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【教えて!まちこ先生】料理のスタートが楽しいと家事としての料理も楽になる?

clubhouseで【教えて!まちこ先生】と題して不定期にお話しした内容のまとめです。

clubhouseのアカウントをお持ちで無かったり、Androidをご利用だったり、予定が合わず聴けなかった方のために、アーカイブではありませんが、まとめnoteを公開します。
(文章化するにあたり、前後関係が変わっていたり、話さなかった内容が追記・補足されている場合もございます。)
お聴き下さった方はメモ代わりにお使い頂けましたら幸いです。

今日は↓のTweetを見て、大切なポイントなので忘れないうちに、と急遽開催しました。

テーマは「スタートが楽しいと家事としての料理も楽になる?」です。

このTweetで山口さんがおっしゃる通り、私の教室に来てくれる子供達のほとんどが「料理楽しい!」「料理大好き!」な子供達ばかりなのですが、中には保護者の方が「食に興味を持って欲しい」と参加される子供もいます。

とは言え、子供の頃は楽しかったはずの料理が、いつからこんなにも苦しく、なるべく手をかけずに済ませたいものになってしまうのか?と山口さんは問いかけます。
そして、そうならないように源流を全力で防ぐとのこと、大変頼もしいですね。

それに対しての私のコメントが上のTweetなのですが、やはり字数制限があって伝え切れていない気がしたので、clubhouseでお話しすることにした次第です。

上のTweetをもう少し詳しく説明しますと…

子供の頃から料理に親しんだ経験があると、料理が「家事」になってもそれほど苦手意識や辛さを感じることが少ないのではないでしょうか?

なぜかと言うと、子供の料理は遊びの一環で「楽しいこと」だからです。
料理が「楽しい」と言う体験をしてから大人になると、料理が「家事」になったとしても、元々は「遊び」として楽しいことだった経験があるため、ハードルを下げて自由に楽しみやすいのではないかと考えられます。

一方で、この「遊び」としての「楽しい」料理を体験せずに、料理を「家事」としてスタートさせると、どうしても「家族からの(見えない)期待」や「(自らの)理想」や「(家族の健康に対する)責任」から、ハードルを上げてしまいがちになるのではないかと考えられます。
初めから普通のラインを無意識に上げてしまう傾向があるのではないかとの仮説を立てました。

また、子供の料理が「遊び」である、の補足ですが、ここで言う「遊び」は「どうでも良いこと」と言う意味の遊びではなく、文字通り子供の楽しみとしての「遊び」を意味します。

扱う材料が雑物ではなく食べ物になった工作みたいなものです。折り紙やお絵かきが楽しいのと同じように、料理も楽しいのです。好奇心旺盛ではじめての体験が多いこともありますし、危険を回避するためのルールはある程度ありますが、自由さもあります。
クリエイティビティが発揮され、出来上がったものは(味はどうあれ)家族が喜んで食べてくれますし、褒められます。

工作と同じ感覚で楽しんでいるので、大人(主に保護者)からアレコレ指示をされると途端につまらなくなってやめてしまう子も中にはいますし、最初から料理よりも好きなことがある子はあまり楽しんでいない場合もあります。

ですから、全ての子供は料理が好きで、料理が好きだったはずなのに大人になったらなるべく手をかけたくないものになってしまう、と言うよりも、冒頭の「料理を楽しいものとして体験したかどうか」が大きな影響を与えているのではないかと考えられます。

料理が「遊び」か「家事」かの大きな違いは、責任があるかないか、の違いです。
子供の料理には、責任がありません。

・予算内で買い物をする責任
・美味しい料理を作る責任
・食材を無駄にしない責任
・家族の健康に留意する責任
・残さず食べる責任
・後片付けをする責任

家事としての料理には、これらの責任がつきまといます。遊びの料理とはやはり背負うものが違います。

とは言え、大人になっても遊びの料理をすることはあります。毎日の食事とは関係のない楽しみのための料理は、遊びの料理と言えます。
私のやっている魚を食べ尽くす会などは完全に楽しみのための遊びの料理です。

このように、料理を遊びとして楽しむにはやはり家事とは少し離れないと難しいのだと思います。料理を仕事にしている私でも、夕飯の支度が面倒でやりたくないと思うことは結構あります。それは、上記のような責任が付随するからだと思います。
料理が苦手な人は、もしかしたら上記のような責任から来るプレッシャーが辛いのかもしれません。楽しみのための料理なら、さほど苦しまずに料理が出来るのではないかと思うのです。

◇◇◇

この後、リスナーの皆さんのうち数名の方にご自身の体験談や料理に対するハードルの高さなど教えて頂き、上の仮説があながち的外れではなさそうだと結論付けることが出来ました。

お話お聞かせ下さった皆さん、ありがとうございました!

もし、遊びとしての楽しい料理を体験せずに現在料理に苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、それは家事としての料理の責任に苦しめられているのかもしれません。

まずはその苦しさの原因となる責任から少しずつ自由になって、いつか料理が楽しめるようになりますように。

そのために、私は教室をやっています。
全力で応援致しますので、ご相談下さいね。

試作のための食材費や、子供達が使いやすい調理器具の購入に使わせて頂きます!