「溺愛する猫耳魔法少女とリアルで会ったら、イケメンだったのだが」第1話
opening
side 白枝 燕
「邪魔なので、下も脱いじゃいましょうか?」
と、五百城 麦の低くてフラットな声が白枝 燕の耳に届いた。
先ほどまで、執拗なほどに耳朶にキスを落としていたせいか、ほんの少し息が上がっているみたいだ。
私は五百城に気づかれないように、小さく息を吐く。
視界を塞がれているせいで、肌の上を滑っていく五百城の掌の感覚がより研ぎ澄まされて感じる。
「もうやめて」
そう伝えたくても、口の中に猿轡のようなものをされているせいで、この思いは伝わらない。
身体を捩って思いを伝えると、金属音がガチュ、ガチャと激しく鳴った。セラミックの手錠らしきものが、私の両手首に痛みを与えている。
それは、部屋の冷たい空気を吸ってひんやりとしていて、汗ばむ肌の熱を容赦なく奪っていった。
——ここはどこ?
エアコンのスイッチが入った音がした。私が寝かされているのはスプリングベッドの上だろう。きっと肌寒い理由は、セーターも肌着も身につけていないせいで、きっと服を着ていれば快適な室温が保たれているはずだ。
ここは、どこかの室内だ。ただ、私の部屋ではない。
あの手料理を食べて意識を失っている間に、どこか別の場所へと移動させられたのだ。
おそらくは、先ほどから私へ話しかけている男。
五百城麦の部屋だ。つまり私の部屋の隣ということ。
壁を叩けば誰かが反応するかも。とも考えたが、即座に、ふらっと家に遊びに来るような友人もいないし、恋人とは別れていた。
誰もいない私の部屋に助けを求めたところで、どうしようもない。
両手の自由を奪われたまま逃げようとベッドから身体を浮かせる努力をする。
汗だくになるほどにスプリングを軋ませて暴れまくる様子を眺めていたのか、しばらくすると、五百城は無防備に晒していた私の臍をツンと突いた。
どんな姿を晒すにせよ逃れられない。
彼にはその逃げ惑う姿すら滑稽な景色でしかないのだ。そう気付いて、足を閉じて大人しくすることにした。
「スカートのファスナーって、どこですかね?」
と、五百城は独り言を呟きながら私の腰の辺りをスッと撫でた。
きっと脱がされたら、そこにもキスを落とすのだろう。
耳に突き刺していた舌先は今度は柔らかな肉の中までもを蹂躙するはずだ。
卑猥な水音を立て、快感に打ち震える身体を弄ぶ。
そうされる未来を想像した途端、オートに腹の奥がじんと熱を持った。
——私の身体はとても素直だ。
彼を受け入れたくないと願っているのに、もう一方では、この先を期待する私がいる。
彼のなすがままに、されたい。
彼に身も心も奪われてしまいたい。
そしたらいっそ、全て丸く収まるんじゃないかとすら思っている。
その後の泥沼など、一切合切忘れて、いっときの快楽に溺れて、壊れて、奪って、しまえばいい。リアルなんて、私のちっぽけな世界なんてどうなったっていいじゃない?
そんな子供みたいな欲が支配する。
でも私は大人だから、彼よりは大人な価値観に染まってるから、年齢に相応しい対応をする。
こんなことはやめましょう。
話し合いが大事。
まずはお互いに腹の中を見せ合いましょう。そうすれば解決できる。
NO暴力。NOセックス。WANT友好的解決。
喋れないなりに気持ちを伝えたつもりが、彼の行動はますますヒートアップする。ここまでくると、誰かがもしもボックスを使って”意思疎通”とか”察し”とか”感情理解”などという人とのコミュニケーションを押しはかる語彙の一切合切を辞書から消したのではと勘繰ってしまう。
つい我慢できずに太ももを擦り合わせたのをめざとく見つけて、彼は「烈火さんはやらしい人ですね」と、意地の悪いセリフを吐いた。
私はイヤイヤをするように大きく左右に頭を振って否定をしたものの、なす術もなくジイイッと、スカートのジッパーが下される音を聞くしかなかった。布擦れの音がして、履いていたタイトスカートが足先からするりっと抜き出される。
足元に五百城がいるのなら。と、反射的に足を思いっきり蹴り上げた。
——が、
何にもぶつからずに空を切る。
すると、頭上からくすくすという笑い声が上がった。
「ああ、残念でしたね。そこに僕はいませんでした。こっちですよ」
五百城の指先が、私の右足の親指を強く掴んだ。それでも、もう一度と、足を振り上げると、今度こそ何かにぶつかった。
やった!
