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9.11はどこまでパールハーバーか―ジョン・ダワー『戦争の文化』を読む―

はじめに

ジョン・W・ダワーの『戦争の文化』の日本語訳が2021年12日3日に刊行された。副題は「パールハーバー・ヒロシマ・9.11・イラク」とあるから、一見すると日本の真珠湾攻撃、アメリカの原爆投下、アルカイダの9.11テロ、イラク戦争を同列に見立てて、共通する戦争の心性を導き出そうとする試みのように思える。しかし監修の三浦陽一が「この本の主役は(…)アメリカである」と指摘しているように、(ときおり大日本帝国を比較対象にしようとも)同著はあくまでアメリカの戦争行為を糾弾する内容となっている。だから副題は「パールハーバー→ヒロシマ」「9.11→イラク」と読むべきであり、真珠湾攻撃を許し、広島に原爆を投下したアメリカと、9.11テロを許し、イラクを侵略したアメリカの共通点と相違点、さらには因果関係をも洗い出そうという試みなのである。

この著は「開戦」「テロ」「国家建設」の3部構成となっている。すなわちⅠ部は真珠湾攻撃と9.11テロの比較、Ⅱ部は原爆投下とイラク侵攻の比較、Ⅲ部は日本の占領政策とイラクの占領政策の比較――という構成である。

Ⅰ部「開戦」


真珠湾攻撃(Wikipediaより)

1941年12月7日(アメリカ時間)、山本五十六連合艦隊司令長官が立案した真珠湾攻撃は、彼の憂慮にもかかわらず戦術的には大成功だった。しかしアメリカ国民の心理を考えると「致命的な失敗」だった。アメリカ人の士気を挫くどころか、アメリカ国民に恥辱を与え、「真珠湾を忘れるなリメンバーパールハーバー」というスローガンのもと団結させてしまったのである。スローガンの叫びは3年半後、日本が焼夷弾と原爆によって焦土と化すまで止まなかった。
大日本帝国とアルカイダは著しい相違点があるのにも関わらず、9.11事件は「真珠湾」という「記号」を再び呼び起こした。ブッシュ大統領は9月11日夜、「今日、二一世紀の真珠湾が起こった」と日記に残したが、テロに驚愕したアメリカ国民もまた、反射的に真珠湾を思い出した。「9-11、私たちは決して忘れない」という全米のスローガンが「真珠湾を忘れるなリメンバーパールハーバー」と類似しているのは決して偶然ではない。星条旗を掲げる「硫黄島の海兵隊員」と「センタービルの消防士」が並んで掲げられるポスターなども同様の記号であり、レトリックであった。ブッシュが頻繁に使用した「真珠湾」「枢軸」「ホロコースト」「良い戦争」という第2次世界大戦の言葉とレトリックは急速に広まっていった。
ただしアメリカ首脳部は9.11について「歴史は今日始まる」と捉え、60年前の教訓を生かさなかった。敵に対する人種的侮蔑と軽視(「黄色いチビ野郎ども」「このアフガニスタンのテロ野郎」)、自由主義の強要、無知などである(なおここでダワーは「戦略的愚行」を挙げ、唐突に大日本帝国の意思決定プロセスとの共通点を見出している)。テロを察知できたのにも関わらず、ブッシュはアメリカ自らが招いたことに目をくれなかった。
真珠湾がルーズベルトにとって天啓であったように、ブッシュにとって9.11事件は「棚ぼた」であった。戦時大統領として支持率が上がり、軍備増強計画を実行できた。

Ⅱ部 テロ


広島市への原爆投下(Wikipediaより)

アメリカ国民は「グラウンドゼロ」というすさまじい暴力の震源というイメージで「ヒロシマ」を「9.11」を重ね合わせる。しかしダワーは、「衝撃と畏怖」という意味でも、無差別大量破壊という意味でも、「ヒロシマ」と「イラク侵攻」こそ共通点があることを示唆する。
日中戦争における日本軍の無差別爆撃を受けて、連合国側は「民間人に対する爆撃」を強く非難した。しかしのちに「テロ爆撃」と呼ばれる空爆が、連合国によっても行われるようになる。終戦まぢかのドイツ・ドレスデン爆撃では民間人死者数は3万5000人前後とみられている。日本の家屋は燃えやすいのにもかかわらず焼夷弾で各都市を攻撃し、東京大空襲では少なく見積もって8万3493人が死亡している。
ダワーは次のように述べる。

意見が分かれる余地がないのは、一般住民にとって都市爆撃は物理的破壊ではなく、それがこのうえなく残忍な心理戦争であることを。考えられる限り最もあからさまに思い知らせたことである。それは一言でいえば、「テロ」であった。

