウイルスによるパンデミックだった。<つづく


[1] WHO:Report of the WHO-China Joint Mission on Coronavirus Disease 2019 (COVID-19) , February, 2020

[2] Xiao Xiao et al.:“Animal Sales from Wuhan Wet Markets Immediately Prior to the COVID‐19 Pandemic”, Scientific Reports, published 07 June, 2021

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