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新生児の頃の育児ノートと9月のエッセイ

長雨が続いて、突然秋になっていた。
夏用の布団では寒くて、薄手の羽布団を干している。秋の風のひんやりと乾いた、少し鼻の奥にツンとくる匂いは、ドライアイスに似ている、と思う。
風の中にその匂いを感じると、胸が少ししめつけられる。
もう夏が終わったのだという寂しさと、一年も残りわずかだという焦りによるものなのかな。
ここから年末まで、驚くほど早くすぎていくのだ。毎年そう感じていて、その速度は歳を重ねるごとには加速していく。

整理をしていたら長男の時の育児ノートが出てきたので見ると、アホみたいに細かく記録していた。おそらくわたしは赤ちゃん対応が苦手なほうだったのだと思う。生まれたての小さな人間を抱いた時に、いとしさと同じくらい怖いと感じた。だから、怖くて必死で記録し続けたのだろう。

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(ちょっと狂ってたのが字にも出ている)
昼も夜もわからない状態で、1日中、授乳をしておむつを替えて、寝かしつけて、その一つ一つを記録し、一度でも忘れてしまったり、想定したリズムどおりにできなかったら、いちいち取り乱した。
必死に、繊細に、なんとか回している歯車が狂ってしまう気がした。
真夜中に泣きながら授乳して、明けていく空を見てまた止まりかけた涙が溢れ出てしまう。子供を産んで3ヶ月になり、初めて夫に子供を託して、一人でスターバックスに入った時、何とも言えない気持ちになってまた止めどなく泣いた。
本を読むことも困難になっていた。文章を書くハードルも高くなっていた。当時、ブックレビューを書く仕事をしていたのだが、月にたった三冊読むことがしんどくて、いろんなことができなくなっている自分が、自分ではないようだった。子供を産む前の自分をどこかに置いてきたような孤独感、空虚感でいっぱいだった。

当時はよく、思ったものだった。
子育てがこれほど大変で苦しいものだと、もっと産む前に誰か教えておいてよー!って。

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そんな日々も、今では懐かしい。第二子の次男の時には、まったく育児ノートをつけなかった。長男もいて、そんな暇もなかった。泣いているから授乳して、あっそういえば、と思い出してオムツを替えた。
それでよかったのだ。

子育ての困難さを事前に教えておいてほしかったと思ったものだが、実際に妊婦さんを見ると、そんなつらいことを言いたくなくなってしまう。生まれてくる子に無事に出会えることを夢見て、楽しみにして、そのために今自分ができることを気をつけながら精一杯生きている。そんな人を前にすれば、温かな言葉しか口から出てこないものなのだ。

きっと妊婦だったわたしの周りにいてくれた人たちも、そんな気持ちだったのだろう。
ただ、もしも赤ちゃんハードワークの中にいる人たちに言いたいのは「テキトーでいいから!」
育児ノートなんて記録しなくてもいいよ。

さて、9月のエッセイ。


多くの家のどこかにあるというバミューダトライアングルに吸い込まれた靴下がたどり着く場所は、得も言われぬおぞましい世界だと聞きます。
ある事故で幽体離脱しその世界を垣間見た者の話では、東京ドーム1万個ぶんの洗われていない靴下たちが、昼も夜ももなく片割れを探して彷徨っていたという。
怖いですね。
信じるか信じないかは、あなた次第。


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