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明日

 十月、クリスマスケーキの予約案内板が置かれている。いつもは何の気なしに目にしていたその案内板が、やけに視界に入る。「明日も生きたいって自然と思える人」のために存在している、あの案内板。

 私は、幼少期から祖母と過ごす時間が長かった。いわゆるおばあちゃんっこ、だ。小学校からは自宅ではなく、近所に住む祖母の家に帰っていた。今日も、明日も、明後日も、そこに行けば祖母に会えることを、意識すらせずに。

 いつものように祖母の家に帰ったあの日。角を曲がって祖母の家が見えた瞬間、いつもと違う景色に立ち止まった足を動かせずにいた。母が私に気付いて呼びかけるまで、頭のなかはひどい吹雪のようだった。

 急性心不全。大人たちがそう言っていた。心臓の病気で、昨日までいっしょにお茶を飲んでいた祖母に、もう話すことも、触れることもできないのだと理解した。私の時は止まった。祖母がいない明日をどう過ごせばいいのか。学校の帰りはいつも通り祖母の家に足が向かってしまう。かなしい。さみしい。なんで。いつも一緒だった祖母に置いていかれたような孤独感に飲み込まれていた。

 祖母の自宅の整理をしているとき、写真アルバムと、入りきらなかったたくさんの写真が見つかった。そこに写る祖母と私。私を見つめる祖母。あたたかな光に包まれるようだった。祖母は私を置いて行ったりしない。そのことを私が1番知っている。ひとりじゃない。今も、私は祖母に愛されていたという記憶で生きている。祖母が私を愛してくれたよう、今度は私が誰かに愛を与えるために。

 ひとりで生きていくのは、ひどくさみしい。人とのつながりを信じること、年末のイオンを楽しめること、明日生きていたいとこの星で生きていくこと。私と祖母と、夏月と、佳道も、一緒に。

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