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文化史家が「歴史的人物」を嫌うわけ

私はnoteのクリエーターさんの記事を楽しく拝読している者ですが、フォローしているあるアマチュア歴史家さんの記事に対して、「歴史学者」を名乗る人から

「人物を取り上げるのは歴史学では邪道です」

と批判されているのを読んで、大いに驚いてしまいました。根拠は「大学でそう教わったから」だそうです。

人物が歴史学において大きな関心事であることは、「ツタンカーメン」から「ゴルバチョフ」までありとあらゆる時代の伝記が歴史学コーナーに並んでいることからも一目瞭然です。そもそも中国の伝統的な歴史叙述方法である「紀伝体」は、まさに人物史なのです。司馬遷が歴史学の邪道だとすれば、歴史学とは何なのでしょうか。

私はそういった趣旨の反論を、横やりを入れる形でコメントしたのですが、「歴史学を勉強してください」と説教されてしまいました。一応スルースキルはある程度持っているので、その方とのやり取りはそれっきりです。

しかし、なぜその「歴史学者」は、人物を邪道だと考えたのでしょうか。たわいのないことと思いながら、よくよく考えてみると示唆に富んだ話のような気がしてきました。

その「歴史学者」のプロフィールには「専門は文化史」とあります。「なるほどなあ」と思いました。

イギリスの歴史学者ピーター・バークの「文化史とは何か」によると、

文化史は、かつて学問の世界のなかではシンデレラのように邪魔者扱いされており、より成功を収めた姉たちから無視されていた。

とあります。20世紀の初頭まで歴史学は「事件史・人物史」がメインストリートであり、「文化史」は邪険にされていたのです。

そのことに異を唱えたのが、フランスの歴史学者、マルク・ブロックとリュシアン・フェーブルでした。両者は1929年『年報(アナール)』(正式名称は『経済社会史年報』)を創刊し、従来の人物史・事件史に偏重していた歴史学に異を唱え、心理学から社会学までを応用した「新しい歴史学」を提唱します。
歴代のフランス王がらい病患者に手をかざすだけで病気が治るという認識が中世から近世まで続いたことを研究したマルク・ブロックの『奇跡を行なう王』が発表されたとき、同僚からは「あなたが選んだ奇妙な脇道」と指摘されました。しかしマルク・ブロックは、名もなき人々のメンタリティ(心性・フランス語でマンタリテ)が長期にわたって存続したことを示すことで、「人物・事件」を歴史のダイナミズムとした従来の歴史学に鋭く反駁したのです。
マルク・ブロックやリュシアン・フェーブルの運動は第二世代、第三世代と引き継がれ、「アナール学派」として組織化されます。その中でも、『地中海』の著者として有名なフェルナン・ブローデルは、歴史には三層の流れがあり、表面には人物・事件が漂っているものの、その下には経済・社会・政治があり、さらに下には地理・環境が長期的に持続している、としました。そして「個人と事件は基本的に重要性を持たないのだ、ということをはっきりさせることによってはじめて、それらの意味を理解できるように彼は仕組」みました。
ブローデルの言説は一大センセーションを起こしました。「脇道」であった文化史が、「王道」であった事件史・人物史を追い落としにかかったと。

さて、ここでnoteの「歴史学者」のコメントに戻ります。「人物を扱うのは歴史学では邪道」だという彼の信念は、実はここから来ているのではないでしょうか。ひょっとしたら彼の大学の文化史の先生が「(歴史的)事件・人物は重要ではない」としたのを、「ああ、人物史は邪道なんだな」と曲解したのかもしれません。
しかし、アナール学派が登場して100年、「事件史・人物史」は復権を果たしています。長期的持続を是とするアナール学派自身も「事件史・人物史」を積極的に取り上げるようになりました。第三世代のジョルジュ・デュビは「ブーヴィーヌの戦い」から、当時の心性と、それが伝説としていかに変容したのかを研究しています。事件や人物を歴史の決定要因とする従来の歴史学とは程遠いものの、「人物(や事件)を扱うのは歴史学では邪道」とは、現代では考えられていないのです。

noteの「歴史学者」は、「ここは日本なのに、英語の文献を取り上げている」とも批判されました。ですので、フランスの文化史を根拠に説明するのも「邪道だ」とされるかもしれません。しかし、それでは西洋史学を専攻する私を含めた人たちを全否定してしまっています。というわけで、反論を試みてみました。

参考文献
ピーター・バーク『フランス歴史学革命』、『文化史とは何か』


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