風呂なし事故物件のノスタルジー

学生の頃、僕は風呂なし事故物件に住んでいた。当時できた好きな人にはそのことは言えなかった。嫌われたらどうしよう。距離を置かれたらどうしよう。そんなことを考えてしまい、なかなか言えなかった。

「僕はあなたのことが好きです。僕と付き合ってほしいです。でも、一つ言わなくてはいけないことがあります。僕は、その...、風呂なしアパートに住んでいるんです。お風呂がないんです。」それが、僕の告白の言葉だった。ぼくは事故物件であることまでは打ち明けることができなかった。その後2年ほどお付き合いをし、あまりにも遠すぎる遠距離恋愛をすることにより、僕らの関係は切れてしまった。彼女は、僕らが初めてセックスをした部屋が事故物件であることを知らない。そして、今となってはもう、知らなくていいのだ。

大多数の女性が風呂なしの部屋に訪れたくないことは容易に想像できる。ましてや、泊まるなど論外だろう。そういった意味では、僕はとてもラッキーだった。彼女は抵抗を持たずにかなり頻繁に訪ねてくれたのだ。彼女はなぜ僕と付き合ってくれたのだろう。僕はコミュニケーションが苦手だし、本当にお金がなかった。外食など論外だし、デートと言っても公園を散歩することしかできなかった。申し訳ないことをしたなと思うけれども、僕は二人でいると、空き缶を蹴りあっているだけでさえ楽しかったのだ。彼女もそうだったのであれば嬉しいけれども、いろいろな場所に行きたかっただろうな。

当時はお金が本当になくて、とにかく安くて大きい食べ物を買い、腹を満たすような日々を送っていた。もやしを2キロ買ってほとんど腐らしてしまったこともあった。業務用のふえるワカメを買い、毎日食べていたこともあった。塩おにぎりがあるのだから、塩パスタがあってもいいと自分を納得させ、毎日食べていた。(やってみればわかるが、とにかく不味い。) お菓子が食べたいときにはデパ地下に行き、試食のお菓子をたくさん食べた。僕はその時、父親から譲り受けたスーツを持っていたので、デパ地下に試食に行く際は毎回スーツを着ていた。学生が腹を減らして食べに来ているとは思われたくなかったのだ。変なプライドがあった。当時を思い起こすと、デパ地下の販売員はなぜ僕がお菓子を買わないのか理解に苦しんだろう。客観的に見れば、僕はスーツを着た普通のサラリーマンだったし、試食したお菓子に毎回涙を浮かべるほど感激していた。だけど、買わない。もう一度試食し、体を震わせるほど感激しているのに、買わない。そんなことを繰り返していた。それでも僕は幸せだった。彼女はそんな僕の生活を知っていたから、職場でもらったお菓子などを僕に恵んでくれた。なんという名前か聞いても、カタカナの長い名前が返ってきて、狼狽するばかりだった。おいしかったなあ。