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『夜行 coverd by 山神カルタ』感想やら考察やら

まずは聴いてもろて。歌を聴かずに記事だけを見てもらうのは私の本意じゃないです。

にじさんじ所属バーチャルライバー、見習い烏天狗の山神カルタさんが投稿した歌ってみた動画の感想やら考察やら何やら。

誤字脱字、意味不明な表現、提示するデータ、根拠として指摘する諸々の事項に明らかな間違いがあったら、優しく教えてほしいです。

①【感想】さっくり感想


光差す縁側、並んで座る男の子と山神カルタ

しっとり落ち着いた雰囲気の曲調に、何だか意味ありげな歌詞

語りかけるような山神の歌い方で、物語の世界にぐっと惹き込まれる感じがした

曲の進行に合わせてイラストも変わっていき、ドラマチックな物語を想起させるような、たくさんの要素が散りばめられている

一瞬の暗闇から始まり暗転して終わる動画の構成に、目を瞬いた瞬間に思い出が頭の中を駆け巡ったような感覚を覚えた


②【データ】動画内に登場する男の子について


今回の歌ってみた動画に登場する男の子は、「山神くん」及び「山神業(カルマ)」と呼ばれる、山神カルタの配信上にのみ登場する架空の人物に酷似しています。

(私は、歌ってみた動画に登場する男の子を「山神業」だとみなすのも、一部設定を同じくする良く似た全く別の人物とみなすのも自由だと思います。ただ、そこには論理的であれ感情的であれ、そう思うだけの何らかの理由があるべきだとも思います。)

「山神くん」は、流行り病による自粛期間中に山神カルタが注力していた朝森(朝活+あつまれどうぶつの森)の配信にて産声をあげました。

(当該配信は以下リンクより、山神くんについて言及している箇所、再生時刻 56:00 近辺に飛びます)

見返してみても、何を参考にするでもなくめっちゃ語ってるし、よくこんなにすらすらと解像度の高い設定の肉付けが出来るものだ、と思わされます。

喋った内容を一部引用したとしても、メモ帳の一ページにも到底収まらない、こんな物量になるわけです。

(下記『【錬成】山神くんをこの世に』配信のサムネにも採用されるような、クオリティの高い生配信のサムネ画像を数多く作られている、山神印刷所さまのツイッターより引用)

その後、同じくにじさんじに所属するライバーである来栖夏芽とコラボして、「山神くん」を練成する(設定を掘り下げてよりイメージを固める)配信が行われます。

(当該配信は以下リンクより。)

こちらは山神カルタと来栖夏芽のペアで初めてのコラボ配信であり、オフコラボ(オンライン通話ではなく、実際に対面してのコラボ)の形式で行われました。また、「やまなつ」というコラボ名も決定した配信でした。

山神が思い描く「山神くん」の設定を深堀りし、夏芽がそれを聞いて逐次イラストに反映させ描き起こすことで、妄想上の存在だった「山神くん」に具体的な形を与えようというのが配信の主な趣旨です。

①「山神くん」の設定について二人がわちゃわちゃ楽しそうに喋る雰囲気の良さ
②試行錯誤しながらのイラスト化を通じて、徐々に山神くんの輪郭がはっきりとしていく所
③二人で一つの作品を作り上げる過程を通じて二人の関係もだんだん固まっていく所

こういった所が主な見どころだったと思います。

(当時、活動に際して思うところがあり鎖国状態にあった来栖夏芽にとって、山神カルタが文字通り黒船となったコラボ配信でもあった、ということはまた別の話)

配信を終え、完成した「山神業」及び「天空寺ひかり」の設定画が以下の通りです。

山神カルタ公式ツイッターより引用)

このような経緯もあって、「やまなつ」のコンビはこのコラボ配信以降もゲーム配信(マインクラフトなど)でコラボをしたり、親交を深めていきました。

今回の歌ってみた動画の制作に取り掛かる際にも山神は夏芽に相談をし、結果として、夏芽は動画の演出も監修したそうです。また、登場する「男の子」の少年期の設定画も新しく描き下ろしたそうで、山神の配信にてその一部が紹介されていました。

