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「親子らぼ」

今から約1年半前の2018年の6月23日
京都市の生涯学習センターでライブ講座「親子らぼ」が開催されました。
それは、実在の親子によるトークライブでした。

キャッチフレーズはたしか…
「めんどくさいことしよう」
「めんどくさいことしないからめんどくさいことになる」
みたいな感じでした。

親子の問題は、触れたくない、そっとしておきたい人がほとんどだと感じています。
わたしもそうでした。
それに「いい大人になって親子関係に原因があるとか、甘えてるんじゃないか。」とか、「育ててくれて歳もとってる親に言いたいこと言うなんてできないし、意味ない。」とか思っていました。
そう思いながらも…5年前から、この講座の講師に促され、両親と本音の話をしはじめました。
最初はいったい何が起こったのかというような両親の反応でしたし、私も居心地の悪さが気持ち悪かったのですが、時間をかけてお互いが徐々に変化していったのにはおどろきました。

そしてある日、講師とその母親の会話を耳にしたとき、今までまったく浮かんでこなかった思いが浮かんできたのです。

「人と人として出会い、ましてや長い時間を共にした親とすらちゃんと向き合ってなかった。人とちゃんと出会い対峙せずに、この人生でいったい何がしたいんだろう。自分の思いを伝えずそこに何があるんだろう。」

この親子の会話はあまりに親子的でない会話だったのは覚えていますが、内容までは覚えていません。
それから程なくして、ライブの開催が決まりました。この体験は他にも必要な人がいるかもしれないと考えたからです。

「めんどくさいこと」とは、「親子の対話」。本音の対話。

ここを避け、他でどれだけ補おうとも、生きづらさはなかなか和らぐことはない。のでは…。というのはあくまでも仮説ですが、いろいろな人の本音を聴くごとに「やっぱりそうか…」と思うことが多いのは偶然でしょうか。
生きづらいまま生きていくのも、ひとつの選択ですが、その腹づもりがあるならば、このめんどくさいことにとりかかることもできるような気がします。
自分がどうにもならずもう耐えられないからと、いよいよとりくむ人もいますし、「気のせい」と無視する人もいますし、関係がこじれるのに自分が耐えれられず、もう一回蓋をする人もいますし、いろいろです。
筆者は、たまたま…話をしつづける気になって、めんどくさいことをつづけています。
たまたまの流れで…生まれてはじめてちゃんと人対人として話すことができるようになり、よかったと思っています。

第1回目の記事ではざっくりと書きましたが、過去のイベントの際の記事など紹介しつつ、親子のことに触れていきたいと思います。

2020年1月25日には、久しぶりに「親子らぼ」のトークライブが京都で開催されます。

年に1回あるかないかのイベントです。
体感からはじめたい方は、ぜひお越しください^ ^