記憶

春の気配がしてきました。
創業から1年経ち、なかなかnoteの更新もできず。

今日は起きた瞬間から、というより寝ている時から、なんだかすごく懐かしくて寂しくて嬉しい気持ちだったので。
忘れないために、久々に筆を(?)とりました。

夢を見ていた。
ひとつ目は、小学生の時の同級生と再会する話。
だからと言って何が起きたわけではないけど、なぜかその友達は10年に1回くらい夢に出てくる。
起きて、Facebookで名前を検索してみたけど、多分10年前の検索の時からプロフィール写真が2-3枚更新されただけで特に何も変わっていなくて。
そんなことをしているうちに、自分が大学に入学したばかりの頃を思い出して、あぁあれが青春だったのかなぁなんて胸が締め付けられたりして。
この感覚、なんでだろうかと考えてみたら、
多分あの日あの時には絶対に、戻れないことがわかっているから。
不可逆性に感じた切なさが、多分キュッとしたんだろうな。

卒業旅行でモロッコに行ったことを思い出した。
シャウエン、マラケシュ、カサブランカ、もっと色々行ったはずなのに。
写真を見れば、日記を読めば、どこに行ったか思い出せるはずだけど。
でも、その記憶はどうしてもすぐには引っ張り出せないところに入ってしまっている。
パソコンだったら検索窓で「モロッコ 卒業旅行」と調べたら、パッと、あの時の思い出が出てくるんだけど。
それができないもどかしさが、今朝突然私を包み込んだ。
ああ、私は戻れない過去を持っている。
罪を犯したとか、後悔したとかではない。
ただ「そこにあっただけの日々」に戻れないことをすごくもどかしく感じている。

うまく文章もかけなくなってる。これは多分、この一年、全然本を読めずにTwitter(とつい言ってしまう。X。)の短文ばかりに甘えていたせいだろう。
私は浅田次郎さんや、江國香織さんの文章が好きだった。
今も好きだと思うけど、どうしてもすぐに思い出せない。
こうやってボケていくのだろうか、いろんなことを忘れていくのだろうか。
そして唐突に、戻れない日々を思い出してまた切なくなったりするのだろうか。

今日は少しあたたかくて、日差しがあって。
14年前の春の日を思い出してしまった。

特に何があったわけではない「ただそこにある日々」を。
そしてモロッコに行った「ときめき」「特別だった日々」の儚さを。

また10年後に、こんな思いをしてしまうくらいなら、もう全部放棄してしまいたいと嘆いている。
放棄できないから、悩んでいる。

10年単位の話ができるようになってしまった。
大人って、なんて早さで過ぎていくんだろう。

諦めたくないけど、逃げ出したい。
そんな瞬間が時々訪れる。

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