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雑誌記事索引紹介「A・F・ボードワン」「上野公園」

10月19日は上野恩賜公園の開園記念日です。その上野公園の中に「ボードワン博士像」という銅像があるのをご存じでしょうか。「ボードワン博士像」は大噴水と東京都美術館の間にある「子供の広場」の一角にあります。今回はそのオランダ人軍医ボードワンの雑誌記事索引を紹介します。
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 ボードワンと上野公園の関係については『東京人』2005年10月号に掲載されていました。
No1
「お雇い外国人」を知っていますか?明治ニッポンの家庭教師たち。 ザンギリ頭もびっくり!東京はじめて物語。 ※上野公園とボードウィン、ビール、音楽教育
執筆者 石村博子
雑誌名 東京人
発行日 2005年10月
ページ 51-57

銅像には「ボードワン博士像」と記名されていますが、ボードウィンと発音されることもあるようです。記事によるとオランダ陸軍一等軍医だったボードワンが上野の山に足を踏み入れたのは明治3年(1870年)の夏ごろです。当時上野は彰義隊と明治政府の激しい戦の後で寛永寺も崩れ、焼け野原が広がっていたそうです。
新政府はこの広大な空き地に医学校と病院を建設する予定でしたので、医者であるボードワンと下見に来ました。ですが、上野の焼け跡に入ったボードワンは周囲を包む森に驚き「こんな素晴らしい森を破壊するなんてどうかしている。この地は西洋にならって公園として残すべきじゃないか」と強く進言します。
この提言は脱亜入欧を進める明治政府の方針と合致しました。工事は中断し医学校と病院は本郷・加賀屋敷跡に建てられることになったそうです。

ところが、「ボードワン博士像」は2006年に改めて置き換えられたという経緯があります。それについては『うえの』2006年12月号に詳しく解説されていました。
No2
蘭医A・F・ボードワンと日本の近代医学教育 ※上野公園で新しい銅像のお披露目、以前の銅像の顔は弟のものだった
執筆者 石田純郎/二木忠男
雑誌名 うえの
発行日 2006年12月
ページ 36-39

記事によると、以前の顎に髭を蓄えた「ボードワン博士像」は誤って弟のアルベルタス・ヨハネス・ボードワンをモデルに作られたものだったそうです。弟は貿易会社の社員で1858年に兄より早く来日していました。兄のボードワン博士を日本に来るように勧誘したのも弟だったそうです。小さいですが兄弟で和服を着た二人の写真も掲載されています。
上野公園は1873年に日本最初の公園として開園しますが、100年後の1973年に公園開園100周年を記念してオランダ政府から「ボードワン博士像」が送られました。しかし、設置した後に親族が彫刻家に渡した写真が間違っていたことが判明。約30年間そのままでしたが、とうとう2006年10月に本人をモデルにした新しい銅像が建てられることになりました。
ところで、上野公園には有名な「西郷さんの銅像」もありますが、そちらも弟の西郷従道がモデルになっているといわれています。上野公園に建られた2体の銅像が両方とも誤って弟がモデルになっているのは不思議な偶然ですね。
西郷さんの銅像とは違い、なんだかひっそりと建っていて気に留める人も多くない「ボードワン博士像」ですが、この人の言葉がなければ森は消えて動物園も美術館も造られることはなかったでしょう。彼こそが上野公園誕生の立役者です。
ボードワンの雑誌記事索引、その他です。
No3
東京タイムトリップ 28回 上野公園 天海、西郷どん、ボードワン ※上野のお山のテーマパーク、西郷どん像の黒歴史、上野公園誕生の立役者
執筆者 いからしひろき
雑誌名 おとなの週末
発行日 2018年04月
ページ 96-97

No4
歴史で歩く東京の公園 上野恩賜公園 寛永寺境内 オランダ人軍医ボードワンに守られた上野の山
雑誌名 東京人
発行日 2011年06月
ページ 40-41

No5
絵が語る上野 上野公園開園(1) ※明治政府が近代化政策の象徴として着目した上野の山、公園にすることを提言したオランダの軍医ボードウィン
執筆者 浦井正明
雑誌名 うえの
発行日 2006年05月
ページ 46-47

No6
dacapo ORIGINAL 真贋 困惑する都庁。上野公園のボードワン博士の胸像は別人 ※博士の弟説がある像は、オランダ大使館から寄贈されたもの
雑誌名 ダカーポ
発行日 2005年10月19日
ページ 34

No7
上野の森を楽しむ本。 上野の森よろづ探偵。 ※花園稲荷神社の穴稲荷、上野東照宮、日本芸術院と日本学士院、五重塔、ボードワン博士像、碑、寛永寺・時の鐘、他
執筆者 田端ヒロアキ
雑誌名 東京人臨増
発行日 2001年02月20日
ページ 36-45
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