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シナリオ小話 11回 名前

17歳でデザイナ・構成作家としてデビューして、フリーのプランナー兼プロデューサー、そして二流の脚本家としてちょうど20年の商業作家生活を無事に送らせて頂きました「おおやぎ」が、2007年頃からMixi等で公開していた講座連載を再構成して掲載いたします。今も脚本・シナリオを学ばれるあらゆる層のかたがご笑覧くださるなら望外の幸せです。

前回の「無言」に続き、「無言」に次いでよく使われる「名前」について言及しておきましょう。
ここで言う「名前」とは、セリフで相手の名前を呼ぶこと。つまり単純に「先生」とか「あなた!」または「〇〇さん」いったセリフのことです。

結論から先に申しますと、セリフは簡潔であるべきとの先人の教訓の中で、しばしば「ドラマの最重要なワンショットでは名前を呼ぶだけでよろしい」と言われる通り、「無言」と並び立ち、簡潔かつ印象的なセリフ回しの一つが「名前」であります。わたしもまったく同意見です。

さっそくひとつの例を見てみますと、

さゆり「待って! 健也、行かないで! お願い、待って!」

こういう風にセリフを組み立てるとなぜか白々しい、ということは何度も述べて来た通りで、

さゆり「待って! 健也……健也……健也……」

――このように名前を連呼した方が、感情がこもるわけです。
というのも、これは実は脚本の都合・出来というよりも、演じる俳優・声優さんの方の都合と言うことができるのではないか、とわたしは思うのです。
俳優さんの立場になると、上の例よりも下の例の方が、様々な演じ方が許されるわけです。
「健也」の名前を3回ほど連続で呼んでおりますが――
たとえば、次第に強くしていくならば、溢れ出る激情、昂ぶっていく気持ちや、いよいよと迫る悲壮感を表現することになるかもしれません。
比してたとえば、次第に弱くしていくならば、悲哀に沈み込んで行く心理を表現したり、萎れていく心持ち、もはやといった諦めを表現することになるかもしれません。
はたまた、最初の2回は相手に聞こえぬほどの呟き、3度目こそが絶叫であったのだと解釈すれば、さゆりの中で押し殺そうとしていた忍ぶべき恋心がついに吐露されたといった深みのある演技にすらできるでしょう。
素早く3回その名前を呼ぶならば、それは焦った様子か、あるいは相手を必死に押し留めようとする必死の想いか。

とにかく、名前などというものはあまりにも単純で、それがどのように俳優さんに読み上げられるかによって、初めて意味合いが決まるものなのですから、脚本家としてはなかなかに楽しみなセリフでもあります。

この時、どうしても自分の中で「こう演じて欲しい」と思っているならば、

さゆり「待って! (小声で)健也……健也…………健也ァーーー!(絶叫)」

このように書いても罰当たりではないでしょうが……脚本家としては、できればもう少し俳優さんと監督さんと視聴者さんに委ねる心構えを持ちたいものだ、といった印象です。

これ以外ににも、ごく日常的な身の回りの風景を見ると、

母「慎太郎、ゴハンよー。下りてらっしゃい」

――とは言わないとは言いませんが、

母「慎太郎ー」

だけで済ませていることの方が多いのではないでしょうか。

イタズラが露顕して幸次郎が叱られる場面では、

父「おまえは何と言うことをしてくれたのだ!」

――これよりも、

父「おまえ!」

短くピシャリと(わが子の名前を)呼ぶ。この方が、少なくともわたしなどはいちばん怖い。迫力あるオヤジの顔を想像する。ジッと睨まれると、思わず「ごめんなさい」と言いたくなる。
時代劇で言えば、今まさに刀を抜いて斬り掛かる際には、「きさま!」だとか「てめぇ!」だったりする。
心から惚れた相手には、「好き」と言うよりも、その目を覗き込んで「貫太郎さん!」と名前を呼んだ方が深い。

お良「わたくしは……わたくしは…………ああ、あなたが好きです!」
 と、お良は貫太郎の背に抱き付く。
お良「わたくしは……わたくしは…………ああ、貫太郎さん!」
 と、お良は貫太郎の背に抱き付く。

もし皆さんにお子さんがいらしたら、自分の言動をよく調べてみて下さい。しばしば子供の名前を呼びかけ、子供の名前を呼び付け、叫び、それぞれ、愛情表現であったり躾であったりするでしょう。恋人に対してもそうでしょう。
下世話な話、ベッドを共にした伴侶に「好きだ」「愛してる」「幸せだ」と口に出して言うでしょうか。それよりも相手の名前を呼びませんでしょうか。

少し脚本の話からそれますが、日本人・日本語はそもそも「述語」をあまり好きません。
隣で自分の上司が不意に何か失敗・失言をしかけた場合、あなたは「やめてください」とか「ご注意ください」と言うでしょうか?
いいえ、「部長ッ」と小声で鋭く言うだけではないですか。
あるいは強い抗議を示す場合にも、「もう一度、考え直して下さい!」と言うでしょうか?
いいえ、やはり「社長ッ」と一声で叫ぶのではないですか。

……といったわけで、今回も「無言」の回と同じ結論へ。
つまり、前後の関係からそこに深い感慨を込められると考えられる部分には、明確なセリフを書く代わりに、思い切って「名前を呼ぶセリフだけにしてみる」といった工夫をしてみてはどうでしょう。
ぜひとも『市民ケーン』『カサブランカ』『嵐が丘』なんかをご覧ください。

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