スピってきたあ
金沢から帰ってスピり続けてるけどやはりずっと孤独が必要だなと考えている。
分断の時代において人々は情報の渦に飲み込まれ、孤立させられてしまっている。対話しているようでいて、それは虚無に向かって叫んでいるだけでしかない。「今ここ」の心と向き合わなければ、人への優しさを持つことが難しくなってきた。
ハンナ・アレントにおける"一人である"ことの多層性 : 政治的主体化へ向けて
金沢で訪れた鈴木大拙館の水鏡の庭はコンクリートの壁に囲われながら、それ庭の内から眺める思索空間、建物を囲む森の全てが連関していて、強制的に視座が引き上げられる体験をした。
焦点が半強制的にぼやけさせられ、この空間と自己が同一化させられていく感覚、禅的な体験というのは言い過ぎかもしれないが、感動させられたのは事実だ。
写真は「金沢を観光してみたいかも」より。該当箇所は「撮影はご遠慮下さいとの但し書きがあった。
ということで関連書籍を今いろいろ借りたりしているが、中々読む時間がない。元来やる気がなくだらしのない人間なので、リモートワークは無駄に時間がかかってしまい、寝て起きるか仕事するかになってしまっている。
そういう意味でも、やはり孤独を欲しているところがある。どこかで有給をいくつか連続して取って考える時間を作りたい。
5月には友人と山に登る予定なのでそれも楽しみだ。余計に今書いたようなことは傾倒していきそうな気もするが。
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