余命14日間の彼女と、青信号を渡れないボク *6話*
仕事を終えて、ようやく布団へと潜り込めるようになった時はもう23時を回っていた。疲労感が身体の中心にどしりと腰を下ろしている。さっさと寝てしまおうと、布団を畳の上に敷いていると、扉をノックする音がした。扉を開けるとそこに立っているのは志歩ちゃんだった。
「……眠れなくて、一緒に寝てもいいですか?」
彼女を部屋へと招き入れると、彼女は布団の敷かれた6畳間へとズンズン進んでいく。押入れの中から、布団を取り出すと、畳の上に布団を敷き始めた。
「へ?あ、あれ?同じ布団で寝る、じゃないの?」
布団を敷き終えると、彼女は僕へとペコリと頭を下げて、「おやすみなさい」と言った。思っていた展開とは異なる彼女の行動に、戸惑う。
「あ、あれ?一緒にってそういう意味??」
「豆電球の電気を消して、隣に敷いた僕の布団に入った。
スッと彼女の指先が近づく。彼女の指先が僕の人差し指をキュッと握った。それはまるで小さな赤ん坊が、大人の指にしがみつくみたいな握り方だった。
「寂しいのかな? やっぱ、17って言っても高校生だしな」
どんな事情か知らないが、家族と離れてこんな街にいることに不安があるのかもしれない。人差し指を抜き、そっと彼女の手を包んでやる。ビクッと彼女は肩を揺らしたが、すぐに静かに寝息を立て始めた。
風に乗りやってくる潮騒の音と、小さく湧き上がる彼女の幸せな眠りに落ちる音色に酔いしれる。彼女の手を握ったまま、瞼を閉じる。
手を離さなかったのは、僕が彼女の手を離した途端に、全てが泡となり消えてしまいそうだったからだ。全ては幻だったと、夢だったんだって、彼女の凍えそうな程に冷たい指先を失うのが怖くて、気づくと、強く繋いだまま朝を迎えていた。
日の光が差し込む中、光を吸い込む彼女の姿を眺め、僕はようやく瞼を閉じた。曇りガラスの十字のの影が薄い布団の上になだらかな印をつけている。
格子の影を移し取るようにあげていた片手を下ろすと、蕎麦殻が詰まった枕がざらざらと音を立てた。照れを隠すようにはにかむ彼女が、「海、綺麗だったね」と、ぽつりと零した。僕は、まどろみながら、昔、爺さんから聞いた話を思い出していた。昨夜見た、あの青い生き物の話だ。
「第二次戦争中に日本兵は、海ほたるを乾燥させた粉を撒いて、仲間に道筋を教えるのに使ったり、夜間に秘密のやり取りをするために使ったりしてたんだってさ。
そのために海ほたるを採取したやつには報奨金を出すなんて国家からの御触れが出たときもあったとか。僕には珍しくもないけれど、昔は、戦争のために採取されていたのかって思うと今は幸せだよな。あの海の姿がずっと変わらずあるっていうのは、平和の象徴みたいなものなのかな。なんて」
戦争と共に生きてきた爺さんは亡くなり、僕たちはあの海の景色がずっと続いてきたと思ってる。東京から高速道路が繋がり、この場所に訪れる客は格段と増えた。夏季休暇に来訪するだけじゃなく、冬場も、週末にサーフィンして、東京へ戻ってまた仕事をする。
そのうちこの土地が気に入って、家を建てて住み始める。このあたりの土地は東京とは比べ物にならないぐらい安いから。いつしかこの土地の屋根は、全部オレンジに変わる。真っ黒な瓦屋根も、長屋も消え去り、どこかのカリブ海の街そっくりな場所が出来上がる。それが、当たり前になる日がやって来る。
「なんだか、羨ましいな」
「え?擦りつぶされて、地面に撒かれるっていうのが?」
「うん。死んだあと、誰かの道しるべになるなんて役目。いいと思う。
ただ死んで灰になってその灰を見るたびに誰かが悲しんだり、思い出したりされるぐらいなら、いっそ、誰かの役に立てるなんて幸せな死に方でしょう?。だから海ほたるが羨ましい」
「生きているうちに誰かのために生きて、死んでも、誰かの役に立つために生きるなんて、なんだか自分の人生誰かのためにずっと生きてきたっていうか、生かされてきたっていうか、ちょっとそれは辛くないかな。
僕なら死んだあとは、誰にも文句言われたくないし、どーんと家のど真ん中にでも飾っておいてむしろ、崇めてほしいって思うけど」
