余命14日間の彼女と、青信号を渡れないボク *7話*
「ちょ、大丈夫? 救急車」
「……だ、……め!」
と苦しげに息を吐く彼女が、僕の腕を強く掴む。
「へ、平気だから……、なんでも無いから!」
何もできないまま、全力疾走をした後のように荒い息を吐く彼女の隣へとしゃがみこんだ。少しずつ呼吸が戻っていき、またゆっくりとした呼吸へとなった。僕の言葉で、彼女を苦しめたんだろうか? 傷つけたんだろうか?
彼女の隣にしゃがみ込んで視線の高さを合わせた。
「……僕さ、ずっと一緒にやって来た奴らがやめて、1人になっちゃったんだ。そしたらさ、すげえ自信無くなっちゃって。一緒にやって来てた時は、必死で頑張れてこれたことも、もう頑張れなくなっちゃって。
虚無なんだ。なんでこれ続けてんだろうって、僕はここで何を成し遂げようとしてるんだろうって。自分がユーチューバーを続ける意味ってのがさ、全然、わかんなくなったんだ。で、もういいや、やめようって、決めたわけ」
「蒼央さん」
「でも、さっき君が、やめないでって言ってくれた言葉、すっごく嬉しかったから。胸のこう、真ん中? ってやつに刺さった。刺さったけどさ……」
想いを吐露する。言葉を吐き出せば、吐き出すほど、情けないほどに、苦しい感情で心が乱されてしまった。感情が昂ったせいで、つい涙ぐんでしまう。悟られないよう、顔を彼女から背けて空を見上げた。
見上げた空は、海の蒸気を吸った大きな入道雲が浮かんでいた。僕の心の曇りなど、微塵も気づいていない様子で、ブルーとホワイトで彩られた世界がそこにある。
空は泣きもせず、笑いもせずに、明日も明後日も、同じ青で染まり続ける。空はどんなグラデーションになってもそれは永遠に”青”だ。スッと彼女が僕の人差し指をキュッと握った。
「私がいますから。あなたの隣にいるの……、あなたを応援するの。私じゃダメですか?」
「へえ、収録したやつ。光苔の洞窟じゃん」
「蒼央さんに連れて行ってもらったんです」
「へえ、なかなか美味いじゃん」とユタさんがいう。「ゴーストシャーク」で、晩飯を食いながら、昼間のデートについて語る。
「なかなかいいやん、これYoutubeに上げたら?」
「映像はありっちゃありだけどさ、音的に無しだよ」
外録用のタスカムで録音したものの、洞窟に入り込む風の音がうるさく、声はかろうじて聞こえる程度だ。プラグインして、ノイズをカットしてみてもいいが、音がスカスカになりそうだった。丁寧に一音ずつノイズ処理をすればまだいいかもだが。それほどの手間をかける意味を考えてしまう。それにもう、チャンネルに動画をあげるつもりはない。
「じゃあ、うちの店のチャンネルに載せていい?」
「は?」
「なんか、蒼央のチャンネル観たら、開設したくなっちゃって。作ってみた! なあ、使わないんだったら使わせてよ」
断る理由もないので、仕方なく頷く。
「別に、いいけど……」
「よっしゃ。じゃあ早速アップロードっと」
ノートパソコンと向き合う海斗が、画面と睨めっこをする。
「えっと、あれ?公開にならねえ。どうして?」
「そこのチェック欄にチェックマーク入れて、で、ここを押して、全体公開をクリック」
とサッサっと、パソコンをいじる。海斗が全体公開のマークへとマウスを移動すると、「公開されました」の表示がポップアップ画面に飛び出す音をさせた。
「おおー! できた! やっぱ慣れてんなー。僕の店の広報担当やらねえ?」
「はあ? 時給800円でどこまでこき使うつもりだよ」
「1万人超えたら、時給百円アップする!」
「1万人って、そんな簡単じゃねえって」
「でも、僕みたいな素人より、ノウハウはあるだろ?」
あるにはある。特に1万人という壁は案外ゆるい。この辺鄙な田舎町のカフェでもやろうと思えばできる。それに、と動画を何度も見直している彼女へと視線を向けた。彼女へと視線を集めているカフェの客たちの視線もついでに召し上げて、ネット上で跳ねそうな数字に当てはめてみる。
「起爆剤が機能すれば……、いけるかも。やってみるか」
ユタさんの運転する車で隣街の家電量販店へと向かった。四人乗りのピックアップトラックの中はココナッツとバニラのフレーバーで、人工的な甘ったるい匂いにやられかけたが、志歩ちゃんには好評だった。
「W E Bカメラ?」
「そう24時間誰でも視聴可能な映像を流すんだ。まずはゴーストシャークの店の前にカメラを設置して。ゴーストシャークから見える海を24時間映すチャンネルを作る」
