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船を漕ぐ

 船を漕ぐ。 

広い海に漕ぎ出した船は、どこへ向かうでもなくゆらゆらと海面を漂う。
『船を漕がなきゃ』という使命感だけ頭の中にはっきりと浮かんでいる。
どこへ行くのか、何を成したいのか。 それは私にも理解できないけど、ただ、漕がねばならない。
小さな島を見つけたり、 イルカの群れと並走したり、 同じように船を漕ぐ人と出会ったり、 太陽が眩しかったり、 太陽が沈む水平線がオレンジに染まったり、 夜の闇の中月だけが美しく輝いてたり、 いろんな思い出が胸の中に溜まっていく。

 船を漕ぐ。
たくさんの出会いや、たくさんの思い出が私を動かす源となっている事に気づく。
何かを成したいのではなく、何処かへ行きたいのではなく、私は船を漕ぎたいのだ。
太陽が昇って、沈んで、月が輝く。 それだけで私の胸はときめき、先へ先へと船を進ませる。
これから出会う誰かや、これから起こる何かに期待してひたすら進んでいる。 

船を漕ぐ。
今日も私は船を漕いでいる。 ふ、と気がつくと船に水が溜まっていた。
どうやら今まで乗せてきたたくさんの思い出や、受け取った宝物の重さで、船が傾いているらしい。
私は今まで集めてきた大切なものを選んで捨てるなんてことは出来ない。 そうこうしているうちに、船はどんどん海に沈んでいく。
どうやら船の底に亀裂が入って、そこからも水が入り込んでいるらしい。
でも私は船の底を修理する技術を持ち合わせていない。 それでも私は船を漕ぐ。
そうする事でしか自分の存在意義を認識出来ないから。 

漕ぎたいのだ、まだ、まだ、私は腕を動かす。 こんな所で沈みたくない。
もっと先の景色を見てみたい。 船の中の水を掻き出す。わずかでも船が軽くなるように。
普段、信仰心のカケラもない癖にこんな時だけ神頼みだなんて図々しい事はわかっている。
だけど神よ。もし存在するのであれば、 重さと高波に耐えられる強い船を、 船底や帆を直す為の知識を、 私に与えてくれ。
こんな所で、一人ぼっちで沈むのは嫌だ。 負けるわけにはいかない、海の藻屑になんかなってたまるか。
塵みたいなちっぽけな存在かもしれない。 それでも私は船を、漕ぎたいのだ。
頼む。 また、昇る太陽を、水面に映る月を。
明日も、明後日も、その先も拝みたいのだ。
頼む。 

私は、船を、漕ぐのだ。



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