僕の言葉に彼女は声をあげて笑った。
「崇められるような、そんなに立派な人生送れないもの。与えられた人生を受け入れて、生きていくだけ。だからせめて死んだあと、役に立てたなら嬉しいかな。この世界がどう変わろうと、この場所で生きていくしかない海蛍には、それが最上の幸せだと思うの」
「最上の人生かなあ? まあ、程遠いよ。僕も逃げてばっかだから」
何者にもなれない僕には、与えられたものをうまく使いこなすことも出来ずにいる。あんなちっぽけな生物でさえ、たった一つの能力を買われてかき集められた歴史がある。僕もいつかは人に役に立てるような何かに成れる日が来るんだろうか。海蛍に、いつか勝ちたいものだ。
「今の自分は、歩くべき道から逃げてるって自覚してるんだね」
彼女の一言は、的を得ていて、頷くほかなかった。
「だったら大丈夫。今は逃げればいいじゃない。逃げられるなんて幸せよ」
肯定されるとは思わなかったから、照れに似た感情を抱いて腹の底がむずがゆくなった。彼女は「私も、見たくない現実から、逃げて来ちゃったようなものだから」と、どこか悲しそうな表情で笑った。
ほら貝のようなダンプのクラクション音が細いトンネルの先からこだました。国道を通る際に山を切り崩した細長いトンネルは、高速道路が出来てもなお、大型のトラックの往来がある。
大型トラックが通れるギリギリの広さしかないこの細いトンネルに入る前に、これからここを通過するという合図にクラクションを鳴らす。トンネルの真ん中までやってくるともう一度長いフォンを鳴らして、対面の車両に知らせるのだ。
この国に譲り合いの精神が無かったら、トンネルのど真ん中で鉢合わせして、約500Mほどのバックをする羽目になるだろう。だがここは安寿海、助け合いの精神で育った土地だ。こういった時の連携プレイはお手のもの。対面するバスの運転手が、今度はクラクションを長々と鳴らして発進する。僕たちを乗せるバスの後ろを小判鮫のように軽トラと、赤いミニバンがついてくる。
「ちょっと怖いね」
彼女は土砂崩れをした痕を残したままの壁を見て言った。その土砂崩れは僕が生まれる前のもので、これからも補修はされないんだろう。
こうしてバスに乗りトンネルの先へと向かっている理由は、この街の観光スポットへと向かっているからだ。
というのも、
「ツアーガイド?」
「そそ、100万円をいただいちゃったからには、この街のツアーぐらいオプションでつけないとなーって思ってさ」
「そのオプションをなんで僕がするわけ?」
「だって蒼央ってこの街の未知ならどこでも知ってるだろ?でもって観光名所話ならお手のもの、適任じゃんてことで、志歩ちゃんを観光地にツアーにつれてってやって」
「はあ?なんで僕が?」
「じゃあ、炎天下の出前と、志歩ちゃんと2人でツアーどっちがいいよ」
彼女は、バスのガラス窓へ顔を寄せて、トンネルの天井を見上げている。ほんの少し開いた窓から、チロチロと水が滴る音が聞こえた。
トンネルの内側は鍾乳洞の中のように冷たくて、天井が地下水でぬれている。草いきれの混じった冷たい風が髪を撫でていった。僕が生まれる前からこの場所はずっと変わらない。
直した形跡も補修もされてないが、これ以上崩れた形跡もない。きっと、来年もそして10年先も、このままだろうと思った。バスがトンネルを通り過ぎた後、背後で、ポッポ―っとまた、クラクション音が響いた。
彼女と手を繋ぎながら、木々が生い茂る山林へと入っていった。木の根が絡みついた洞窟がいくつかあり、その中の一つの洞穴へと向かう。緑の葉が岩肌を覆い、ところどころの祠には枯葉が溜まり腐葉土の匂いを漂わせていた。洞窟の天井からはその上に根を張る樹木の根っこがだらりと垂れている。洞窟の入り口の天井は、足元にぽっかりと空いていて、人がしゃがんで一人通れるほどの狭さしかない。
「中を覗いてみて」
僕の言葉に、彼女は、ほんの少し腰を屈めた。同じように僕も膝を曲げた。
