アメリカの対ロシア政策の破局
2012年から2014年までロシア駐在アメリカ大使を務めたマイケル・マクフォールは2018年、回顧録『冷たい戦争から熱い平和へ』を発表したが、ロシアのウクライナ侵攻によって「冷たい戦争から熱い戦争へ」と進んでしまった。彼の言う「悲劇」を通り越して「破局」に至ってしまったのである。
マクフォールの回顧録は日本語版で上下600ページにおよぶ大著だが、要約すると次の数行程度にしかならない。
「民主主義は普遍的な価値であり、ロシアも民主主義を取り入れれば、平和と繁栄を手に入れられる。私たちはロシアの民主化のために努力してきたのに、プーチン大統領一人のために潰された」
民主主義が普遍的価値であるということは、表向きにはロシアのプーチンも、朝鮮民主主義人民共和国の金正恩でさえも認めるだろう。だがアメリカが押し付ける「民主主義」が、ロシア国内の人権問題や民族問題、情報統制や警察国家への批判に及ぶとすれば、話は別である。
マクフォールは、学者時代にはロシアの民主化運動のデモに参加し、オバマ政権下ではロシアの人権問題や民族紛争を公然と批判し、大使になってTV番組やツイッターでアメリカの選挙制度などについてロシア国民に直接説明した。
マクフォールはプーチンの怒りを買い、ソ連・ロシア時代を通じて国外退去になった2人目の大使となった。彼はプーチンから最も忌み嫌われたアメリカ人ということをむしろ誇りとしている節があるが、アメリカ大使としてそれは正しいのだろうか。「スパイ」と呼ばれたことに遺憾をしめしているが、直接ロシア国民に訴えかけるやり方は、スパイのそれではないのだろうか。
オバマ政権の国家安全保障会議メンバーとなった際、マクフォールらは米ロ間の「リセット」政策を提唱した。「リセット」の骨子は以下である。
プーチンの深層心理には「不安」があると多くの識者が指摘しているが、5つともロシア独裁者プーチンの不安をあおる内容ではないか。国内民主派をたきつけ、旧ソ連諸国の主権を擁護し、NATOの圧力を誇示し、石油輸入を抑制するという方針は、すべてプーチンの首を締めあげようとするような政策である。
そしてなんといっても「共通の価値観を醸成する」という驕り。アメリカの民主主義こそが普遍的価値であるという考え方自体が、そもそも間違っていたのではないか。
マクフォールは「万国の民主主義者よ、団結せよ」と呼びかけている。マルクス主義の「万国の人民よ、団結せよ」という文句になぞらえたのだろう。だがその「世界革命主義」こそが、ソ連を崩壊せしめ、そして今度は、アメリカへの不信感を強めているだけのように思える。
私は別記事で、ニクソン米大統領の対中国「関与政策」の破綻について述べた。マクフォールは「関与政策」への反省はまったくない。中国に関する言及がまったくないし、エリツィン時代には「ロシアとの協力関係が強まればアメリカの国益に資する」と、ニクソンらが中国に対して説得した同様の文言を使っている。だが中国と同様に、ロシアはアメリカの、そして世界の脅威となってしまった。
私はウクライナ侵攻について、プーチンのロシアを擁護するつもりはまったくない。プーチンは国際法に違反しているのは明らかだ。だが、マクフォールのように、ことの責任をプーチン一人に帰せるのはどうか。
訳者の松島芳彦はあとがきで、国際政治学者ジョン・ミアシャイマーの分析を紹介している。
悪いのはロシアではなく欧米だとは私は考えていないけれども、アメリカの価値観を押し付ける関与政策が、ここでも破綻したことがわかる。
異なるプレーブック(ここではリアリズムとリベラリズム)を尊重し、対等な立場で話し合うことが重要だったのではないかと思うのである。
参考文献
マイケル・マクフォール『冷たい戦争から熱い平和へ』
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