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[やさしい庭] ー Summer Note ー

その洋館の前を通るたび、裏庭が少しだけ見えた

庭になんか興味を持つタイプじゃなかったのに

この庭だけはもっと見てみたいという衝動に駆られる

そう思いながら、いつもその洋館の前を通り過ぎていた


ある日、いつものようにその洋館の前を通り過ぎようとしていた

その日はとても暑く、空はどこまでも澄み渡る天色をしていた

今日は何かいつもと違う

暑さでぼんやりしながら

洋館を見ていた

ーあぁ、これかー

門扉が開いている

入りたい・・・庭を見たい・・・

頭がぼんやりしているがどこか冷静で

他人の家に無断で入ることが罪になるといことは分かっていた

入りたい・・庭が見たい・・

少しだけなら

門に吸い寄せられるようにすーっと中へ入った

悪いことをしている、でも、と自分に言い訳をしながら裏庭へと続く道を歩いた

裏庭に入る前には呼吸を整えた

そこがなんだか神聖な場所に感じられたからだった


一歩庭に足を踏み入れる

そこはやさしい庭という言葉がとても似合う場所だった 

草木花がサーッと風になびいて

頬を撫でる

その風に乗って、ふわっと良い香りが漂ってくる

そんな庭だった

庭の光景をまのあたりにして、しばらく立ち尽くしていた

ふと、木陰で居心地の良さそうな椅子に揺られながら

女性が本を読んでいるのに気がついた

まずい

でも、今なら女性に気づかれずに庭から出でいけそうだ
 
そう思って、そーっと戻ろうとしたとき

女性が本の世界から顔を上げて

こちらと目が合った

思わず、何か言わなくてはという気がして

『ひとの家に勝手に入るようなそんな趣味はありません』

何を言っているんだ、自分は

『そう・・・そこ、暑くないですか?』

と訊かれ、急に汗が出できた

それが暑さのせいか、それとも冷や汗なのかは分からなかった

『こちらにいらしたら?今冷たいものをお出ししますね』

『はぁ・・・』

気の抜けた声が思わず出た

あまりにも警戒をしないので心配になった

『今日は朝から暑いと聞いたので、ハーブウォーターを仕込んでおいたんです』

『どうぞ、召し上がってみてください』

『お口に合わなかったら、無理はしないでくださいね』

『その時は他のものをお出ししますね』

『はぁ・・・』

呆けたような声がまた出た

ハーブウォーターは涼やかな見た目をしていた

硝子の水差しに入ったみずみずしいハーブが、透明な水の中で鮮やかに輝いていた

水差しからシンプルな硝子のティーカップ に注がれる

ティーカップ を持つとひんやりと冷たくて

今日みたいに暑い日にはもってこいだなと感じた

涼やかで美しいハーブウォーターに心を奪われながら

ひとくち飲んでみる

『水差しの中には、レモンバーム・レモングラス・ペパーミントが入っています』

ー美味しいー

レモンバームの爽やかでスッキリした味わい
レモングラスのレモンのような香りと草のような風味
ペパーミントのからだ中をスーっと涼しい風が通り抜けるような
味と感覚が広がった

『お口に合いましたか?』

『はい、とても美味しいです』

『それは良かったです』と笑顔で言われる

女性はたしかに大人なのにどこか子どものようなそんな感じがした

ー良い香りがする庭だなー

ふと、庭の香り以外にも香りがすることに気がついた

それは女性から漂う香りだった

『あのー香水をつけていますか?』

『うん?あぁ』

『コットンに精油を落としてティッシュで包んだモノをポケットに入れているの』

『精油の香り』

『おかむらさきという品種から抽出したラベンダー精油 と
ユーカリ・グロブルスの精油を落としています』

その香りは、さわやかで透明感のある優しいフローラルな香りの中に
深呼吸したくなるようなシャープでクリアな香りがした

やさしく心地よい庭 と さわやかなハーブウォーター
女性が身に纏う精油の香りに癒された

ーこんなに癒されたのは、いつぶりだろう・・・・ー
そんな風に思っていた

『心もからだもゆるみましたね』
女性がやさしく心地よい声で話した

『今の時代はとても忙しく、ゆっくり休まる時間がありませんね』

『ゆっくりして下さいと言われても
どうすればいいのか戸惑ってしまう方も多いんです』

『時々門扉を開けているのは、誘われるようにこの裏庭へやってくる方のため』

『日頃、心もからだもすり減らしながら生きているそんな方に
お茶をお出ししているんです』

『お茶を飲んでいるわずかな時間だけでも癒されるようにと願って』

それが彼女との出会いだっだ

いつ間にか、陽が傾き、空は茜色に染まり、黄昏時になっていた

自分も名乗らなかったし、彼女にも名前を訊かなかった

また門扉が開いてここへ戻ってくるような気がしたから・・・

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