小さな反逆が成功して、してやったりと頬を緩ませるのも束の間、グイッと足を引っ張られ、ひっくり返ったカエルのように折りたたまれてしまった。最近知り合ったばかりの隣に住む男に恥部を曝け出しているのかと思うと、羞恥心で身体がかあっと熱くなった。
ゲームの世界なら、こう簡単に抑え込まれたりなどしない。
五百城クラスのレベ帯なら綺麗に切り刻んでリスキルしまくって名前を見ただけで逃げ出すぐらいにトラウマ植えつけてやっただろう。
けれどリアルの世界はそうもいかない。
五百城が廃人ゲーマーだからといって、相手は180cmを超える男。
体力の有り余った大学生。そんな相手に結局、女は抗えない。これだからリアル男子は……。と今更な文句をぶちぶち口にする。
右足の親指が嬲られる音が、エアコンから噴き出る空気に混じって湧いてくる。逃げようと足を引いたせいで、彼の熱がそれを追いかけるように移動してきたのがわかる。
きっと五百城はつるんとした陶器のような肌の上に恍惚の笑みを載せて、情けない格好をする私の肢体を眺めているんだ。
彼の綺麗な顔が、涎で塗れる姿はきっと美しい。
その姿が見れなくてとても残念でならない。
と、心にもない言葉を、猿轡を押し込まれた喉の奥から出した。
すると突然、五百城は、ちゅぷっん。と指を口の中から抜き出した。
汚れた唇は新しい味を求めるように足の甲から向こう脛を伝い、膝へと移動し出す。彼は、何一つ取りこぼさないようにひとつひとつの細胞に熱を与えてゆくよう。
段々と堪えきれない感情が込み上げてくる。
じわじわと膨らんでくる感情の波のせいで涙目になる。
羞恥心でどうにかなりそうだ。
かぶりを振ると、ようやく気付いたのか、鼻先へと熱い吐息が降りかかった。
「そうでした。この状況じゃ会話、出来なかったですね。
外しますけど、叫んだりしないでくださいね。
ずっと烈火さんの感じてる声、聞きたいって思ってたから、外してあげたかったんです。それに外したら……キス、できますね」
と嬉しそうに語って頭の後ろの鍵をかちりと開けた。
途端に口元に開放感が訪れる。
どうして五百城麦。いや、ゲームの世界の同居人”ムギ”と、こうなったのだろう?