(当該配信は以下リンクより、「山神くん」について言及している箇所、再生時刻 24:20 近辺に飛びます)

「山神くん」の眼の色について、黄色は山神自身の瞳の色、紺色は山神の髪色から取ったとのことで、グラデーションにしたいという案は山神の希望だったそうです。

③【考察】動画内の様々な表現について

 
今回の歌ってみた動画は、三枚のイラストから構成されています。
その三枚のイラストですが、今回の歌ってみた動画でイラストを担当されたコタチユウさんが、自身のツイッターに全て掲載してくださっています。

音楽と一緒に動画で見るのとはまた違って、細かな書き込みやイラスト全体をゆっくりじっくり眺めることができます。要チェック。


≪a.男の子の成長と山神との別れ≫

山神と一緒に居る男の子は歌の中で徐々に成長していき、最後には山神の元を離れていってしまいます。

描かれている服装やアイテムから色々なことが読み取れると思います。イラストの一枚目では虫採りなどで活発に外を遊びまわる少年の姿が、二枚目では虫取り網や虫かごは無くなり、一丁前に、傍らにトランクや本を携えるようになっています。

身につけている服装(セーラー服、白の軍服)やイラスト三枚目にて縁側に残していった軍帽から、彼は海軍の士官候補生となったのではないかと想像しました。(軍服の肩のラインや軍帽の形状から軍での階級を判断できることは知っていますが、知識が無く詳しくは知らないので、これはあくまでも想像です。)

いざ軍に入るということになると、
①徴用されてしまう(強制、ネガティブな結果)
②自ら志願する(自らの意志と決定、ポジティブな結果)
と、その理由は大きく二つに分かれるかと思います。

どちらの理由で考えたいか、ということですが、
歌詞『何かしたいことはあるのかい。僕はそれが見たいかな』
②イラスト1枚目の頃(幼少期)からセーラー服を着ている=彼にとって海というものは身近である
この二点から、私は、この男の子は全く自分の思い通りにならないような強制的な要因によって山神の元を離れたわけではなく、自らの意志で自分の往く道を決めた結果の別離なのではないかと想像しました。

話を進めると、山に住む烏天狗である山神の生き方に全く反して、「男の子」は海の上で生きる道を選んだことになります。
歌詞にもあるように『そっか、道の先なら着いて行くよ』と、山神がいくら男の子の行く末を案じていても、今、二人の住む場所も歩む道も全く異なっているので山神はただ案じることしかできないわけです。

≪b.山神と男の子の重なる手≫

山神カルタは今回のイラストについて、ツイッター上で「すごくすきポイント」を語っています。

(曲に合わせて二人の手元にクローズアップされているカットがあり、その違いについては、比較的気付きやすかったかなと思いました。)

自分一人だけで考えていると、手の上下が入れかわっていることは「男の子」が成長したことの表現だったり、成長した「男の子」のいいところを見せたい強がりだったりするのかな、と思って終わっていたと思います。実際、初見時はそう思って終わりでした。

『強く握るんじゃなくて控えめに優しく手の上に重ねてるだけのところ』というふうに、手の握り方ひとつとってもそこに思いを馳せ、細かい感情を拾い上げることができる山神カルタの素晴らしい感性を、これからも大切にしていってくれ……って思った瞬間でした。

≪c.季節と時間の移り変わり≫

部屋の中にある振り子時計の指している時刻や、描かれているアイテム、光の色から想像されるそれぞれのイラストの時間帯は、

一枚目は昼下がり(15:50、食べ残したスイカの皮、太陽の黄色い光)
二枚目は深夜(00:05、煎茶、月の青い光)
三枚目は夕方(18:10、西日の橙の光)

だと思いました。

また、イラストに描かれている景物から、

一枚目は初夏(オニヤンマ、開花した朝顔、未開化の向日葵)
二枚目は盛夏~晩夏(咲いていない朝顔、開花した向日葵)
三枚目は(庭の樹木と散る紅葉)

