見出し画像

三国志を真面目に考察してみる

先日、中国の歴史物語『三国志演義』について友人と議論したのですが、蜀の国が魏の国に侵略され滅ぼされかけた際、蜀の皇帝・劉禅が降伏を選んだのは、民のためには英断だったと友人が言うので、「いや、酒食におぼれ、政治は巫女や宦官に司らせるありさま、前線で精鋭部隊が死闘を演じている中、親征もせず、身分を保証してくれると聞くと喜んで帰順し、国が滅亡しても懐かしくもない、魏の国は楽しいと臣下の前でのたまう皇帝は、名君でもなんでもない」と反論してしまいました。いい年して、可笑しいですよね。

ところで、そのあと振り返ってみたのですが、近代国家ではないとはいえすでに中国という民族意識とアイデンティティと文化圏が存在していた当時(紀元後3世紀)、やはり内乱に明け暮れるよりは、中国の統一国家を樹立して、夷狄(異民族のこと)の侵略に備えるべきだったのではないか、と考えるようになりました。

三国時代の中国は相次ぐ戦乱、離農、疫病、悪天候に見舞われ、一説によると人口が7分の1にまで減っていました。そのような時代に、約100年に渡って内乱が起こっていたわけです。その結果、魏を簒奪した晋という国が中国を一時統一しますけれども、結果的には中国は異民族に侵略され、隋が紀元後6世紀に再統一されるまでは、異民族の侵略にさらされることになったわけです。

その考えを敷衍されるとですね、そもそもですね、「中国を三分割しよう」(天下三分の計)と計画した蜀の忠臣・諸葛亮孔明が、一転して「戦犯」になりうると思うのです。

わかってます、わかってます。私も歴史学を専攻しましたから、現代の価値観を当時に当てはめるのは危険だということは。そして諸葛亮は三国志演義においては、危急存亡の蜀においてその知略で魏と渡り歩いた神のごとき存在ということは。

それでもですね。思うのです。もし劉備が赤壁の戦いで呉の国と連合せず、蜀も建国せず、三分の計がならず、曹操の魏が天下統一していたのなら、中国は異民族からの侵略から守られ、再び平和が訪れていたのかもしれないと。

まあ、こういう想像する人、ネットでもたくさんいるみたいなので、ちょっと許してほしいのですが。

三国志演義のテーマは、「忠義」であり「仁義」であります。劉備の漢の皇帝への忠義、関羽・張飛・諸葛亮らの劉備に対する忠義、そしてそれを犯そうとする悪の曹操、という構造になっているのです。だから、人物の評価基準はいかに忠義と仁義を重んじるかということです。私みたいに現代の歴史学で考証しようというのが、そもそも不純なのですね。

というわけで、中高校時代に『三国志演義』に夢中になっていた私とは違い、歴史学を専攻し、一応学んできた人間にとっては、『三国志演義』は「卒業」です。あくまでも物語として楽しんで、でもやっぱり史実が重要だよなと考えるようになりました。つまらないようですが、でも歴史学というのも非常に興味深いですよ。そういう見方も楽しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?