それは、きっと、あのせい。
あの瞬間から、五百城麦と私は、おかしくなってしまったんだ。
第1話 side白枝 燕 (1)
白枝 燕は、レストランのウエイターに夜景が見える席へと通された時、“これは、来る!” と心の中で叫んだ。
”来る”と思ったのは恋人の峯岸 那央からL I N Eのメッセージが来た時から、薄々予感していた。
“「付き合った2周年記念だから特別なお祝いにしたくて、ちょっと奮発してみた」”
メッセージの下に添付された、都内でも有名な高級ホテルの中にあるフレンチのU R L。
ネットの書き込みには予約を取るのは半年前の予約が必須。
コース料理は、おひとり様5万~。ドレスコードあり。
バースデープランというホテル宿泊プランは一泊の料金が私の給料よりも高かった。
普段のデートは、近場のカフェやバルで食事することが多い。
1周年の時は彼の部屋で青山のパティシエのケーキとデパ地下で買ったアペタイザーに、手作りのローストビーフ。
いつもより少しだけいいワインでお祝いする程度だった。彼氏の本気度が測れるなら、バロメーターが振り切れるレベルに本気だ。
広告代理店に勤めて7年目になる彼が奮発したのは、食事だけではない。
先ほどから何度もジャケットのポケットに手を入れては、その存在を確認している“箱”もだ。
宝石のように美しく盛り付けられた前菜の皿に向かって、ウエイターから長々と料理の説明がある間も”来る”というワードが頭の中からこびり付いたままだった。
むしろウイルスのように増殖するばかりだ。
箱の中いっぱいに溜まって溢れ出したら、きっと彼は知ってしまう。
告げてしまう。隠し続けた真実を……。
そんな心が焦る中でも、ホテルの最上階から見えるスカイツリーはとても美しい。
夕焼けのように鮮やかなオレンジに染まった点灯をするスカイツリーは夜空に浮かぶ燃える塔のようだ。
煌々と燃える灯火は消えることなく秋が深まった夜に満月と共に浮かんでいる。
人間が造った人工的な建造物を眺めながら、現実から目を逸らそうと、燕は全く別の世界のことを考えた。
それは、この地球ではなく星空に浮かぶ一番星に住む人たちのこと。
星の惑星コミューン“ペテルギウス”に住む星の住人たちは、そろそろ今夜のイベントのために目を覚ます頃だ。
きっといつものようにペテルギウスの王である”キング”の家に集まり、おしゃべりに花を咲かせているのだろう。
今夜の東京も重たい雲がかかっていて、星は見えない。
きっと明日は雨だ。
それなら明日は、一日中家にいられる。
ベッドの中で毛布を被ってぬくぬくとしながら、ペテルギウスの住人たちとたわいないお喋りをしよう。
今夜のことを話したら、どんな返答が来るだろう?
明日のことを考えていると、心なしか幸せな感情が胸を温かくさせて、笑みが溢れた。
side峯岸 那央
スカイツリーを眺めて笑顔をこぼす白枝燕の横顔を見て、峯岸 那央は、ずっと緊張していた頬が緩むのを感じた。
ガラスの壁に映る彼女の笑顔。色白の柔らかそうな頬。
高い鼻梁の両側には猫のようにキュッと上がった大きな瞳。
栗色の艶やかな髪は毛先まで艶を放ち、照明を絞った店内でキラキラと輝いている。
「ふふっ」
と猫が喉を鳴らすような楽しげな声が、ボルドーの口紅を引いた唇からこぼれた。
「すっごく綺麗」
俺を見つめ、白枝燕が微笑んでいる。今夜の彼女は一際美しい。
そんな彼女が自分のテーブルに座っているという現実が、今でも夢のように感じる時がある。
彼女ほどの美人が、ごく普通のサラリーマンである俺を選んだことを疑った時期もあった。
彼女は実は詐欺師で、怪しい絵画でも売りつけるつもりか?
