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シナリオ小話 07 小物と動作

17歳でデザイナ・構成作家としてデビューして、フリーのプランナー兼プロデューサー、そして二流の脚本家としてちょうど20年の商業作家生活を無事に送らせて頂きました「おおやぎ」が、2007年頃からMixi等で公開していた講座連載を再構成して掲載いたします。今も脚本・シナリオを学ばれるあらゆる層のかたがご笑覧くださるなら望外の幸せです。

第7回は「小物と動作」と題しましたが、ようするに「小道具」と「演技」のことです。

新井一先生はじめ、小説家でペンマンクラブ会長であった井上靖先生などもご指摘の通り、日本人は、シナリオや文章の中で小物や派手な動作を使わない傾向にあるようです。(2021年追記)日本人とはやはり文芸の民族性なのでしょうか、民族として言語情報をたいへんよく解するわけでありますが、それでもシナリオでは視覚情報にも訴えたいわけであります。
セリフが曖昧・不完全であって、それを役者の演技で補って、ようやく初めてひとつの動作なり感情なりになる、というのは、シナリオのみならず小説の中でも重要な技法だと思います。

佳子「あ、先輩おはようございます……
(うつむいて)その、ええと、ええと、ですから、あの……」
(※カメラは彼女の表情を長回ししていることを想定)

とやるのも悪くはないのですが、

佳子「おはよう…ございます……」
 と、うつむき、指先でスカートの裾などいじりながら黙る。
(※カメラは途中から彼女の手指をアップすることを想定。シナリオ中に記述があると、おおよそ演出さんはそこを映してくれるものです)

くらいにしておいた方が、セリフとしてはちょっと簡潔かな、といったところ。無駄に喋らない分、真剣みが増すような感じです。
(ただしシナリオで演者の細かい所作を書くことには賛否ありますね。それは演出家や監督のお仕事の領分でもあるからです)

客人を家庭に招いて食事のシーン、どうぞどうぞとテーブル上に妻の手料理を並べてすすめる場。

隆「いやいや美味い! 家庭料理は久しぶりで最高ですよ。弁当やらてんやものやらばかりでこのところは辟易してましてねエ」

と言わせてもいいのですが、むしろここをセリフで表現しないで、

隆は煮しめや切り干し、卯の花などを交互にがっつく。オムレツ、鰻のまぶし、トンカツはほとんど手を付けられないままである。

――こんな風にしておくと(小説ならこんな説明文体ではいけないでしょうが)、セリフがなくても、隆が何に飢えているのか、じゃあ今はどういう境遇なのか、が分かるというものです。視聴者はおそらくコレを単なる隆さんの偏った食の嗜好の問題だとは受け取らないし、カメラがテーブルを1、2度ほどアップにしておけば、十分に意図は伝わると思いますヨ。

村役場の出納係で気弱な男が、運悪く銀行で強盗に出くわす。盗犯が守衛と乱闘するのを不安げに見守っているが、目の前の床を滑ってきた銃を平然と拾って用い、犯人のすぐ脇の観用植物の鉢などに銃弾を2度連続して当てる。怯んだ強盗は逃げ出し、男は事も無げに銃を床に戻す。

こういう一連のごく短時間のシーンがあれば、

銀行員の女「あのォ…… あなたは何者なんですか?」
出納係の男「いいえ、私は別に何ンも」
銀行員の男「あなた、ただ者ではないでしょう?」
出納係の男「本当に何でもありません。ただ必死だったのですよ。あははは!」

直後にこんな(▲)臭いセリフ劇を仕立てる必要なんかないわけで、代わりに、騒然としている隙に、彼はすいと銀行を出ていけば良い。
銀行から離れた場所で、そっと自分の手を見つめて黙り込み、それからギュウウと帳簿を握り締めて役場へ向かってごく普通に歩き出せば、なお良いかもしれません。視聴者からすれば妙にひっかかるのではないかと予想しがちですが、おおよその意味は通じるはずでしょう。
そう考えていくと、シナリオの中では意外とセリフは要らないものです。

シナリオでは、小道具と小さな演技を生かして表現しましょう。
小説でもそうでしょうし、詩なんかでもそうでしょう。小さな動作、風景の小さな変化、気候や自然、小道具をちょっと描写することで、多くのセリフを費やすよりも簡潔でなおかつ明瞭に伝わることは多いかもしれません。

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