「獣の様に」「野獣の様に」と言う表現

この表現って「え!それってほんと?」「調べてみた」

良く、「獣の様に〇〇した。」「野獣の様に〇〇った。」と言う表現が、特に成人向けの小説等での表現に、使われてきたと、思います。最近その様な小説、文学作品等を、読んでいないので、最近の事は、解りませんし、今迄もそれ程多くの文学作品や小説を、読んできた訳ではないので、正確にどれ位使われて来たとも言えません。しかし、使われている事、使われて来た事も確かです。
 そこでですが、本当に「獣、野獣」は、凶暴であり、残酷であり、貪欲なのでしょうか。
多くの野生生物の生き方を見ていると、先ずは生命維持の為の、他の生命の摂取の仕方、要するに食事の仕方から見てみると、自身、同じ群れの仲間達がその場での食が満たされれば、他生物の無駄な殺傷はされない。無駄に殺傷し続ければ、生態系が崩れてしまい生物全体の生命維持ができなくなってしまうので、本能として無駄な殺傷は、致しません。
「OSO18」(Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/OSO18)の様な、例外的な事例。明治時代の北海道開拓時期の「三毛別羆事件」(Wkipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/��%8
9%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6)
もありますが、此れ等は、人間の開拓等、野生生物の領域を犯した事等、人間側の問題が疑われます。
必要以上の食事摂取を例としたならば、人間が飼っているペットの肥満の方が、問題です。嘗て、帯広のビジネスホテル一階にあった、レストランに飼われていた確かグレートデンは、丸々と太っておりました。
最近のペットでは、酷い太り方をしているペットは、余り見なくなりましたが、野生では、存在いたしません。
 ライオンの雄は、群れの主になると、以前の群れの主がもうけた子ライオンを、殺すとか、ツキノワグマもヒグマも雌熊と交尾すると、それ迄交尾した雌熊が育てていた小熊を殺す。その為、生後1年目の小熊を育てている雌熊は、雄熊を、とても警戒し、遭遇しない様に注意している。
鷲鷹目の子育て時、先に生まれた雛は、未だ生まれ出る前の卵を、巣から落とす、後から生まれた雛を、巣から落として育っていく等の事は、ありますが、多くの生物としては、この様な事は、例外的な事例です。其れも、此れ等は、厳しい自然環境の中、自分達の遺伝子(DNA)を、残していく為仕方なくしている事です。
其れより問題は、人間の行いです。此処では、書き切れないので、以下にWikipediaのURLを、記しておきますので、参照してみてください。物凄い「大量虐殺」の量です。この中には、「南京大虐殺」と言う疑わしいもの(当時20万人しかいなかった南京で、30万人もの虐殺を、した等の中共の記述。石平氏が、南京に住んでいる友人からその様な事を、聞いた事がない、そんなに殺されたならば、あるべき遺骨が、何処にもない等の話から)もありますが、米国が行った焼夷弾による日本各地の爆撃、広島、長崎への原爆投下は、現実のものです。(大量虐殺:Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/大量虐殺)
 性的表現にも使われる「獣の様に」「野獣の様に」の様な表現。これについても、野生生物は、無駄な交尾は、致しません。其れより人間の侵略に於ける強姦等は、筆舌に尽くし難いものがあります。
この様に「獣の様に」「野獣の様に」との表現は、「獣」や「野生生物、野獣」を、貶める表現です。何も勉強していない文学者、著述者、小説家による悪意のある表現方法です。
「獣の様に」「野獣の様に」と、表現したいものに対しては、「人間の様に」「文明社会の人間の様に」(多くの野生に近い生き方をしている人々には、文明社会の人間の様な虐殺は、見られません)との表現するべきだと、私は、思っております。

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