金目当てだとも考えた。
それでも彼女と付き合えるならと、割り切って考えていたのに、彼女が服やバックをねだったことは一度たりともなかった。
だからそれは杞憂だと、彼女の優しい笑顔を見つけるたびにすぐに思い直す。
彼女と出会って3年。付き合って2年。ちょうどいい頃合いだ。
——彼女と出会ったのは3年前のこと。
広告代理店である白鴎堂・札幌支社から異動となり、東京本社に戻った際に担当となった先が甘栗商事だった。
初めて甘栗商事に訪れた時、受付担当だった白枝燕に一目惚れをした。
そう一目惚れ。まさに彼女の笑顔に文字のごとく射抜かれた。
高嶺の花と呼ばれる彼女と付き合えたのは、些細な偶然が重なったおかげで生まれた奇跡のようなものだ。誰もがその幸運が訪れた俺を羨んだ。
付き合いだしてからも、彼女は常に可憐な花のままだった。
派手な交友関係の噂もなく、デートはいつも21時まで。
倹約家で、無駄な外食を好まず、靴も鞄もシンプルで長く使えそうなものを選ぶ。
冷蔵庫には作り置きの惣菜が入っていて。週に何度か一緒にするランチデートでは、手作り弁当とポットに入れた味噌汁やスープを持参するのは、付き合ってからもずっと変わらないルーティンだった。
彼女の部屋に訪れた時も、シンプルな色合いにセンス良くまとめたインテリアは好みのものだったし、丁寧に作られた料理は、彼女そのもののようで、将来の彼女との未来を思い描くには十分すぎた。
白枝燕と付き合って2年。
これ以上待つつもりも待たせるつもりもない。
——今夜、確実に決める。
緊張で汗が滲んだ額を手のひらで拭っていると、テーブルの上に、スッと細長い箱が置かれた。
「これ……、私から那央にプレゼント。気に入ってもらえるといいんだけど」
遠慮がちに彼女が目を伏せる。燕が買った俺への贈り物。俺のために悩んで、俺のためにリボンをかけて、俺のために選んだ贈り物。
——ああ……。
燕が俺のために使ったその時間、全てが尊い。
思わず涙がこぼれ落ちそうになったが、どうにか耐えた。
緊張で震える手で金色のリボンを解く。
中には、彼女の着ているワンピースと同じ濃紺色のネクタイが入っていた。
シンプルな濃紺は手持ちのシャツのどれにも似合いそうだ。結び目を持ち、首の前にそれを当てた。
「どう? 似合う?」
「うん、素敵。喜んでもらえてよかった」
彼女の頬がくっと引き上がる。
途端に背筋が伸びる思いになった。
——次は俺の番だ。
スッと、彼女の長いまつ毛が伏せられた。
彼女の視線がネクタイよりもずっと低い位置へと移動する。
そういえば……、コーヒーは手付かずのままだった。
いつもなら飲み干しているはずだったが、タイミングを諮るのに必死で忘れていたんだった。そんな冷め切った黒い液体を、燕は、じいっと見つめている。
それはどこか感情を押し殺したような瞳は何かに怯えているようにも見える。
——なんだろう。
この歯の奥に何かが詰まっているような違和感は。
その違和感を見つける前に、カチャカチャッと、重ねられた皿が音を立ててた。
はたと意識を彼女と一緒にいる空間へと戻す。
今は、カップよりも、もっと大事なことに集中しなければ。これからやってくる瞬間の方が、大事なのだ。
斜向かいに立つウエイターに目配せをする。
髪を撫で付けた目の細いウエイターがスッとその場を離れていくのを確認してから、慎重にジャケットの裏側を撫でた。
指先が硬い箱にたどり着く。
「燕」と彼女の名を呼んだ途端、パッとレストランの照明が落とされた。
テーブルのうえに置かれたキャンドルの炎だけが、ゆらゆらと揺れている。
椅子から離れて、彼女の座る席の斜め前に立った。
彼女をその場から見下ろすと、彼女もまた緊張した表情を浮かべていた。その場で片膝をつき、指輪の入ったケースを掲げる。
「燕……。今日で付き合って2年になったね。
出会った時からずっと、君が理想の女性だった。
この先も俺の隣にいて欲しい。……結婚してください」
ぽろんとピアノの曲が、プロポーズを後押しするように静かに流れた。
俺たちの上だけに、スポット照明があたっている。
“はい” という彼女の口から出る言葉をじっと待った。たった2文字の言葉を聞くのに、これほど緊張することなどあっただろうか。
国家単位のプロジェクトを担当したときのプレゼンでもこんなに緊張したことはない。
先ほどまで、とても素面じゃいられないと、がぶ飲みしたばか高いシャンパンが胃液と共に喉の奥までのぼってきている。
胃液と共に、ごくりと生唾を飲み込んだ。
——ああ、お願いだ。
早く、早く、「ハイ」って言ってくれ。
俺の妻になると、言ってくれ!!