だと思いました。

一枚目と二枚目のイラストを比べると「山神くん」の成長度合いが著しいこと、歌詞に登場する「一輪草」の花言葉を調べると「追憶、深い想い、久遠の美」だということから、一枚目と二枚目のイラストは山神自身の追憶によって想起された思い出の一ページで、三枚目のイラストは過去を追憶する現在の山神の姿であると考えられると思います。

山神の衣装について、三枚目のイラストで私服から烏天狗の正装に変わっていることにも注目すると、一枚目や二枚目とは若干毛色が違うと思ったことも、その理由です。

季節についても、歌詞の「夏が終わって往くんだね」の意味を考えると、「男の子」との思い出はこの作品の中の山神にとっての夏そのものでもあったのかなとか、「男の子」と離れたことで山神の時間も進み(現在に戻り)三枚目のイラストでは秋の季節になったのかなとかも思いました。

夕刻は逢魔が時なので、山神カルタには西日も夕刻もやっぱりよく似合うな、とも思いました。


≪d.気になるアイテム≫

お茶が麦茶から急須で淹れる煎茶に変わっているところから、年月が経って男の子の味の好みが変化したことに山神も合わせているのかなとか想像すると、中々味わい深いと思います。

ただ、前述した通りにイラストの時間帯を考慮すると、昼に麦茶、深夜に煎茶、という組み合わせになっているので、単にお茶を飲むその時の気温が暑いか涼しいかみたいなところもあるかなとも思います。

扇風機がずっと部屋に出したままになっているところが気になりました。
扇風機は夏のアイテムで、秋になっても、年月が経ってもそれを部屋に置き続けているというのは、山神が男の子との思い出を今も忘れていないこと、忘れたくないと思っていることの表現なのかなとか思いました。

「僕はここに残るんだね」
と、未練や悲しみを感じさせるような歌詞の意味と、強く結びつくような要素の一つだと思いました。

≪e.台詞≫

これについては、これが正解に近そうとか言うのは一番野暮じゃんって思っちゃったので、妄想したい人がめいっぱい妄想すればいいと思いました。やろうと思えば何でも妄想できちゃうような、正解がなく解釈の余地を残してくれている箇所だと思います。

個人的には、山神カルタが男の子との思い出を追憶している説を唱えているので、聞けなかった言葉のその続きが何だったのかをいつまでもいつまでも考え続けながら、あの時に続きを尋ねられなかった後悔と絶対に逢えないのに逢いたくなってしまうもどかしさを抱えているのかもしれないと思いました。

少年時代の「男の子」が山神に投げかけた「お姉さんは何処に行きたいの?」の言葉は、私服でオフモードの山神に自身の身の振り方について何らかの影響を与えうるような言葉だったのかなとか、「いや、何でもない」言い淀む青年期の「男の子」が山神に言いたかったことは何だったんだろうとか、色々考えられてとても楽しいです。

④【まとめ】最後に


山神カルタはこの動画を投稿した後に配信内で、今回の歌ってみた動画を「備忘録」のようなものだと言っていました。それを聞いてこの言葉には二つの意味があるんじゃないかと思いました。

①この歌ってみた動画の中の山神カルタにとって、忘れがたい「男の子」との思い出を心に留めておくための備忘録(=作品内容の簡潔な説明)

②朝森の活動及び同僚ライバー来栖夏芽とのコラボの軌跡や、今回の作品制作の過程で二人で相談や試行錯誤を繰り返した時間と、その思い出を忘れないための備忘録(=バーチャル見習い烏天狗山神カルタの活動の記録)

リスナーにとっても、これからこの歌ってみた動画を視聴する人にとっても、この作品が山神カルタを忘れないための備忘録になるといいなと思いました。

日々の修行も大変な中、いつも楽しませてくれて本当にありがとうございます。今回も山神カルタ自身の個性やオリジナリティが存分に発揮されている作品で、非常に考察が捗りました。

リアル日本では台風も来始めて夏もピークを過ぎたかと思います。バーチャル日本はどうでしょうか。
今年の夏も、これからの夏も、山神カルタにとって忘れられないような大切な思い出がたくさん心に刻まれるような夏であったらな、と願うばかりです。

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