『戦争の文化』p254

広島では13万~14万人、長崎では7万5000人が死亡したといわれる原爆投下。しかしアメリカは「戦争を終わらせ、アメリカ人の命を救う」として、原爆投下に踏み切った。
確かにアルカイダによる9.11テロは「もうひとつの取り戻せない悪」であった。しかし9.11テロに対するアメリカの無謀な対応(イラク戦争)は、汚れた偽善者というアメリカのイメージを強めたのである。

Ⅲ国家建設


対イラク戦争「勝利宣言」を行うため空母エイブラハム・リンカーンに降り立ったアメリカのブッシュ大統領(Wikipediaより)

イスラエルによるパレスチナ占領、ソ連によるアフガン侵攻などの失敗例もあるのに、アメリカがイラクを占領しようとしたのは「狂気に近い高慢」であった。しかしアメリカは、「マッカーサー・モデル」のような綿密な計画もなしに、またも日本を引き合いに出し、戦後日本の平和、民主化、資本主義化、アメリカへの追従をイラクに期待したし、そう喧伝した。

しかし日本とイラクには決定的な違いがあった。

  1.  占領の法的根拠…日本が無条件降伏し、世界各国がアメリカの占領を歓迎し、あるいは黙認したのに比べ、アルカイダからフセインに矛先を捻じ曲げたアメリカは世界の批判を浴びていた。

  2. 有能な行政組織…日本では天皇の元で軍を規律を持って維持し、すみやかに廃止されたし、統治機構は手つかずのまま残っていたのに対し、アメリカはイラク軍を解体し、元首を追放しバース党を公職追放していた。

  3. 社会のまとまり…日本では「大和民族」のまとまりという歴史観が大切に育まれ、人種的・文化的・国民的一体感があったのに対し、イラクは第一次世界大戦後、英仏の思惑によって建設された国家であり、宗教・民族・部族・地域による内部の断絶が深かった。

  4. 活力ある市民社会…1889年の明治憲法による立憲君主制、大正期の大正デモクラシー、戦争直後の国民の創意工夫があった日本に対し、イラクでは市民社会の価値観の素地、経済制裁とそれにともなう人材の国外流出があった。

  5. 空間的・時間的な孤立性…日本は島国であり、周辺国も自国の問題に専念していたのに対し、イラクはイスラム原理主義者やテロリストなどの勢力が国境を伺っていた。

アメリカはイラクにおいて、日本占領と同様に資本主義の育成を目指した。しかしその実態は、市場原理主義のドグマであった。イラク経済の資産や民生・情報収集・治安維持・建設部門のほとんどがアメリカなどの企業に売りに出され、アウトソーシングされた。腐敗と犯罪が横行した。
非軍事化にも失敗した。2003年5月、アメリカはイラク軍の既存の軍隊を全廃すると発表した。その結果、軍事的スキルをもった数十万人が放逐され、その後の反乱とアメリカへの暴力が増加することになる。

経済支援も失敗した。アメリカは2003年~2006年まで289億ドルをイラク復興に拠出した。これは戦後日本への復興支援(2005年換算で79億ドル)よりも大規模なものであった。しかし日本が直接運用にかかわったのに比べ、イラクではアメリカ以下連合国の意思決定からイラク人が排除されたため、アメリカなどによる民営化、縁故主義、腐敗がはびこった。

私見

最後に私(光山)の私見。ダワーの主張は以下の3つに要約できると思う。
1つは、日本の真珠湾攻撃により生まれた「記号」(「真珠湾を忘れるなリメンバーパールハーバー」というスローガンなど)がアメリカ国民の心性に深く刻まれた結果、そのレトリックを元に、イラク戦争などの愚行に突き進んだということ。
2つ目は、アメリカ軍による東京大空襲と広島・長崎原爆投下をはっきりと「テロ」と断罪したこと。
3つめは、アメリカによる日本占領のモデルケース「マッカーサー・モデル」は、日本の国民性などの素地があってはじめて成功したのであり、むしろ例外的なケースであるということ――である。
ダワーの究極的な目的は、パールハーバーと9.11の二つの「記号」を切断することだと、私は思う。パールハーバーの記憶は結局、イラク戦争という愚行を引き起こしたのである。そういう意味で、たとえ60年の隔たりが合おうとも、「真珠湾を忘れるなリメンバーパールハーバー」というスローガンが想起させる敵への怒りと復讐心というアメリカの心性は、第二次世界大戦からイラク戦争まで連綿と受け継がれているのであり、すなわちそれがアメリカの「戦争の文化」なのである。


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