祈りを込めて彼女の瞳を見つめる。
すると彼女は、
「結婚、って、専業主婦になっていいってこと?」
と、質問をした。
——あれ? 何かプロポーズに不備があった?
映画の中ではこれで彼女から「イエス」がもらえてたけど、何か足りなかった?
「つ、燕が望むなら、専業主婦でも構わないよ」
「そっか。専業主婦は魅力的だけど、そうすると、課金がなー」
「K A K I N?」
——今なんて言った?
かきん? え? ユーチューバーの人?
え? カキーン。ホームラン?
カキンガナー、どこの国の単語?
え? え? え?
彼女の発した言葉の正答が探せずにぐるぐると頭の中で巡り出す。
「那央。私ね。ずっと隠してたことがあるの」
白枝 燕は少し申し訳なさそうに、言葉の語尾を濁らせた。
「な、なにかな?」
「私、ゲーマーなの。それも廃人並みのソシャゲ課金勢の」
「ゲーマー?廃人?え? え?」
—— 一体、俺の彼女は何を言い出したのだ?
ゲーマー?
廃人?
課金勢?
この可憐な美女が、廃人ゲーマー?
ゲーム会社の名前すら知らなそうな彼女が?
ゲームセンターに行ってもプリクラかU F Oキャッチャーでぬいぐるみ取るぐらいの経験しかなさそうな彼女が?
FFもバイオもSAOも見たことも聞いたこともないと言いそうな彼女が? ソシャゲと言ったか?
は? 今、俺は何を聞かされてる?
「わかるよ。そうだよね。
那央ってゲームっていってもスマホでパズルゲームちょっとやるぐらいだもんね。
でもごめん。
私はM M OR P Gガッツリやってて。
専業主婦とか日中もゲーム三昧できるのは憧れるけど、結婚した後も仕事は続けたいの。
だって自分のお給料は全部、ゲームに課金したいから!
というわけで、そろそろコミューンのイベ始まっちゃうので、先に帰るね。じゃあ」
と言い残すと燕は、颯爽と店を後にした。
ケーキに蝋燭を灯して脇にスタンバイしていたスタッフが、別のスタッフに引っ張られて厨房へと消えていくのが、視界の端に見えた。
周囲の視線が痛いほど感じたが、今はそれどころではなかった。
会社の高嶺の花で、可憐でセンスのいい俺の自慢の彼女。
”白枝燕は実はゲーム廃人だった”
拍子抜けするような理由で、一世一代の大仕掛けは大失敗に終わった。
力無く立ち上がり、彼女が先ほどまで座っていた席へと腰掛けた。
テーブルの上へ視線を落とすと、彼女のコーヒーカップは空だった。
水が入っていたゴブレットも一滴すら残っていない。
どの皿もかけら一つ無く、最初から何もなかったかのように綺麗だ。
ここで食事をしたという痕跡があるものは、俺が口つけなかったコーヒーのカップだけだった。
「ああ、そうか」と、突然、靄が晴れる。
燕が俺のコーヒーカップの中身を気にしていた理由は、その中身が自分へと降りかかることだったのだ。ポケットの中にある箱に気づいた時から、いや、このホテルで2周年記念をしようと誘った時から、彼女の気持ちは決まっていたんだ。
* * *
side 白枝 燕 (2)
玄関で乱暴にヒールを脱ぐ。
部屋に上がり込むとパソコンの電源ボタンを押した。
低音のモーター音が鳴り画面が表示される。
ジャケットを急いで脱ぎ、紺色のタイトワンピースのバックファスナーをざっと勢いよく引き下ろす。
そのまま下着のホックも外してしまいたかったが、パスワードの入力画面に切り替わったので、素早くパスワードを入力し“M P O”へとログインをする。
【Monster Planet On-line】
通称”M P O”は、今から5年前に解放されたMMORPGだ。
ゲームの世界は、世界の終焉を迎えた地球”ダークアース”。
モンスターに侵略されて”ダークアース”となった地球は、人間が住むことができなくなった。
