終末くらいはちゃんとして

朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

こんな馬鹿ばかしいセリフが日常になってしまったのは、およそ一か月前に遡る。

聞いたのだ、あの声を。世界中の人達が全く同じ時間に。放送というには生々しく、神託にしては崇高さのカケラも無い声を。

『『今月末でこの世界は終わりを迎えます。つきましては、皆様ご準備をお願い致します。』』

——

「指向性スピーカーでは無理ですよ。世界中の人に同時に?聴覚障害者の人も聞いたと言ってるんですよ?」
ワイドショーのコメンテーターが言う。

テレビでは初めて”声”というものを聞いた障害者の人のインタビューが流れていた。

「あの声」の主は誰なのか?そもそもどうやって世界中の人に伝えたのか?人に合わせてご丁寧にも少数言語や方言まで使って伝えてきた「あの声」に対し、世界中の賢い人達がこの数週間必死に議論を重ねてきた。

しかし「あの声」が伝えてきたのは、今月末で世界が終わるということ。そして、そのための”準備”をしろという事だけだ。

「フィンランドではオンカロという放射性廃棄物を地中深くに保管する施設がありますが、そこを除染して国民を避難させると発表されていますが日本でこの様な対策をすることは出来ないのでしょうか?」アナウンサーは問いかける。

「フィンランドの人口は500万人程度です。対して日本の人口は約1億2000万。雑に計算しても24倍の規模が必要になります。まぁ、そもそもフィンランドでさえ全ての国民を収容するには全く足りないので、入れるのは30歳以下の若者と科学者等知識人やスポーツ選手等だけというかなり厳しい命の選別を行っています。この判断を日本で行うとなるとかなり難しいと思いますね」

そもそも何を準備しろというのだろう?世界が終わる時に何が起こるかも分からないのに…。

この忠告なのか宣戦布告なのかも曖昧な「あの声」の内容に、各国はそれぞれが最善と思う対応していた。

アメリカ、ロシア、中国は「あの声」を異星人からの宣戦布告と見なし、ISSに防衛設備を運び込んでいるという。

大国はそれぞれ”自分達の仕業ではない”という事を確認しあい、疑われるような軍事行動の禁止および、ハドロン加速器やウイルス研究所等人々に不安を与える施設をしばらく閉鎖する調印が早々に締結出来た事で大きな混乱が無い事は救いだったと言える。

それでも、北欧のある国では集団自決をした村が出たり、北朝鮮ではこれは最高指導者による超能力であるとするプロパガンダを展開したり、南米やアフリカの一部では暴徒化して一時無政府状態になったが、今は少し落ち着いてきているようだ。

「ではここで、14時30分気象庁発表の各種観測データの値を見てみましょう。地磁気および地殻変動に異常な値は見られません。大気圧、二酸化炭素濃度共に正常。海面上昇値も正常。オゾンホールも僅かな拡大が見られますがいずれも正常。
続いて国立天文台の14時発表の観測データです。急速に接近する地球近傍天体は観測されていません。太陽フレアに異常な動きは見られません。」
「あの声が聞こえてから、割と直ぐに政府へこれらのデータを公開するようになったのですが、特に何かが起こる気配が無いようですが、先生はどう思われますか?」
コメンテーターがゆっくりと語り出す。
「私はね、あの声は異星人の警告だと捉えています。図らずもこの様な事が起こって、地球のバイタルデータと言って良いものを皆んなでつぶさに監視している訳ですよ。平時には誰も目を向けなかったものを。健康診断と同じで、異常が有れば直ぐに行動を起こす事ができるんです。自分達の住む星の様子を常にみんなが気を配っていかないといけない。そうしないと、本当に世界は終わりを迎えてしまうぞ。そんな風に言っているように思えてならんのですよ。」
「なるほど…。本当に先生の言っているようなものである事を願います。SF作家の宙山宇一先生でした!ありがとうございました!」
「一旦CMになります。」

——

しかし、この日も、次の日も次の次の日も「世界が終わる」兆候は何も現れなかった。

何が起こるのか?本当に何か起こるのかも判らないまま、もしかすると最後になるかもしれない日々を、宙ぶらりんの気持ちのまま世界中の人々は過ごす事となった。

かくいう「私」もこの春就職して東京で一人暮らしをしていたが「あの声」を聞いた日から両親のいる実家に一時的に戻っている。かと言って、もし何も起きなかったらと考えると仕事を辞める訳にもいかずテレワークをしながら、終わるかもしれない世界に対し、曖昧な別れを告げながら過ごしていた。

というのもSNSを見れば、様々な考察や陰謀論が飛び交う中でこの様な話を見かけたからだ。

“胡蝶の夢”

この現実は実は蝶が見ている夢なのではないかという中国の古典だが、転じていわゆるシミュレーション仮説、つまり我々の意識はコンピュータシミュレーションでしかないという例にも用いられる。

今時はB級SFでも扱われないテーマだが、何故か腑に落ちてしまうところがあったのだ。

うっすらとした世界の終わりに対する確信を持ちながら最後の時間を過ごす。これが「準備」なのかなと思った。

——

そして「私」が世界と小さな別れを繰り返しながら、最後の日を迎えた。

いつそれが起こるか分からないので、まず大騒ぎになったのは日付が変わる時。カウントダウンよろしく渋谷に大勢の人が集まり、スクランブル交差点で最後の人暴れかのように乱痴気騒ぎが起こったが、結局何も起こらず午前1時になり、そろそろと解散していった。

その後一日中、何度か騒ぎが起こったが結局

「世界は終わらなかった」

——

結局3日経っても世界は終わらず、誰もが忘れかけていた時に再び「あの声」が聞こえた。

『『大変申し訳ありません!!不慮の事態により、予定していた「世界の終わり」を3日後に延期致します!みなさんは引き続きご準備をお願い致します。』』

延期?世界の終わりを?
あまりにもふざけている。

返してほしい。
世界中の人達の必死の準備を、本当に終わるともわからない中それでも自分の人生に区切りをつけようとした気持ちを。

何処にもぶつけることが出来ない怒りを抱えながら、それでも延期予定の三日後を待ったのだった。

——

…だが、そんな気持ちとは裏腹に「あの声」は締め切りを守れない小説家の様に、世界の終わりをその後も何度となく延期した。

『『たびたび申し訳ありません…』』
『『来週には必ず!』』
『『お詫びの言葉もございません…』』

一体これは何なのだろう。
次の「世界が終わる予定日」は来月の7日らしいが、もう誰もその「声」に耳を貸さなくなっていた。

そして、不快な「あの声」が聞こえることが、もはや日常になっていたある日、再び「あの声」が聞こえてきた。

みんなが、またか…という思いで聞くとなく聞いていたのはこんな話だった。

『『大変お待たせ致しました!予定より少し早いですが、これより世界を終了致します。ご迷惑をおかけしまして大変申し訳ありませんでした!』』

そうして世界はブレーカーを落とすように終わった。

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