キラキラ

その女の子は、とても可愛らしい子だった。いつもかわいいお洋服を着て、かわいい髪飾りをつけて、にこにこしていた。泥だらけになりながら遊んでいた私とは対照的な子だった。

公園でブランコに乗る私の隣に、その子はやってきた。一緒にブランコを漕ぐ。子どもとは単純で、そんなきっかけで友達になり、毎日一緒に遊んでいた。

ある日のいつもの公園、私が先にブランコを漕いでいると、その子がやってきて、私にぬいぐるみを渡した。その子の手には、私が渡されたぬいぐるみと色違いのリボンをつけたぬいぐるみがいた。その日から、私は毎日そのぬいぐるみと過ごした。そして、その子と部屋で遊ぶときは必ず連れて行った。

私にとって、その子と遊んだ時間は、いつだってキラキラと輝いていて、お揃いのぬいぐるみは宝物だった。

でも、そんな日々はある日突然終わった。その子がいつもの公園に来ない日が続き、母親に泣きながら問いかけ、その子が引っ越しをしたことを知った。幼い私は事情もわからず、ただその子が私の元から去ったという事実に悲しんでいた。

今となっては、きっと事情があったことを想像することができる。でも、あの時味わった寂しさや絶望を拭うのは難しかった。

久喜文宏は、香織を守るために様々な行動をとった。社会的、倫理的な観点では褒められることではなかったとしても、彼は香織の幸せを一番に願い、そして彼女と関わらない人生を選択した。そんな彼が、悪の循環の中で見つけた生きることへの答えが、「大切にしたい記憶のため」であった。

文宏の出した答えは、私の捉え方を一変させた。別れの瞬間を見て絶望していた私が、本当に思い出すべきは、2人で遊んだ日々ではないか。それが私にとっての「大切にしたい記憶」だ。

文宏が香織との日々の記憶とともに生きるのなら、私は彼女とのキラキラした日々の記憶で生きよう。それは、私が生きていく理由になるはずだから。

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