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近視のスウェーデン王、つまずく

スウェーデンをヨーロッパ屈指の強国にのし上げた「北方の獅子」グスタフ・アドルフ。彼のことを調べようと思ってグーグル検索したら、「グスタフ・アドルフ、近視」との候補が上がってしまった。それほどグスタフ・アドルフといえば、近視と、それによる死が歴史ファンにとっても衝撃的なのだろう(私もそうだ)。スウェーデン王としてドイツ三十年戦争に介入し、傭兵隊長ワレンシュタイン率いる神聖ローマ皇帝軍とリュッツェンで激突、勝利を収めたものの、総大将である当人は近視のために前線に飛び出してしまい、敵軍の弾に撃ち抜かれ、戦死してしまうという話である。


リュッツェンの戦い

ドイツの大詩人・シラーの「三十年戦史」の影響があまりにも強いのか、かえって三十年戦争を学術的に研究した著作が少ないという。私もこのエピソード、世界史の概説書でしか読んだことがない。そこで図書館に行きC.ヴェロニカ・ウェッジウッド著『ドイツ三十年戦争』(1956)を読んでみた。第7章そのままグスタフ・アドルフの行動に割いているのだが、その死の描写は間接的である。

(1632年11月16日)正午頃、スウェーデン王(グスタフ・アドルフ)の馬が、乗り手をなくし、首筋の傷の痛みから荒れ狂って、野原を走り回るのが見られた。皇帝軍の兵士たちは、グスターヴ(グスタフ)が死んだ、と叫び始めた。(…)しかし、スウェーデン側では、将校たちが、絶対にそんなはずはないと、それを打ち消した。それは、ずっと隠し通せるものでもなかった。何故なら、王はもはや彼らを指揮しておらず、そして、このことは、軍にとっては、ただ一つの意味しかもたなかったからである。
(…)しめっぽい十一月の暗さの中で、スウェーデン人は、王の遺体を探し、ついに発見した。彼は、耳と右目のあいだを撃たれ、これが致命傷となったが、ほかにも傷を負っており、短剣の刺し傷一カ所、脇腹に一発、腕に二発、そして――これが、裏切りがあったという大きな噂の原因なのだが――背中に一発の弾傷があった。彼は、激戦の濠の敵側に、装身具のつかない粗服で、折り重なった死体の下に横たわっていた。(…)

というわけで、少なくともこの1956年の著作では、近視で前線に飛び出してしまったといった描写はない。シラーの名作による脚色なのか、その後の実証検分の成果なのかはわからない。

ただし、グスタフ・アドルフが近視であったことはこの著にも明記してある。

(グスタフ・アドルフは)背は高かったが、それに比例して肩幅が広く、その高さは目立たず、堂々として、血色もよく、先端を尖らしたあごひげ、そして、暗い頭髪は黄褐色をしていた。(…)粗削りで、非常に強靭であったが、彼は動きがのろく、むしろ不器用でさえあった。(…)年がいくにつれて、彼はいくぶん、首から前に猫背となり、青い目は近視になっていた。(…)

私はこの著で印象的なエピソードは、戦死したリュッツェンの戦いではなく、彼がはじめてドイツに上陸した際の出来事である。彼は船から飛び降りて着地した際、よろめき、膝を軽く痛めたのである。
この不吉な出来事を隠蔽するために、当時の歴史家は、よろめき、膝を痛めたのではなく、グスタフ・アドルフは大地に触れるや否や、ひざまついて神の祝福を請うた、と脚色した、という。
だが、これは私の勝手な推測なのだが、このエピソードこそ、彼が近視で、動きがのろかったことの証明なのではないかと思えるのである。そしてリュッツェンで起こした軽率さすらも、このドイツ初上陸の場で表象されている気がする。
トマス・ロエは「彼は、自分の乗っている船は沈まない、と考えていた」と言ったが、勇将グスタフ・アドルフの自信と過信が見て取れるようでもある。

彼は兵といっしょに汗をかき、飢えと寒さと渇きを共にし、15時間馬に跨っても平気だった。血と汚物にまみれても、兵とともに戦った。そんな人物に歴史ファンの多くが魅せられるのも不思議ではない。彼には語りつくせない魅力がある。


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