「海を24時間映すって、そんなの誰が見に来るんだよ」と、海斗はいったが、それは地元で死ぬほど海を見ているからこその言葉だ。
潮騒BGMやハワイのビーチの映像を流すだけという動画がYoutubeで人気があるのは需要があるからだ。だったら国産ビーチをただ映すだけのチャンネルでも集客はあるってこと。海が見たいけれど見られない人に提供すんの」
というと、ユタさんが、「波の状況も見えるように設置したら、サーファーにも需要あると思うよ。今日の波の具合を知りたいし、いい波が来てるなら乗りたいって思ってビーチに来るやついると思う」といかにもなアドバイスをしてくれる。
「潮騒の音だけでも、癒されると思います」と志歩ちゃんも乗り気だ。
「え、そうかー。たいして変わり映えない海だよ?」とただ一人海斗だけは理解し難い様子だったが、量販店に着く頃には、店の売り上げもアップされる可能性に乗り気になって、
「じゃあ防水耐久のあるマイクも買っておこう」
なんて言い出していた。
段ボールに詰め込んだ機材を車から下ろした。早速購入した機材をウッドデッキの柱へとつける。カメラを設置し、周囲の環境音を収録するマイクは風をもろに受けないようにガードをつけて、集音する際に雑音が載っていないかどうか、パソコンでチェックしながら向きを調整する。
「海の家から、ライブ放送中」とネットでライブ放送をしていることを周知させる看板を店先へと出した。
「あとはカメラの映像と、パソコンを繋げばオッケー」
「ちょいちょい。これで1万人いく?」と海斗が不安げな声をあげる。
「まあ、時間がかかるかもしれないけど、L I V E映像もので海岸は需要があるし、映像を流しっぱなしでいいから、初期投資だけすればあとは放置でいいし」
「僕はさ、そういうんじゃなくって、グッモーニーン!! 海斗チャンネルだよー! みんなきてくれてありがとー! ウェーイ! みたいなやつがやりたいんだよ」
と、朝の子供番組のお兄さんのようにテンション高め&大袈裟な手振りで表現する海斗の言葉を僕らは無視した。
「こっちのマイクはどこに取り付けますか?」
「あー、それは、高さ的に、僕が取り付けるよ」
「おいー! 聞いてる?」
やはり海斗はど素人である。デフォルテなユーチューバーのテンションだけで乗り切ろうとする中身空っぽなチャンネルが、この世にはゴマンと溢れていることを理解していない。
今は中身が面白くなければ誰も見ない。興味を持たせるサムネを作るだけでもとんでもない時間がかかるというのに、どれだけの労力を僕にサービスさせるつもりなのだろう。
「そういうのは、企画に時間かかるし、喋りができないと無理なんで」
「おいおーい。接客業だぜ? 喋るのは得意!」
と、海斗がドヤり出す。やる気があるのはいいが、長年やってきた僕なら、海斗のトークレベルと顔面偏差値で、数字がどれぐらい取れるかぐらい予想できてしまう。結果、企画を考えるだけ、時間の無駄である。
「トークが上手い奴らなんてザラにいるのに、たかがコーヒーショップの店員如きで喋りが得意とか言えるな。そもそも、話すネタある?」
「ネタは……うちの店の名物料理の紹介とか?」
「見た目も味も普通なオムライスや、氷入れただけの冷やしラーメン程度で?」
というと、厨房の方でユタさんがピクッと体をゆするのが見えた。凶器が飛んでくるのではないかと警戒したが、僕らの会話に耳をそばだたせているだけのようだ。
「あれでも、親父の秘伝メニューを受け継いだやつだぞ、常連客だっているんだからな」
「普通すぎんの。いくらうまいオムライスだって言っても、画面からは伝わらない。僕はグルメレポーターじゃねえ。だからさ他のチャンネルとは違う、何か目立つ何かがないとさ、素人のチャンネルなんか誰も見向きもしないんだよ」
「”映え”か。”映え”を意識するんだな。
じゃ、じゃあ、ずっと海を映しとけっていうのか?」
「海斗の顔を24時間放送するよりかは、視聴者くるんじゃねえ?」
「僕の顔だって、少しは需要あるわ!」
海斗が顔を真っ赤にして反論する。すると志歩ちゃんが、
「あるじゃないですか。”映え”ならたくさん」
と、当然のごとく言った。なんのことかわからずに、不思議な顔をぶら下げたまま僕と海斗は、自信たっぷりな笑顔を浮かべる彼女を見つめる。
「安寿海です。この土地を紹介すればいいんですよ」
「みなさんこんにちはー。【しんごうき】の蒼央です!
