TVディレクター河野啓氏のメディア人としての資質を問う

栗城史多という登山家をご存じだろうか。「七大陸最高峰単独無酸素登頂」を謳い、最後のエベレストに8回挑戦するも敗退、最後は滑落死を遂げた人物である。当初は「ニートのアルピニスト」を自称し、「夢の共有」と「NO LIMIT」(限界はない)という合言葉を若者に呼び掛けて絶大な支持を得たが、彼の登山家としての資質、本当に「単独」で「無酸素」なのかという疑惑、そして挑戦しては敗退を繰り返すことから、次第に支持を失い、むしろ「プロ下山家」などと酷評され、非難や中傷の的になる。その焦りから彼は無謀ともいえる南西壁ルートから登頂を目指し、帰らぬ人となる。

彼を取材した北海道放送ディレクター・河野啓氏は、著書『デス・ゾーンー栗城史多のエベレスト劇場』で、栗城史多の疑惑を、これでもかというまでに解明している。地元北海道の大学生でも登れる練習壁や山も満足に登れない登山家としての実力、神聖なるエベレストで流しそうめんやカラオケなどのパフォーマンスに興じる軽薄さ、隊員の死も慮らず、無茶な登山計画で隊員の信用を失った人間性。そして彼はオカルトや占い師に登山ルートまで決めてもらうほどに傾倒し、最後は禁断の行動に出てしまう。ここまで洗いざらい事実を集め、一気読みさせてしまうほどのノンフィクションにまとめた河野氏の筆力は、評価に値する。

しかし、メディア人としての河野氏の資質を、私は疑う。
なるほど、栗城氏を担ぎ上げたのは、ネット民と呼ばれる若者たちかもしれない。財界の大物かもしれない。もちろんセルフプロデュースに長けた栗城氏本人の力によるものも大きいだろう。
だが、最初に栗城氏をマスメディアに登場させたのは、北海道放送のTVディレクターだった河野氏自身だ。
河野氏は取材人として、多くのミスを犯している。
① 「7大陸最高峰単独登頂」という栗城氏の触れ込みを鵜呑みにしてテレビで垂れ流してきたうえ、ファクトチェックを怠った自分を棚上げし、栗城氏が自己申告しなかったことを責めている。
② 「僕の理想はマグロです」と言って「マグロしか食べない」で体づくりをするという科学的根拠のない栗城氏の活動をわざわざ1年かけて取材し、『マグロになりたい登山家~単独無酸素エベレストを目指す!』という番組にしている。
③ 河野氏自身が「神聖なるヒマラヤで」と批判しているにもかかわらず、栗城氏が女性用パンティをヒマラヤ登山のお守りにしているという事実を番組で肯定的に紹介している。
④ 「ニセ・ピーク登頂」や「ジャパニーズ・ガール発見」など栗城氏の疑惑を河野氏自身が持ちながらも、検証せず、番組をそのまま放送している。
⑤ 取材を通じて知った栗城氏の本性を河野氏の個人ブログに32本も投稿し、栗城氏サイドから取材拒否させられている。

河野氏は次のようにメディア人に呼びかけている。

栗城史多という神輿を担いだすべての記者とディレクターに、僭越ながら私は呼びかけたい。
一人称で語ろう…と。結果的にはそれがメディア全体の信頼につながると思うのだ。
――私は当初、「単独無酸素」の矛盾に気づかなかった。
――私は、「裏取り」という取材の基本も忘れていた。
――私は、映像の面白みと「夢」という心地よい言葉に乗っかって、タレントのように彼を描いた。
――私は、彼の死によって再認識した。…人間を安易に謳い上げるのは危険なことだ。その人間が「生死にかかわる挑戦」を行っている場合はなおさらだ…と。

河野氏は「栗城氏を死に追いやったのは…私かもしれない」と懺悔している。
であるからには、マスメディアの同業人に呼びかける前に、まず自分自身の番組の検証だろう。北海道テレビは、そして河野氏は、過去の番組の脚色を謝罪し、番組で検証すべきだ。ノンフィクションを書いて『開高健ノンフィクション賞』の栄誉に預かるのは、そのあとでもよかったのではないか。

河野氏の失敗はこれが初めてではない。2003年に『ヤンキー母校に帰る』という全国放送のドキュメンタリーを制作し、不良から改心し社会科教師になった義家弘介氏を全国に広めた。しかし義家氏は政治家に転向、平和憲法の大切さを訴えていたはずの彼は、愛国教育の旗振り役になった。
河野氏は「彼を描き、世に送り出してしまったことに、私はいまだ忸怩たる思いを抱いていた」。そして「『夢』を声高に語る人間には、興味を惹かれる一方で警戒心が働くようになった」そうである。
それが、この2回目の失敗である。
河野氏は、本物を見抜く力がないのだ。むしろ義家弘介氏や栗城史多氏のような「いかがわしさ」に魅了され、吸い寄らされる人間なのだ。
これからもメディア人を続けるのならば、人の本性を見抜く目を、培ってほしい。

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