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マグロだけじゃない!?築地とお座敷

ごきげんよう。お座敷BLUEです。

今日も築地から参上!!

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お座敷っておもしろいですよね!
「お」がつくだけで特別な場所に。芸者さんがやってくる場所になる♪

お座敷と言えば、料亭!!
同じ料理やさんでも、割烹と料亭との違いは、「料亭=花柳界に属し、芸者を呼ぶことができる」といわれています。つまり、料亭は芸者さんの活躍の場、料亭のお座敷あっての芸者さん、とも言えます。

実は築地には、有名な料亭がたくさんあるのをご存知ですか?

例えば・・・

新喜楽
明治8年創業。「日本三大料亭」のひとつ。「日本二大料理や」の一つでもある。明治31年、当時大久保重信邸跡地に作ら、昭和36年以降の現在まで、毎年の芥川賞・直木賞の選考会場として使われている。いわゆる「一見さんおことわり」の料亭の中の料亭です。

つきじ田村
築地界隈の大手財界人たちの、「この辺で美味しいものが食べたい」という一言から、当時築地の有名料亭で料理長をしていた田村平治に白羽の矢が立ち、昭和21年11月「つきぢ田村」が誕生。

NHK「きょうの料理」などでもお茶の間でも大人気だった3代目、田村隆さんでおなじみ(2020年12月ご逝去)。「五味調和」は和食の真髄、「おもてなし」とは、相手を大切に思いふるまうこと、と伝えています。

つきじ治作
昭和六年(1931年)、つきじ治作は初代総料理長兼店主、本多次作(=戦前日本の割烹王)により創業。建坪800坪の広大な敷地、すばらしい日本家屋と鳥の水炊きで有名な隅田川沿いの料亭。一歩足を踏み入れると、タイムトリップしたような感覚になる趣のあるたたずまいです。つきじ治作の歴史も勉強になります。

治作

かつての築地には、もっとたくさんの料亭が存在していたそうです。さて、それはなぜだったのでしょう?!

その理由はひとえに、「地の利」でしょう☺
①築地の市場と近い
新橋の花柳界と近い

ご存知の通り、築地市場は東京の台所。日本全国から新鮮な旬の食材が集まってくる、いわば日本の食文化のメッカ。魚市場に行けば毎日最高に新鮮なネタが手に入るので、近隣ではお寿司やさんが大人気。食通が集まる場所、築地に料亭が多かったのはまさに「そこに食があるからだ!」ですね。

そして、築地のすぐそばには、東京の中でも格式高い新橋花柳界があります。お座敷は特別な時の会食、というイメージがありますから、財政界や著名人のお客様が、大事な接待をするときに美しく品のよい新橋の芸者さんを呼ぶには、それにふさわしい舞台(お座敷)が必要ですよね。

歴史的に見ても、もともと江戸時代に築かれた土地である築地は、武家の大名屋敷が立ち並び、江戸後期には外国人居留地ができて、文明開化の中心地のでもありました。築地は「文化的多様性をもった街」なのです。

江戸の築地1

さて、実際に築地の場所(地の利)をご存知でしょうか??

東京に住んでいても、意外と知られていない築地の場所。
私が聞き取り調査した中では、「なんとなく遠そう・・・」「東京湾の方?!」「東京に住んでいても行ったことない」というお声も結構ありました。

そのくらい、名前は有名だけどイメージがわかない「築地」ですが、はっきりいって、地の利は最高!!!です。

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実際、中央区は、東京で住みやすい街No.1にランキングされましたし!

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中でも築地は、今年の住みここち駅ランキング1位になりましたよ~!

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この高得点の理由は、銀座まで歩いて10-15分の大都会でありながら、隅田川沿いには散歩道があり、公園の緑もある環境のよさが人気だと思います。近代的なマンションも多いですが、戦前からの古い建物の残る下町の雰囲気がほっこりポイントにもなっています。

築地から足をのばせば、歌舞伎座・新橋演舞場のある「東銀座」=「新橋花柳界」で有名な新橋エリアに入ります。築地の江戸っ子に言わせれば「新橋芸者を地方芸者と一緒にするんじゃねぇよw」という、格調高い花柳界でございます。(↓写真をクリックすると東をどりのページに飛びます)

東をどり

今でも、新橋~築地の料亭には夜になると黒塗りの車がやってきます。お座敷の中は閉ざされた空間、大事な話をするのにうってつけ、要人がお忍びでやってくる秘密の場所なのでドキドキしますね。演舞場のすぐそばにある金田中(日本三大料亭のひとつ)など、芸者さんが通っていらっしゃる姿をよく目にします。

ちなみに、新橋花柳界は、東京六花街の一つ(新橋、赤坂、芳町=日本橋人形町、神楽坂、浅草、向島)。

「新ばし花柳界 銀座の東から築地へかけて

江戸の粋と東京のモダン、美食と綺麗の息づく街」

HPにも書かれています。

美しい新橋の芸者さんに、美味しいものが集まる築地の料亭。美食家、風流な方々にとって、築地のお座敷は極上の天国だといえますね!

築地=魚河岸のイメージからは、上品で敷居の高いお座敷につながらないかもしれませんが、実は、築地の地の利を生かした食と文化の発展はなかなか奥が深いものです。

ただ、お座敷については、バブル崩壊後、官官接待が禁止になり、民間企業のコンプライアンスが強化され、接待や密談の場が激減したため、多くの料亭が消えていきました。今残っている料亭は、50年前の1/10くらいになるのでしょうか・・・

新橋花柳界エリアのお座敷(東銀座~築地)も、今は8軒を残すのみ、と言われています。きっと50年以上前の築地は、華やかで芸者さんの香りの残るお座敷がもっと身近なものだったと思いますが、時代は政治経済の波と共に移り変わっています。

ちなみに、昨年からのコロナの影響により、料亭はますます厳しい状況が続いています。日本3大料亭のひとつ、東京吉兆も2021年1月より休業、つきじ田村も、無期限休業しています。料亭・お座敷と芸者さんは運命共同体。料亭さんにもがんばって今を乗り切ってほしいです!!

築地は市場を含め、大事な食文化、日本文化の基地ですから、お座敷・料亭のことも、歴史や文化的な側面から街の魅力を伝えたい、と思っています。

次回は、築地のおじさんと芸者遊び、についても触れていきたいと思います。

さ、今日はここまで。
ごきげんよう。

2サンバルカン青

ドロン。







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