今日は、どこにいるかっていうとーなんと! 海―!!
今日は、あずみ街のエモすぎる観光スポットをご紹介していこうと思います!
では行ってみよー!」
自撮り棒を手前に引いて、スマホの画面を切る。
「——て、こんな感じでいいの?」
「いいいいー最高―蒼央くーん! やっぱ違うわー!
で、街を紹介した後で、ゴーストシャークの店の宣伝を入れるって感じで!」
「やっぱ宣伝入れるんだ」
「もちろんよー。夏場だけじゃなく年中客で席が埋まるようになったら最高!よーっし! 次のスポット行ってみよー」
と海斗がノリノリで自撮り棒を握りしめる。その棒を引っ掴んで、録画ボタンを止める。
「やっぱやめよう」
その言葉にいち早く反論したのは海斗ではなく、志歩ちゃんだった。大きな瞳を見開いて顔を真っ赤にさせる。
「そんなこと言わないでください! いいねボタンも視聴回数も私がたくさん押しますし見ますから!」
とはいえ、志歩ちゃんがいいねしたところで万年の1が2になるだけだが。
「1増えんじゃん! すげえ! 倍じゃん!」
と海斗の妙なテンションの高さに、つい思い直してみる。まあ何もないスタートだ。そうそう収益が出るとは思い難いし、更新が伸びようと伸びなかろうと気にしなくていいなら好き勝手にやってもいいか。
「……じゃ、まあやってみますか」
何箇所か安寿海の観光名所をめぐる。撮影を終えてヒカリ藻の洞窟を出る。近くにある沼まで行き、眺めのいい芝の上で昼食をとった。一緒についてきた、志歩ちゃんが物珍しそうに周囲を楽しんでいる様子を眺めた。
「志歩ちゃん」
「あ、はい!」
「気になったところとか、行ってみたいと思った場所があったら教えてくれるかな?」
「気になる場所ですか?」
「うん。僕らは地元だから、ごく当たり前に感じていることでも、志歩ちゃんにとっては珍しいものってあると思うんだ。そういうのって、視聴者も同じ気持ちで珍しいって思ってくれると思うから」
「なるほど。そうですね」
と言い、彼女が周囲へと視線を巡らせる。
「あ、あれ!」
と彼女は僕の背後を指差した。その先にあるのは、高台に聳え立つ観音像だった。
「店の準備するから、あとはお二人でー」と言って海斗は先に店へと戻っていった。僕と志歩ちゃんは2人並んで、バス停のベンチに腰掛ける。
観音像の腰から上がシダの木の枝葉の間から垣間見えていた。白い観音像は、雲一つない夏の青空によく映える。観音がある寺まで参拝客用のバスがあったはずだ。バイクがあればあっという間だが今は手段がないのでバスを乗り継がなくちゃならない。
このあたりはみんな車やバイクを持っているし、バスに乗る機会はあまりない。利用客がいないから、バスの本数は一時間にあっても2、3本ってところだ。子供の記憶を手繰り寄せながら、ルートを考える。こてんと彼女が僕の肩に頭を乗せた。彼女の体温は僕よりも低くて、触れた皮膚が少しだけ熱を失う。
「疲れた?」
「ううん。こうして蒼央さんに寄りかかって、斜めになった世界を見たいんです」
「斜めになった世界?」
時折、志歩ちゃんは独特な言い回しをする。丁寧に作られたセリフは僕の中にはないものだ。きっと志歩ちゃんだけの中にある世界に、斜めな僕がお邪魔している。
「蒼央さんの方に寄りかかっている時にしか見えない世界。それは私だけにしか見えない世界なんです。だから蒼央さんにも見えないんですよ?」
「まあそうだね。僕が僕に寄りかかることはないからな」
じゃあ、と思って彼女へと体重を預けるように寄りかかる。
「じゃあ僕も少しだけ斜めになってみる。こうしたら、君が見ている景色、変わった?」
と告げると、何も言えなくなったのか、言葉が思いつかないのか、口を閉じたままこくんと頭を動かした。途端に彼女の上半身がシャツの上をするんと滑ってしまい彼女は僕の腕をぎゅっと掴んだ。
ドクンと心臓が高鳴る。彼氏になって欲しいと言われたあの言葉。それは、彼女のいる世界から逃げたいから放った言葉だろうけれど、もしかして僕に気がある? なんてそんな甘い妄想をしてしまう。
例え14日間限りの彼氏だとしても、僕は彼女に本気で愛してもらえるんだろうか。そして、ぼくは彼女を愛するんだろうか。そんなことを彼女の重みを感じながら考えた。