その洞窟の地面は、金粉を撒いたかのような金色だった。水がしたたり落ちる音がすると、金色の地面に丸い波紋が浮かんだ。水滴が落ちたその場所だけが蒼央へと変わる。底の岩の形までが、くっきりと見えた。広がった波紋は、金の粉と粉が引きあうようにゆっくりと身を寄せ合い元の金色の膜で覆われた水面へと戻った。
「金色の水?」
「水の上に膜を張ってるのは、ヒカリ藻って藻だよ。きれいな水じゃないと生息できないんだ。海ほたる見て感動してたからさ、こういうの、好きかなって思って」
「うん。大好き。これも神秘的で今まで見たことない。こんな素敵な場所」
「あれは体に塗らないでね」というとムッとした顔をして、「しないよ」と怒った素振りを見せる。でもすぐに噴き出して笑いだした。志歩ちゃんは、見るものすべてに感動し、良く笑ってよくはしゃいだ。
乾いた唇を舐めると、ささくれた唇の皮が木屑のように反り返った。歯先で齧り取って、唾液と共に飲み込む。異物感が喉の肉を刺激しながら、そして消える。それは僕だけではなく、目の前で笑う彼女の身体からも剥がれおちるもので、僕の目には、透き通る肌にしか見えないけれど、彼女の美しさを創るために、不必要となった削りかすは、今も再生と剥離を繰り返している。
だからきっとこの目の前で笑う彼女は、この一瞬だけに存在する。日々再生を繰り返している中のたった一度きりの笑顔。明日には、今見ている笑顔は剥がれ落ちている。
「スマホで撮影していい?」
とスマホを彼女へと向ける。志歩ちゃんは戸惑いつつも、髪を手櫛で直し、頷いた。
「可愛く撮ってくださいね?」
「サンキュ。あ、ネットにあげるのは」
「それはちょっと」
「りょーかい」
だから思う、昨日の彼女と今日の彼女は別の人間なのだと。僕の彼女になりたいと懇願した時の彼女は、笑いながらも泣いていたのかもしれないと。何かから逃げたくて、僕へ縋ったかもしれないと。そんなはずないと否定しながら、彼女の綺麗な笑顔を眺めながら昨日剥がれ落ちて消えた女を想像した。
「交代しませんか?」
「交代?」
「わたしが今度は撮ります」
スマホを手渡すと、嬉しそうに口元を緩ませた。
「あ、そっちの方行ってください」と彼女が指差す方へとよる。
光苔の池がある場所へと近づいたので、先ほど彼女の説明したことをリピートして説明をしてみる。そんな僕の様子を真剣な表情で彼女は撮影する。なんだか、まじめな彼女の様子を見て、ちょっとむず痒い感情を抱いた。
なんとなく歌を口ずさむ。洞穴の中だからか、声が壁に反響して柔らかく響いた。曲の続きを歌ってみる。そこはまるでオーケストラの会場のように音が包み込んで、思った以上に気持ちよく歌えた。
志歩ちゃんは、スマホを持ったまま、画面のなかにいる僕をじっと見つめていた。歌い終えると、彼女は、ようやく僕へと視線をあげる。慌てた様子でスマホを僕へと差し出した。
「あ、すみません、つい聴き入ってしまいました」
「全然全然。歌、誰かに聴いてもらうの久しぶりだから、なんか照れ臭かった」
「久しぶり…」
「まあ、昔、歌い手でようつべに動画あげてた時期があったから。て言っても、全然視聴数取れなかったんだけどさ」
「歌、もっと聴きたいです!」
「いいよ、お世辞言わんでも」
「そんなことない! 今の映像と歌。すごい良かった! 蒼央さんの歌、もっと聴きたいです! きっと視聴数増えますよ!」
「そういうの、いいって!」
感情的になってしまったせいで、志歩ちゃんが、恐々とした表情で僕を見た。かといって今の言葉を否定するつもりはない。
他人からの賞賛の言葉をエンジンに注げる時期はもう終わった。いいねもRTもチャンネル登録も、ポップコーンみたいに全部弾け終わったら、あとは跳ねはしない。今更炙ったところで、焦げ臭いポップコーンが出来上がるだけだ。
「僕はもう、歌とか活動とかそういうの、諦めたんだ」
「……いやです。私は、いやです! やめたりしないで! 絶対止めるの反対だから!」
いうなり洞窟を飛び出した。慌てて追いかけると、志歩ちゃんは床に手をつき、苦しげな息をあげていた。
(7話へ)
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