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38年前の「もっち少年」

なぜ38年前かというと、アレだからです。

38年前は小6でした。痩せていました。身長が147cmくらいで体重が32kgくらい。当時、田舎の小学生には中学受験はクラスに1人いるかどうかで、当然塾通いに伴う拘束もありませんでした。もっち少年は昆虫少年で、実家近くの荒川河川敷、ときどき少し遠くの野鳥の森へ虫取りに行っていました。野鳥の森というのは、今の秩鉄ひろせ野鳥の森駅の近くにある森です。実家からは駅で言うと2駅離れています。

昆虫図鑑はよく読んでいました。実家にも学研から出ていた子ども向けの図鑑がいくつかありましたが、図書館に行くといろいろな本があったのでよく通っていました。図書館は文化センターという施設の中にあって、その最上階にプラネタリウムがあったので、毎月内容が変わるたびに見ていました。そのため、天文にも興味を持つようになりました。ハレー彗星が地球に接近していた時期で、翌年行川アイランドに見に行きました。

この流れならば、その後の大学受験では理学系とか農学系を目指してもおかしくなかったのですが、両親も高卒でしたし、大学受験までを俯瞰できる大人も周りにいなかったので、一連の興味関心が学校の勉強的なものに結びつけられることはありませんでした。埼玉に住んでいたので秩父に遊びに行くことも多かったのですが、当時の大滝村のほうまで行くことはなかったので東大の演習林の存在も知りませんでした。

小6の時点でまわりは英語を習い始める子がちらほら出てきました。うちの親も英語を習わせようと思ったようで、近所の英語塾に通うようになりました。このときに、学校でやっていた主要4教科に比べて英語が周囲の子より出遅れていることに気づき、一気に勉強するようになりました。プラザ合意を起点として円高に向かい、バブル景気で海外がにわかに身近に感じられるようになっていった時期ですから、もっち少年は昭和末期に急速に文転していくことになるのでした。

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