近視のスウェーデン王、つまずく
スウェーデンをヨーロッパ屈指の強国にのし上げた「北方の獅子」グスタフ・アドルフ。彼のことを調べようと思ってグーグル検索したら、「グスタフ・アドルフ、近視」との候補が上がってしまった。それほどグスタフ・アドルフといえば、近視と、それによる死が歴史ファンにとっても衝撃的なのだろう(私もそうだ)。スウェーデン王としてドイツ三十年戦争に介入し、傭兵隊長ワレンシュタイン率いる神聖ローマ皇帝軍とリュッツェンで激突、勝利を収めたものの、総大将である当人は近視のために前線に飛び出してしまい、敵軍の弾に撃ち抜かれ、戦死してしまうという話である。
ドイツの大詩人・シラーの「三十年戦史」の影響があまりにも強いのか、かえって三十年戦争を学術的に研究した著作が少ないという。私もこのエピソード、世界史の概説書でしか読んだことがない。そこで図書館に行きC.ヴェロニカ・ウェッジウッド著『ドイツ三十年戦争』(1956)を読んでみた。第7章そのままグスタフ・アドルフの行動に割いているのだが、その死の描写は間接的である。
というわけで、少なくともこの1956年の著作では、近視で前線に飛び出してしまったといった描写はない。シラーの名作による脚色なのか、その後の実証検分の成果なのかはわからない。
ただし、グスタフ・アドルフが近視であったことはこの著にも明記してある。
私はこの著で印象的なエピソードは、戦死したリュッツェンの戦いではなく、彼がはじめてドイツに上陸した際の出来事である。彼は船から飛び降りて着地した際、よろめき、膝を軽く痛めたのである。
この不吉な出来事を隠蔽するために、当時の歴史家は、よろめき、膝を痛めたのではなく、グスタフ・アドルフは大地に触れるや否や、ひざまついて神の祝福を請うた、と脚色した、という。
だが、これは私の勝手な推測なのだが、このエピソードこそ、彼が近視で、動きがのろかったことの証明なのではないかと思えるのである。そしてリュッツェンで起こした軽率さすらも、このドイツ初上陸の場で表象されている気がする。
トマス・ロエは「彼は、自分の乗っている船は沈まない、と考えていた」と言ったが、勇将グスタフ・アドルフの自信と過信が見て取れるようでもある。
彼は兵といっしょに汗をかき、飢えと寒さと渇きを共にし、15時間馬に跨っても平気だった。血と汚物にまみれても、兵とともに戦った。そんな人物に歴史ファンの多くが魅せられるのも不思議ではない。彼には語りつくせない魅力がある。
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