「一生パート」と思っていた私が在宅フリーランスになったワケ
在宅フリーランスになって2年経ちました。
小学生2人を育てながら、家族4人で暮らしています。
今でこそ、家でパソコンひとつではたらくことが当たり前になしましたが、過去の私は1ミリも考えていませんでした。
🟨「一生パートでいい」
むしろ、
「一生パートでいい」
と思ってたくらいです。
自分には何もできないと思っていたし、正直人生諦めていました。
なので、パートに選んだ場所は飲食チェーン店。
飲食チェーン店を選んだ理由はわりと単純で、下記の4つ。
そんな〝人生置きに行ってた〟私がパートからフリーランスになった5つのワケをお伝えしていきますね!
🟨フリーランスを選んだワケ
① 親がいないから
私が小学生のときに、母が交通事故で他界しています。
両親はその前に離婚しているので、親がいません。
まだ小学生だったため親戚が引き取ってくれましたが、折り合いがつかなかったことから絶縁した過去があります。
なので、いざというときに頼み込める人もいないんですよね。
〝困ったときの親頼み〟ができない中でのワンオペ育児はなかなかしんどかったですが、だいぶ強くなれました。
② 夫が数えきれないくらい転職するから
これ人に言うと驚かれますが、めちゃくちゃ転職します。
結婚してから10年ちょっと経ちますが、おそらく20回以上。
毎回それぞれいろんな理由があるようなので、もう驚くこともないのですが・・
子どもが小さくて身動きとれないときや、パート時代は相当しんどかったです。
「もう、私が外で働けばよくない?」
と何度思ったことか・・
(でも、夫は働くことを望んでいたのでガマンするだけ)
③ 嵐が活動休止したから
これは私にとって大事件でした。
ニノが嵐としてデビューしたのが中学生の頃。
嵐が2020年12月31日に活動休止。
ずっと推していて人生の半分以上当たり前にあったものが、崩れると知ったときには衝撃でした。
ニノ(嵐)以外にこれと言ってこだわりもなく生きてきた私にとって、熱量を注げるものがどこにもなかったんです。
喪失感を埋めるために「何かしたい・・・!」と考えていました。
むしろ、このできごとがなかったら今ごろも人生諦めてたと思います(笑)
ちなみに、何かで埋められないかとSnow Manのファンクラブにも入りましたが、結局幽霊部員でダメでした。
やっぱり個人的に推しは一択です。
④ コロナ禍でパート出勤が減ったから
大手なので将来安泰だと思っていたパート先ですが、コロナ禍で大打撃。
お客さんも少ないし、運営する人数もかなり絞らないといけないしで収入が落ち込むように。
一生続けられそうと思って決めたことだけど、それすらも危ういことに気付きました。
ほんと、さすがに「なんかやらないと・・」と思ったんですよね。
⑤ こもりんを知ったから
「何かしたい」
「でも何をしたらいいか分からない」
と悩んで模索していた時期(ここの迷子期についてはまた書きますね)に、
リモートワーク実践スクール「リモラボ」の代表をしているこもりん(@komorin_work)を知りました。
その時に知ったのが〝フリーランス〟という働き方。
正直言うと、当時の私はフリーランスは全く興味なくて、なろうとも思っていませんでした。
むしろ、こんな感じの考え方でした👇
そんな私が今や完全在宅のフリーランスになっていて、不思議です(笑)
最初はそんな感じでしたが、こもりんの考え方に影響を受けてリモートワーク実践スクールの「リモラボ」に参加しました。
自分の足で立つための基礎としてマインドセットやSNSマーケティングを実践しながら必死に学んだ結果、参加して3か月ほどでパート収入を超えていることに気付きました。
パートを意地でも続けようとしてたけれど、さらに力を入れて在宅で働く方を選ぶことに。
なので、フリーランスを目指したのではなく、
理想とする働き方に一番近いのがフリーランスで、いつの間にかなれていたというのが正直なところ。
🟨キッカケよりもどう生きるか
以上のように、そんなにフリーランスに対しての強い希望があったわけでもなかった私がいつの間にかフリーランス2年やってます。
「なりたくてフリーランスになる」
のはもちろんいいけど、私のように〝理想の生き方にフィットする働き方〟がフリーランスっていうのも悪くないんじゃないかという考えです。
キッカケは色々ありましたが、人生をもっとよくできそうな今の働き方にワクワクしています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
これからもがんばっていきますのでスキ・コメント・フォローなどいただけたら嬉しいです。
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