The Strange Thing About Johnsonsの感想と思想への迫害について

話題になっていたこちらのアリ・アスター監督の卒業制作を見たので、ここに感想を書き連ねようと思う。この方の作品を観るのは初めてで、他作品との関係性などは分からないので、あくまでもこの作品に対する素人の感想であること前提です。

愛している人間への態度という普遍性

この作品は、家族という切っても切り離せない構造の中での加害の異常さと恐ろしさをテーマにしているのだと思うのだけど、わたしが観終わって一番に感じたことは、性愛の対象とその構造の異常さではなく、愛している人間に対する態度が理解不能ということだった。

自分と相手が相思相愛であると思い込んでいて、その上で「自分を拒もうとする」「告発しようとする」ことを脅す、怒鳴るという威圧的な行為で無理やりやめさせるのが恐ろしかった。妻よりも愛しているという自信を持ちながら、屈服させようとしている自覚を持たず、むしろ「相手だって自分を受け入れていたのに、相思相愛なのに、どちらも悪いのに、勝手に自分だけを被害者に仕立て上げている」と自身が被害者であると認識していて、わたしはその点を一番異常だと感じた。
こういう思い込みと被害妄想は決して「息子が父親を好き」という構造においてのみ起こるものではなく、性別、関係性問わず起こりうることだ。そこに陥ることに対する警戒は誰も彼もが持っておくべきだし、他人事として捨て置いていい話ではないと思う。

思想の自由と私刑

あくまでも個人の考えだが、わたしは息子が父親に性愛を抱いていたとしても、その思いを抱くこと自体はいけないことではないと思う。それを無理やり相手にぶつけ、傷つけることが駄目なのであって、その思考を抱いていることを、自分が社会に認められた性的嗜好を有しているからと言って「自分は正常であいつは異常だ!」「〇〇が正しい!」という相手に対する攻撃はしてはいけない。上記の「それを無理やり相手にぶつけ、傷つけること」はどんな性的嗜好の中であれ駄目なことには変わりがない。
嫌悪感を抱く人は当然いると思うし、それを批判する気はまったくない。勝手に正常異常を決めつけること、ある特定の思考を抱いているという理由だけで罰そうとすることが良くないと考えている。

この問題は昨今の小児性愛に向けられる目にも通ずるところがあるのではないかと思う。「小児性愛者は犯罪者予備軍なので逮捕するべき」という考えがあるが、わたしはこれはしてはいけないことだと思う。
自分や自分の所属する属性が性的嗜好の対象にされることは不快だが、不快だからといって罰していい理由にはならない。何を思考するかは何人たりとも犯せない自由だし、人民の感情のままに私刑が行われればそれはもう踏み絵と変わらない思想狩りだと思う。感情と犯罪への刑罰はある程度の切り離しがなくてはならない。

家族という構造に対しての感想があまり上手く纏まらず、この映画をしっかり観られたとは言えないかもしれないが、自身の感想はこんな感じのものだった。
観終わったあとに吐き気を催すレベルのしんどさがあったが、引き込まれる面白さだったので別作品も観てみたいと思う。


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