TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~ 15
15
臭すぎる。
まるでこの狭い部屋に、残飯入りのポリバケツが置かれているかのような状態だった──しかも漬物多め。
最初は部屋のせいじゃないかと疑った。
一条と二人で廊下に出て、フロントに鍵を預けて外まで出てみた。
ボロ宿『はいがん荘』の外。見慣れたいつもの黄昏、赤紫色のまち。
特に異変はない。
外に出ても、臭いは一向に消えなかった。
「やばいやばい、やっばいっすよ。頭がおかしくなりそうっす」
一条が両手で鼻を押さえ、首をぶるんぶるんと振った。
「鼻に臭いが残っちまってるのかな? この感じじゃ、いっそ寝た方が良さそうに思えるな」
勇助は顔をしかめて言った。
もしもここが現実世界だったら、こんな臭いのする空間で眠りに就くのは困難だろうが、この世界ならば容易だ。ボタン一つで指定した時間分、すぐに寝ることができる。
「それ、いいっすね。そうと決まれば早く部屋に戻りましょう」
「あ、待てよ。もし有毒なガスだったら、寝てる間に……」
「もう! どっちっすか!」
一条が明らかに冷静じゃない。どちらかと言えば勇助の方がまだ正気を保っている。
「あれ……? ちょっと静かにしてくれ」
勇助は、いつの間にか自分の鼓動が鳴り始めていることに気づいた。
しかも危険レベルは2。
「敵っすか? こんな時に──ぶちのめしましょう!」
一条が声を荒げて円型チェーンソーを出現させた。暴走族がエンジンをふかすように、回転刃を唸らせる。
うるさい。
「落ち着けって。とりあえず、外に出ても臭いが消えないなら意味が無い。やっぱり一旦、部屋に戻ろう」
「この、チキン!」
「今の状態で戦って、もしミスったらどうする。ヘタすりゃあの世行き、取り返しつかねえんだぞ!」
勇助は荒ぶる一条を何とか説得し、宿の中に入った。宿の中はよほど特殊な敵でないと入って来ないので、外よりは安全だ。
万が一、中に侵入してくる敵がいる場合には、この宿の構造上、逃げるのは難しそうだが……。
×××
雲行きが怪しい。
一条と二人で宿の部屋に避難したものの、一向に鼓動がおさまらないし、臭いも消えない。
危険レベルが3に上がった。
視界レーダーに注意を向けてみると、赤点が出現していた。
「お、おい、レーダー! レーダー見てみろ!」
映画『エクソシスト』ような格好で悶絶している一条に、勇助は声をかけた。
「へーはー? (レーダー?)」
一条はその姿勢で鼻を押さえながら言った。
「やばいぞ。何か、数がどんどん増えてる」
そしておそらく、ここに向かって来ている。
赤い点は見るからに増え、数えられないくらいにわらわらと群がっている。レーダー円上の東西南北いずれからも、そんな大群が波のように押し寄せてくる。マップも確認してみるが、宿の外に逃げても、必ず対峙する羽目になるだろう。
完全に囲まれたのだ。
「こっちが何もしてないのに、俺たちを贔屓して囲い込んでくる敵なんているのか!?」
「聞いたこと無いっすよ~」
危機的状況にも係わらず、一条は横たわったまま苦しそうに返事した。勇助よりも臭いに耐性が無いのだろうか?
さっき一条と話したのだが、プレーヤーはそれぞれ身体能力に個人差があるらしい。例えば走る速度だったり、ダッシュ時の持久力を表す『ダッシュゲージ』の長さだったり、HP《ヒットポイント》の量だったり、あるいはレーダーの範囲の大きさだったり。ある意味現実と同じだが、ちゃんと一長一短が設定されているらしく、初期能力に極端な偏りは無いようになっているとか。
これもそういうことだろうか。一条は足が速く持久力もあるが、嗅覚に弱点があるとか……? ステータスの数字として表れない部分なので、これについては確かめようがない。
「と、とりあえず少し待ってろ! どんな敵が来てるのか、確かめてくるからな!」
一条のことが心配ではあったが、勇助は一人で部屋を出た。一緒に連れて行ったとしても、当てにならないからだ。
とにかく、敵がどんな奴なのかを視認する必要があると思った。
時間があまりない。
勇助は出口とは逆方向に廊下を走った。
実はこのボロ宿が三階建てなのを、勇助は前から知っていた。外から建物を見ると、一階と二階の客室フロアの上に、窓のついた謎のフロアがあるのだ。
勇助が向かっている方向に、そこへ続くであろう階段があることもわかっていた。
階段は幅が細く、やや急勾配だった。
一段一段、段差を踏む度に激しく板がきしんで鳴った。
向かう先はかなり暗くなっている。廊下には等間隔で電球がぶら下がっていたが、この階段に明かりは無い。