バスを乗り継いで、高台までたどり着いた時には白い観音像が橙色に染まっていた。観音の胎内へと入る受付時間は間に合わなくて、せっかく来たので、観音様の足元に広がる展望台へと行った。観音像があるこの寺は、海へとせり出すように立っている。この場所からだと、東京湾が一望できる絶景のデートスポットでもある。
暖色の夕陽に染まる空は、淡い桃色のカーテンを水平線上に広げていた。だんだんと紫へと変わり、空を泳ぐ海鳥の黒い姿を霞ませていった。ここは無人だった。二人きりの場所には、時折背後を通るトラックのタイヤ音が邪魔をするだけだった。
「観音様が見守ってくれているから海が荒れないって言い伝えがあるんだ」
「じゃ、お礼を言わなくちゃ。こうして、この土地を守ってくれたおかげで私は、蒼央さんと出会えたんですから」
ジョークで返す隙も与えられないような彼女の笑顔を目の当たりにして、顔がかあっと赤くなっていくのがわかった。彼女の真っすぐな性格が、羨ましくさえ思えた。一心に手を合わせていた彼女がゆっくりと此方へと体の体重を預けた。
「何を願ってた?」
「今がずっと続くといいなって」
「でも、君の余命は残り」と指折り数える。折ろうとした小指を彼女はそっと握りしめた。
「それでも、最後まで続いていたい」
また車が通り過ぎる音がする。雑音を混ぜた先へとなんとなしに視線を送っていると、彼女がポツリと「歌、撮影してもいいですか?」とこぼした。
「ここで?」
確かに景色はいいが、海風は強いし車の音も入る。声を取るには適しているとは言い難い。
「エモいロケーションと蒼央さんの歌声。これで数字、いけます!」
美少女にふんすっと、鼻息を荒くして真剣な表情でプレゼンをされてしまい、ついつい照れて口元が緩んでしまう。だからといって安易に引き受けるのは難しい。
信号のボタンを押して青信号へと変わったら歩き出さなくてはならない。途中で気持ちが揺らいでも、何が起きても、横断歩道の真ん中で止まることは許されないのだ。いつまでも応えない僕の顔を志歩ちゃんは覗き込んできた。
「歌……ダメですか?」
しゅんとしょげる彼女をみて、頭を悩ませる。なら、一度だけ信号のボタンを彼女に押してもらおう。彼女の手を握り、無事に渡りきれなくて美少女と道路のど真ん中で、立ち往生するのもまあいいだろう。
「じゃあ、リクエストください。それを歌ってみてウケが悪かったら、それきりということで」と告げると、ぱあっと彼女の顔が明るくなった。
それから5分ほどうんうん悩んだ末、リクエストした曲は、初めてネットにアップした曲だった。当時はその曲が流行っていて、なんとなしに載せたものだった。
少し古い曲だけれど、その当時、女子に人気があった曲だから、彼女が知っていてもおかしくはないのだけれど。
「5年前って、この子が、幾つの時だよ?うわー。年の差感じるわー」
あの時は、音源に合わせて収録したが、きっとこの風の音がする中で歌うのは、別撮りの方がいいのではと思った。だが彼女はスマホを構えたまま、僕が歌い出すのを待っている。その期待がこもった瞳を見たら、「やっぱりやめたい」とは言えない。
「まあ、後で編集で消せばいいし、まあいいか」
と志歩ちゃんのリクエストに応えてみることにする。歌い終えると、再び、静寂へと戻った。
「なんか。久々に真面目に歌ったわ」
歌い終えた後、彼女が僕の手をスッと握った。
彼女の柔らかな手が僕のゴツゴツと骨ばった指先を包み込む。自分の体にはない感触に大いに戸惑っていると、志歩ちゃんは恥ずかしそうに俯いた。
「なんとなく…繋ぎたくなったんです」
「……お、おお」
そんなことを言われると照れ臭くなってしまう。
「隣を歩けるのって、奇跡だから」
ポツリとこぼした彼女の想い。
「それは、どういう意味?」
「えっと、びっくりするぐらい、いい映像が取れたって意味の握手……です」
「映像。うん……、映像ね…」
顔を赤らめる彼女の手を強く握り返す。それに彼女は戸惑ったように瞳を揺らした。揺れる彼女の瞳を見つめる。その奥に隠した想いを暴きたくて、一歩、彼女へと近づいた。
(8話へ続く)
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