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映画『怪物』を観て思う子どもの心


『怪物』が意味するもの(ネタバレはありません)


映画館で見逃していた映画『怪物』を
やっと昨日WOWOWで鑑賞しました。

今日は、映画から読み解く【子どもの心】
について私なりの感想を書こうと思います。

名匠 是枝裕和監督作品。
第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞等を受賞。
なにより、私がどうしても観たかった理由の
1つが、坂本龍一さんが最後に関わられた
映画音楽だからです。

誰かが《主人公》というのではなく
全ての登場人物が《主人公》として
映画は進行していきます。

映画の冒頭部分は、
「少し怖い展開?」と感じたけれど
ストーリーが進むにつれて
登場人物が抱える問題。心の闇。
みんなが抱える自己中な世界観に
引き込まれていきました。

映画を観終わって思ったこと。
登場人物全員が『怪物』なのだと
いうことです。

みんな一見、普通の一般人。
必死に一生懸命に日々を生きている。
根っからの悪人など登場しません。

でも、その心の中は
【自分を守る】ということに終始
しています。

でも、「酷い」なんて全く感じなかった
のです。
逆に「みんなそうだよね。誰も悪くない
んだよ」と心から思えたんです。

それでも、全員『怪物』です。
人は自分を守るために嘘をつく。
体裁を整える。
本当のことは誰にも言えない。

親子関係にスポットを当てる

子育てカウンセラーという仕事柄
まず一番気になったのは
安藤サクラさん演じる母・麦野沙織が
母子家庭で必死に一人息子を育てる
そんな中で起こる、息子の異変です。

私が麦野沙織だったらどうするだろう・・・
学校や息子の友人にどう対処する
だろう?
麦野沙織は最大限に息子を愛する
良き母だと思います。

でも、そんなお母さんを一人息子の
湊は『怪物』だと思っている。
それは、母も見せない心の闇を
息子・湊が知っているからです。
でも、湊は母親が大好きです。
それなのに嘘をついてしまう、
本当にあったことも、自分の本心も
何にも話せないのです。

学校との関係にスポットを当てる

湊が通う小学校の校長先生も
心に大きな闇を抱える『怪物』でした。
担任の保利先生も、今どきの新任教師を
代表するようなキャラクターです。
熱心で教育に情熱を注いでいるけれど
やや問題ありの『怪物』

学校は、問題を表面化させたくないので
穏便に、穏便に事を運ぶのに必死です。
保護者と学校の間に、心のつながりは
見えません。

今の小学校って、きっとどこも
こんな感じなんだろう、と思わせる
リアルな描写でした。

こんな学校と保護者との関係が
問題をこじらせていきます。
何が真実で、どうしたら子ども達が
幸せな学校生活を送れるのか?
そんな問題に向き合っている人は
この学校にはいません。

こんな当たり前の日常の中から
不登校や引きこもり
教師が精神疾患で休職・退職する
自殺や犯罪が起こっているのだな、
という漠然とした恐怖を感じました。

誰も芯から悪い人はいないのです。
でも、みんな自分が可愛い。
保身に走るし、相手の立場など
考えずに、表面化していることだけ
を見て、その奥の真実を知ろうともしない。

普通の日常から悲劇が生まれる過程を
映画の中で体験しました。

友達関係にスポットを当てる

主人公の二人の少年、麦野湊と星川依里は
心は相手を必要と認め合う真の友です。
でも、クラス内のいじめのせいで
お互いが仲良しであることを、学校では
決して見せません。

それどころか、無関心を装うのです。
自分がいじめの標的にされるのを防ぐためです。
そんな自分の行動が、湊の心を追い詰めていきます。

湊も依里も、家庭内に問題を抱えていて
子どもの時期に与えられるべき無条件の愛情を
与えられていません。

湊の「どうして生まれてきたの?」
のセリフには胸が締め付けられました。

この二人の少年が望んでいるもの。
それは【生まれ変わり】です。

みなさんは【生まれ変わりたい】と
思ったことがありますか?

私は幼少期に何度も考えていました。
その記憶が、麦野湊と重なって
途中で苦しくなりました。

小学5年生、10歳~11歳の
少年期はまだまだ幼いです。
心は未熟だけれど、純粋です。

大人たちの汚い思惑とは別の世界に
生きています。

それぞれの視点を俯瞰で見ると分かること

映画の登場人物全員が
当たり前ですが《自分を守る》ために
他者を傷つけています。

他者を傷つけていることにすら
気づいていません。
子どもを愛し、思い、自分の命に代えても
守ろうとしている母親の麦野沙織ですら
息子の湊のことを何にも理解できていない
のですから。

では、みんなが幸せになる方法って
あるのでしょうか?
そんなのは無理と言い切れるのでしょうか?

その答えは【視点を変えて俯瞰で見る】こと
しかないと思います。

人間誰でも、生きていくために自分を守ります。
それでいいのです。
でも、分からなくなった時、愛する子ども達の
事が分からなくなった時・・・・

相手を問い詰めても、誰かを裁判にかけても
真実など出てきません。
出てくるのは【愛憎】のみです。

とても難しいことですが
視点を変えましょう。
相手の立場になど立てないかもしれません。

それでも、自分を宇宙の外に置いて
まるでGoogle earthでどんどん上昇して
いくように、世界を外から見てみましょう。

物事を一方向から見ないこと。
そこに真実はないからです。
真実は誰にも見えていないのです。
人間は、自分の目の前のものしか見ず、
見えたものしか信じないから。

見えないもの
人の心があり、心の表現は十人十色で
想像すらつかないものだからです。

子育てに悩み、行き詰っている親へ

何に悩んでいるのか、立ち止まって
考えてください。

その悩みは、実在するものなのか?
もしかすると、まやかし、幻である可能性
が非常に高いことに気づいてください。

あなたの愛するお子さんは、お母さんや
お父さんに本当の姿を見せていません。
お子さんの姿も幻です。

幻に執着しないでください。
本当の姿は、本人ですら気づいていないのです。

では親にできるのは何でしょうか?

それは、目の前の事実を別の視点に立って
遠くから、自分自身を見ることです。
鏡に映すようにです。

理解できなくてもいいんです。
子どもであっても別の人間なのですから
相手の心を理解できるはずありません。

自分が子どもにしていることが
【一人よがり】なんだという残酷な事実を
真正面から受け止めてください。

久々に、心を揺さぶられる名作映画に
出会いました。

麦野湊と星川依里、二人の少年は
一体どうなっていったでしょうか?

映画のラストシーンに答えが出ていました。
私は感情が溢れ出し、しばらく動くことが
出来ませんでした。

映画『怪物』から得たものを
カウンセラーとしての仕事はもとより
自分自身の人生にも生かしていこうと
痛感しています。

記事を最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
みなさん、良い一日を!




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