視界がはっきりしない中、足元に注意しながらも、なるべく急いで登っていく。
自分をごまかし勢いで進んできたが、とてつもなく怖かった。
階段の先が屋根裏になっていることがわかると、勝手に足が止まった。
天井に階段がくっついていて、そこに長方形の蓋のようなものがあった。ビルの管理業者などが使う天井の点検口に似ている。
なかなか次の一歩が踏み出せなかった。
やはり今から戻って、ロビーから外に出るか……いや、でも時間のロスになるか……。
足が重く感じる。
勇助は迷いを振り切り、階段をのぼった。
冷静に考えたら、答えは出ている。今からロビーまで戻ることの無意味さ。敵の情報をより安全に入手する必要性。外と屋根裏のどちらを選択しても危険性があること。
そして、何もしないで立ち止まっていることが、最も愚かでリスクの高い行為であること。
今、求めていることは、自分と一条の身の安全。
だったら、やるべきことは一つ。
あと必要なのは、踏み出す勇気だけだ。
長方形の蓋に、下から手をかける。震えが起きない自分の体に感謝しつつ、勇助はゆっくりと蓋を押し上げた。
屋根裏にそぉっと顔を出す。窓から光が入っているせいだろうか、中はわずかに明るかった。
特に何かが潜んでいるような気配は無いが……。
レーダーにも、鼓動にも変化が無い。敵はここにはいないようだ。
周囲を見回す。薄暗い屋根裏部屋は天井が低く、蜘蛛の巣が異常に多い。まるでハンモックのような網状の巣もいくつかあった。
左側を向く。
ナイフが何本か刺さった中くらいの大きさの段ボール箱が五個。刺さった箇所から、何か黒い液体が流れ出た状態で凝固している。今度は右側を向く。
『フロントマン鈴木』がいた。
勇助は驚愕のあまり、階段から転げ落ちそうになったが、何とか入り口のふちに手をかけ、踏みとどまった。
様子がおかしかった。
『鈴木』は、敵としての『鈴木』ではなく、きちんとしたフロントマンのスーツ姿で寝そべっていた。顔はこちらを向き、目も開いているが、まるで抜け殻のように身動き一つしなかった。
口から赤い血がわずかに垂れ、胸にナイフが刺さっていた。
何が起きたというのだろう。敵が死んだ場合にはすぐに消滅するはずで、こうして死体が残ることはない。ましてNPCが死んでいるなんて……。
この『はいがん荘』一つを取っても、何かしらのストーリーが設定されているのだろうか。
もし今後、機会があれば、メニュー画面で『フロントマン鈴木』の解説文を読んでみようと思った。
今はそれどころではない。
勇助は迷いつつも屋根裏に上がった。万が一何かが襲ってきてもいいように、ショットガンを出現させておく。
勇助は目的の窓を見つけ、近づいた。やや大きめの窓が二つ並んでいて、外の夕暮れの風景が見える。
宿のすぐ手前の通路に、謎のクリーチャーが百体以上押し寄せてきていた。
勇助はぎょっとして、腰を抜かしそうになった。
何とか踏みとどまり、ためらいながらも静かに窓を開けた。下を覗き、そいつらを観察する。
人型で身長は高く、筋肉質。だが両腕が無く、全身青紫色にツヤめいている。何より特徴的なのは、目や口、耳が無く、象のような長くて太い鼻が顔に付いていること。のっぺらぼうに鼻がある感じの様相だ。
敵の名前が視界の隅に表示される。
『Smell Lovers《スメルラヴァーズ》』
耳をすますと、その大群は何かを呟いていた。
「口が無くても喋れるんだな……さすがはゲームだ……」
その言葉に耳を傾ける。
まるでざわざわした風の音のようであり、暗めのデモ行進のようでもあった。
「イイニオイ、イイニオイ、イイニオイ……」
良い匂い、と言っているようだ。
はっとした。
なるほど、この臭いに釣られて来てるのか。
外に出ても臭っていたことを考えると、この宿の周辺に臭いの発生源があるのだろう。
それを突き止めたところで、状況が変わるとは思えないが……。
すでにスメルラヴァーズの何体かは、この宿に侵入しようとしている。鼻を伸ばし、入り口の扉を開いている。
急いで一条の所へ戻らないと──!
勇助は『フロントマン鈴木』の死体を警戒しつつ、階段を慎重に降りた。
そして廊下に出た瞬間、
「うおっ!」
と声を上げた。相手も「ひゃあっ!」と驚いた声を上げ、両手で自身の体を抱くような姿勢になっていた。
そこには、上下とも白い下着姿の一条が立っていた。
(次回、一条と裸の付き合い!? クリーチャーに追い詰められた二人は──16へ続く)
表紙画 : 梅澤まゆみ
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