そのため地球から逃げ出した地球人は各々のプラネット(星)に移住し、地球を取り戻すためにモンスターと戦うという設定。
プラネットはいわゆるギルドのようなもので、プレイヤーは好きなプラネットを選んで住むことができる。
住民はプラネットの一員として役割を持ち、星の国王(キング)に仕えて、土地を開拓し、家を建て、星をモンスターから守り、星を豊かにしていく。
星の住民たちはモンスター退治といったバトル要素だけでなく、他の星との交易で物の売買をしたり、武器製作や農作業といったクラフト的な要素もあり。
人によってさまざまな遊び方ができる。
そして私は“ペテルギウス”というプラネットに所属する住人だ。
職業は女戦士。戦闘民としてモンスターを退治して金を稼ぐ。
水、金、日曜の夜はモンスター襲撃イベントがあるため、戦闘民はここぞとばかりに稼ぎに向かう。
当然、私も報酬目当てでイベントに参加する。着圧のきついストッキングを爪先から引き抜いていると、
【お帰りなさい烈火さん】
とシステムのメッセージがポップアップされた。
メッセージを反射的に閉じて、すぐにプラネットにいるメンバーのチャットを覗く。
プラネットに所属するメンバーなら誰でも見れるプラネットのコミューンチャット欄には、22時からのモンスター討伐戦についてキングからの指示が書き込まれていた。
キングはこの星を作った人物で、星の運営のすべてを統括する責任者のようなものだ。
プラネットを攻撃するモンスターが出現する時は、星に棲む戦闘民のほぼ全員でモンスター退治に挑む。
そのための指示をキングがチャット欄に書き込んでいた。護衛班と攻撃班とメンバーがランダムに割り振られる。
日本サーバーのMPOの中でも、大きい星になると1000人を超えるところもある。
そんな中、ペテルギウスは常に100名ほどの住民を抱える中規模な星だ。
ペテルギウスはMPOのベータ版開始当初からある星だが、5年経った今でも割と住民のイン率は高く、隠居組はほとんど居ない。
3割ほどは、数ヶ月ほどの単位で星を点々とするノマドで、5割ほどが初期からゲームを始めた民たちだ。
戦闘民は半分ほどで、残りはクラフトや交易を楽しむ勢といった感じだ。
現在インしているのは30名ほどだった。イベのスタート時間になれば、あと10名ほど増えるだろうか。
討伐メンバーの中に、まだ私の名前がどこにも見当たらないのを確認する。
今夜はインするかどうかわからないとペテルギウスの幹部である源さんに伝えていた。
途中参加なら遊撃班になろうと思っていたが、イベント開始前なので、どこかのパーティに入れてもらおう。
濃紺のワンピースをさっと脱いで、パジャマ代わりに、男もののTシャツを被った。
ふと、そのTシャツが峯岸那央のために買ったものだと思い出してしまい、心がちくっと痛んだ。
あんな形で振るつもりではなかった。けれどああでも言わなければ諦めてくれないのではないかという心配もあった。
他に男がいるからだろうと、中傷や侮蔑の言葉を浴びせられた挙句、スマホを壊されたりしたら最悪だ。
コーヒーぐらいなら被ってもいい。そう思っていたのに……。
やはり彼は優しくて私とは違う世界線にいる人だった。
ヘッドセットのイヤフォンジャックをパソコンへと差し込み、VCの出力にチェックを入れる。途端に、ヘッドフォンから男たちの話声が漏れ出た。
話しているのはキングと、“ペテルギウス“の幹部である源さんだろう。
2人の声しか聞こえないが、ログイン数は20名ほどいるので、後のメンバーは聞き専でいるのかチャット勢。
時々、彼らの会話に連動して、チャット枠にペテルギウスメンバーが「了解」とか「どこ守りますか?」などといったメッセージが書き込まれている。
(第2話へと続く)
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