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立浪和義プロフィールクイズ

12月22日(水)19時より、名古屋・伏見地下街の長者町ラビットにて、イベント「ミスタードラゴンズ監督就任をゆるーく語ろう&第2回ゆるーいドラゴンズクイズ」を開催します。それに先立って、スペース(ツイッターについているおしゃべり機能)で出した「立浪和義プロフィールクイズ」を転載します。こちらは大山が考えた分のみです。

正解は後半に掲載しますので、何問正解できるかチャレンジしてみてください。結果はツイッターでハッシュタグ「#ゆるいドラゴンズクイズ」で共有してくれるとうれしいです。イベントへのお申込みもお待ちしております。(文中敬称略)

ここから問題です

Q.1 立浪和義が通っていた幼稚園の先生だった中村さんは立浪和義をどんな子だと語っていたでしょう?
1. 無口で大人しい子
2. やんちゃで元気な子
3. やらなければならないことはしっかりやってからでないと次のことをしようとしない子

Q.2 立浪和義は小学生の頃、硬式少年野球のチームに入ることを一度拒否しています。理由は何だったでしょう?
1. サッカーに夢中だったから
2. 兄とは違うチームに入りたかったから
3. 坊主頭にするのが嫌だったから

Q.3 立浪和義が入団した茨木ナニワボーイズは厳しくて有名だったそうですが、練習中に禁止されていたことは何だったでしょう?
1. 笑うこと
2. 声を出すこと
3. トイレに行くこと

Q.4 立浪和義が中学時代に所属していた部活は何だったでしょう?
1. 演劇部
2. 放送部
3. 囲碁将棋部

Q.5 PL学園時代、同級生の片岡篤史が寮の屋上に上がって実家のある京都のほうを眺めてしみじみ泣いていたとき、立浪和義がかけた言葉は何だったでしょう?
1. 片岡、泣くのは甲子園で優勝してからにしろや。
2. 片岡、そんなに帰りたかったら帰ってもええで。
3. 片岡、そっちは和歌山や。京都は反対や。

Q.6 立浪和義の背番号といえば「3」ですが、「3」を選んだ理由は何だったでしょうか?
1. 長嶋茂雄に憧れていたから。
2. 清原和博に憧れていたから。
3. もともとカッコいい数字だと思っていたから。

Q.7 立浪和義が新人時代、沖縄キャンプの宿舎で行われたファン相手のカラオケ大会で熱唱したのは何の曲だったでしょう?
1. 中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」
2. ハウンドドッグ「フォルテシモ」
3. 安全地帯「悲しみにさよなら」

Q.8 立浪和義が新人時代、ベロビーチキャンプでドジャースナインにつけられたあだ名は何だったでしょう?
1. 飢えたオオカミ
2. 身軽なプレイボーイ
3. 手抜きのチビ

Q.9 立浪和義がプロ入りして最初の母の日に最愛の母にプレゼントしたのは、カーネーション、指輪ともう一つは何でしょう?
1. 車
2. 自分が活躍した試合翌日の中日スポーツ
3. ドアラのぬいぐるみ

Q.10 立浪和義はプロ入り1年目のオールスターに出場し、初打席初安打を放つなど活躍してある賞を受賞しました。なんという賞でしょうか?
1. ハッスルプレー賞
2. ヤングスター賞
3. フレッシュマン賞

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ここから解答です

Q.1
答え:3
 足が速くて中村さんが追いかけても追いつけなかったそう。
出典:『ベースボールアルバムNO.91 立浪和義 躍動するゴールデンルーキー』(ベースボールマガジン社)

Q.2
答え:3 
五厘刈りにしなければいけないのが恥ずかしかった。結局、算盤塾をやめてもいいという条件付きで入団した。
出典:『負けん気』(文芸社)

Q.3
答え:3
 練習中、チームメイトが「大に行きたい」と訴えたが監督に「ダメ!」と却下されて立浪少年は驚愕したという。多田監督の教えは「朝、練習前にトイレに行く習慣をつけろ(練習の準備を怠るな)」というものだった。
出典:『負けん気』(文芸社)

Q.4
答え:2
 茨木ナニワボーイズでの野球に打ち込むため、負担の少ない部活動を選んだ。実際にマイクの前で喋ったかどうかは不明。
出典:『ベースボールアルバムNO.91 立浪和義 躍動するゴールデンルーキー』(ベースボールマガジン社)

Q.5
答え:3
 立浪さんの冷静ぶりを物語るエピソード。他の寮生が屋上に上がって泣いていても、立浪さんは一度も泣いたりせずに練習に没頭していたという。
出典:『週刊ポスト』2015年5月8・15日号

Q.6
答え:3
 実際に少年時代に憧れていたのは王貞治。PL学園時代の先輩、清原和博も背番号3をつけいていたが、特に言及はなかった。
出典:『負けん気』(文芸社)

Q.7
答え:2 
「翼の折れたエンジェル」は入場曲として使用。PL学園時代、辛かった頃によく流れていた曲だから、というのが理由だが、「フォルテシモ」も同じ85年の曲。この年の曲に思い入れが強いのかも。ほかに安全地帯の曲がカラオケの十八番だったらしい。
出典:『ベースボールアルバムNO.91 立浪和義 躍動するゴールデンルーキー』(ベースボールマガジン社)

Q.8
答え:3
 ベロビーチキャンプで星野仙一監督の目が届かない場所ではペースを抑えており、ドジャースナインがバッティング練習をうながしても「ノーサンキュー」のポーズをとったため、このあだ名がついた。記者は「新人ながらペース配分を熟知している」と激賞したが、後にベロビーチキャンプで故障していたことが明らかになっている。
出典:『ベースボールアルバムNO.91 立浪和義 躍動するゴールデンルーキー』(ベースボールマガジン社)

Q.9
答え:3
 ドアラが誕生したのは1994年だと思われがちだが、マスコットとして誕生したのが1994年であって、1987年からホームランを打ったときにもらえるぬいぐるみとしては存在していた。立浪も自身がホームランを打ったときにもらったぬいぐるみを母にプレゼントしている。
出典:『ベースボールアルバムNO.91 立浪和義 躍動するゴールデンルーキー』(ベースボールマガジン社)

Q.10
答え:2
 副賞は賞金10万円とカラオケセット。なお、このヤングスター賞はウィキペディアにも掲載されておらず、グーグルで検索しても存在が確認できない。あらためてインターネットの限界を思い知らされた。
出典:『ベースボールアルバムNO.91 立浪和義 躍動するゴールデンルーキー』(ベースボールマガジン社)


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