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卒論をひっくり返して歴史学を考察してみた

「ジョルジュ・デュビーの集合表象論」

私は一応、大学で西洋史を専攻しましたけれども、「どこの国の歴史?」とか「いつごろの歴史?」とか聞かれても、自信を持って答えられない軟弱者です。あえていうと「史学史」を研究しましたが、「史学史って?」と問い詰められると、もうしどろもどろになってしまいます。

というわけで今回は、卒業論文をひっくり返してみました。論文のタイトルは「ジョルジュ・デュビーの集合表象論」です。卒業論文をあらためてひも解くことで、ちょっとは私の歴史観が整理できるかなと思って記事を書くことにしました。そんなことに興味ないよと言われるのがオチですが、まあとりあえず始めてみようと思います。

アナール学派について

ジョルジュ・デュビー(1919‐1996)はヨーロッパ中世史を専門とするフランスの歴史家で、アナール歴史学派の第三世代に当たります。アナール学派とは第一世代のマルク・ブロック(『王の奇跡』)とリュシアン・フェーブル(『ラブレーの宗教』)という人が1920年代に始めた学派で、第二世代のフェルナン・ブローデル(『地中海』)によって組織化されます。ジョルジュ・デュビーは第三世代で、ジャック・ルゴフ(『煉獄の誕生』)やフィリップ・アリエス(『〈子供〉の誕生』)、エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ(『モンタイユ』)など、錚々たるメンバーのうちの一人に挙げられます。


ジョルジュ・デュビー

結局アナール学派ってなんなのよって言われると、一言でいうと、ドイツで誕生した「ランケ史観」への反駁ですね。すなわち政治的事件が歴史を動かしているのではなく、長期的に持続する人々の心性(メンタリティ/フランス語でマンタリテ)や経済といった構造が歴史を動かしているというのが、アナール学派の主張です。マルク・ブロックはフランス中世から近世の長期にわたって王がらい病患者に触れると治癒するという信仰(心性)があったことを証明しようとしますし、フェーブルはラブレーの研究を通じて、16世紀の人々はそもそも無信仰なんてありえなかったのだということを示そうとします。

「事件」対「長期持続」

「事件史」を中心とするランケ史観は必然的に短期的にものごとを見ようとしますが、人々の心性や経済構造など「長期持続の歴史」を中心とするアナール史観は、論理的帰着として「政治的事件」や「人物」などを軽視することになります。フェルナン・ブローデルは「事件」や「人物」は、構造を指示するものにすぎないと考えていたようです。「織田信長が近世を作り出した」のではなく「近世の象徴的人物が織田信長だ」という考え方です。
こうしてアナール学派では「事件」や「人物」がテーマとして排除されがちになり、主に心性史において花開くことになります。例えばフィリップ・アリエスの『<子供>の誕生』は、そもそも少年期の人間を「子供」とみなす社会は近代になって誕生したのだと示そうとします。これらの研究はミッシェル・フーコーに接続されたことは容易に想像できます。

というわけで、「心性史」に偏重し、「事件」「政治」を軽視していたアナール学派ですが、ジョルジュ・デュビーは突如として『ブーヴィーヌの戦い』を発表します。フランスにおいては一大政治的事件であるブーヴィーヌの戦いをテーマとしたことで、同僚たちは「驚愕」「憤慨」したかもしれないとデュビーは回顧しています。

『ブーヴィーヌの戦い』

私(光山)は、このことに注目し、ジョルジュ・デュビーの歴史観を卒業論文のテーマにすることにしました。しかし結論からいうと、ジョルジュ・デュビーの歴史観は、アナール学派の伝統から一歩も出ていません。
デュビーによるとブーヴィーヌの戦いは、「以後数世紀にわたるヨーロッパの運命を決定した」とまで書いていますが、戦いはその時代背景を説明する材料にすぎないし、戦後については史実が伝説へと変容する様を観察しているのにすぎません。「13世紀ヨーロッパの象徴的事件がブーヴィーヌの戦いだ」という考え方ですね。

ブーヴィーヌの戦い



ですが、ブーヴィーヌの戦いは、国王対国王の神権を巡る聖戦であり、要はイデオロギーを巡る戦いだったわけです。デュビーもそれを示唆しています。それなのにデュビーはやはり「政治的事件」というとらえ方を避けるのです。

デュビーは別のところで次のように述べています。

『ブーヴィーヌ』の中で私が関心を持ったのは出来事それ自身ではないし、その政治的な影響でもありません。「事件」は大変よく知られていましたし、フランス科学主義歴史学派は19世紀末から20世紀初頭にかけて資料をくまなく研究しつくして、言うべきことはすべて言ってしまいました。私はそれを復唱するつもりなどありませんでした。

感性の歴史

「事件」や「政治」の影響について、デュビーは関心がなかったのです。

人物についてはどうでしょうか。「レオナルド・ダ・ヴィンチがルネサンス文化の流れを作った」という考え方を、デュビーは持っているのでしょうか。

デュビーはこう述べています。

歴史の流れをよぎってその人物が現れたということが、根本的な変革の波を生み出さずにはおかれないような革新的な個性が存在するということは、異論の余地のないことに思われます。

歴史家のアトリエ

革新的人物は存在するというです。しかしデュビーの著作を通じて、人物が歴史に与えた影響について考察することはついにありませんでした。

個体は、集合体について教えてくれるかぎりにおいて、私の関心をひくのであった。つまりこの本(『ギヨーム・ル・マルシェル』)の真の主題は、ギヨームではなく、騎士集団およびその思想、彼らが尊重すると主張していた価値なのである。

歴史家のアトリエ

デュビーは「傑作」「天才」という言葉が不適切だとも述べています。

「傑作」という言葉は、実は、不適切なのです。というのもその言葉には例外的であるという側面を際立たせ「天才」と呼ばれるものの介入によって歴史的分析には還元できないものが出現していることを強く印象づけるからです。

歴史家のアトリエ

というわけで、デュビーは歴史的要因としての「事件」と「人物」を重視することはありませんでした。くりかえすようですが、それがアナール学派の伝統でもあります。簡単に言うとランケの「事件史」ではなく、アナール学派の「構造史」を踏襲しているのです。

おわりに

いかがでしたでしょうか。私は疑問に思いますね。私のような凡人が歴史を変えるとは思ってないですけれども、スティーブ・ジョブズとか、アインシュタインとか、例外的な天才が歴史を変えているのは明らかですし、日本において二.二六事件が太平洋戦争への分岐点になったのも間違いないところです。そういった事件や人物の歴史的影響を考証することは、重要だと思うのですけれども。

もちろん二・二六事件から垣間見える当時の人々の心性を研究することもとても重要ですが、二・二六事件の歴史的インパクトを無視するわけにはいかないというのが、私の持論です。

サッカーの時間がきましたね。さようなら。

参考文献

光山忠良『ジョルジュ・デュビーの集合表象論』
ジョルジュ・デュビー『ブーヴィーヌの戦い』『歴史家のアトリエ』『中世の結婚』『三身分』(英語訳)、『歴史は続く』『感性の歴史』
ピーター・バーク『フランス歴史学革命』

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