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狂戦士の甲冑

新アニメ版の『ベルセルク』を一気観した。

それは剣と言うには、あまりに大きすぎた。
大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。
それは正に鉄塊だった

理由は単純明快。
『ベルセルク』の続編が連載再開されるというニュースを目にしたからだ。

昨年5月、三浦健太郎先生が亡くなられ絶筆かと思われた漫画版を
三浦先生の盟友、森恒二先生監修の元再び描き進めるそうだ。

私はミーハーである。
ニュースを目にした途端、ベルセルクへの想いがむくむくと膨らんで、気づいたらサブスクでアニメを身漁っていた。

やはり何度見てもベルセルクは面白い。今なお続く厨二病を発症させた漫画なだけあって、私のハートを掴んで離さない。

特に「狂戦士の甲冑」
あんなかっぴょいいものを目にして正気でいられるはずがない。

狂戦士の甲冑(通常状態)

何なのだ、あのフォルムは。
通常状態のドクロ面も渋くてカッコいいが
何より魅力的なのは暴走状態になった時の姿だ。

狂戦士の甲冑(暴走状態)


ときんときんの眼と、ギザギザの牙。
甲冑の凶暴性が前面に押し出され
一眼見ただけで、相手に「死」を意識させる。


たまらない。正直、私が釣り目とギザ歯フェチになった原因の一端は「狂戦士」の甲冑が担っていると言ってもいい。

昔、描いた厨二絵。
手癖で絵を描くとこんなのばかり描いてしまう。


そして何なのだ、あの設定は。
甲冑を身につけた者は
人智を超えた力を得られる代わりに体を甲冑の魔力で蝕まれる。

「痛みを背負った人間=カッコいい」

という概念を至上のものとする我々、厨二病患者からすれば、甲冑の設定はあまりに魅力的すぎる。

痛みを背負った人間と言えば
アニメで満身創痍になりながら戦う主人公ガッツを見ながら、私は亡くなった三浦先生を思い出した。

満身創痍のガッツ
手足が明後日の方向に曲がっても
戦い続ける

三浦先生は病弱だ。
『ヤングアニマル』の巻末コメントによれば、頻繁に高熱を出したり、過労で倒れたりしていたようだ。
その結果、たびたび漫画を休載することになっている。
しかし、休載期間中でさえ三浦先生は漫画のことを考え、漫画を描いていたという。

言葉を選ばず言えばそれは、「狂気の沙汰」である。
倒れても立ち上がり、漫画を描き続ける。
その姿は「狂戦士の甲冑」に体を蝕まれながらも戦い続けるガッツと似ている。

三浦先生は
今まで
どれだけの心血をこの漫画に注いできたのか?

行住坐臥を自分の「夢」に「捧げる」

それは綺麗なようで、血みどろだ。目を背けたくなるほど残酷だ。今まで何を犠牲にして来たか、推し量ることさえむつかしい。
しかし、それでもその姿は一幅の絵画のように美しい。

私は厨二病患者である。

だが、そろそろその先に進まなければいけないと思っている。

『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』というライトノベルの中で、主人公の比企谷八幡(ひきがやはちまん)が、成長した材木座義輝(ざいもくざよしてる)という厨二病の男を見て次のように思うシーンがある。

厨二病の全盛期に読んだラノベ


「あいつは、今度は作家病という病にかかったんだな」


妄想の中を彷徨うのが厨二病患者だとすれば
己の心血を注いで妄想を具現化する作家病患者に私はなりたい。


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