意識と無意識

昨日の初投稿に“スキ"をいただくことができて、大変嬉しく思っています。本当は、ニヤリが止まりません。

私は、新卒1年目の女。早速休職中。

幼い頃から、世の中を斜めにみる癖があって大人から褒められるツボを抑えたような、いわゆる「いい子」だった。そうです。他人が敷いたレールを歩く子でした。
他人が敷いたレールからはみ出すことは、自分が自分でなくなると思っていた。

かくかくしかじかあって、今は他人の敷いたレールはおろか、自分でレールを敷くことすらできないくらい弱ってしまった。
(この件については、また後日…。)

それで、何が言いたいかというと、
今日は低気圧のせいもあってか、心と身体が重くて何をするにも怠いというか、おっくうというか。とにかく調子が悪い日だった。

でも、せっかく始めた言語化の練習…。
気分はあまり向かない…。
けど、書いてみるかー。

と思ってカタカタしてます。

高校生のとき、女バス(女子バスケ部)だったんですけど、顧問の先生がそれはそれは厳しかってん。女性の先生だったんですけど、めちゃくちゃに甲高い声で怒るの。毎日毎日怒られていたので、毎晩甲高い声が聞こえて魘され、夢でも怒られてと劣悪でした。
それで、その顧問の先生がよく、

「何事も、無意識にできるようにするためには何度も意識して意識して、意識し続けたら無意識になる。」

とおっしゃっていました。
これは、バスケのプレーだけでなく、お掃除や挨拶、勉強にも言えること。

なので、私はいつも何かを初めるときや継続が求められるときは、この言葉を思い出します。

呪いです。
わたしにとってあの顧問の先生の言葉はすべて呪いです。上記の言葉は、呪いベスト3に入る言葉です。

だって、無意識って、考えずにやってることでしょ?それを意識して意識して無意識にするって、それは習慣というのでは?どれだけ意識してもできないことってあるよねー。バスケのプレーとかって元々の素質とかあるじゃん。
意識しまくって、やりたくないことになってしまったらどうするんだろう。

とか、やっぱり斜めに見てしまうので、高校生のときよりちょっと成長したわたしはこの言葉の呪いを祓いました。

自分と相談してできそうだったらやるようさせてもらうわ。

今はこう考えてもいいかなと思っている。

結論、
こうやって思いを文字に載せるのたのしー。
はまりそー。

⚠️顧問の先生が嫌いだったわけではありません。教わったことは一生忘れないくらい体と脳に染みついています。

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