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余命14日間の彼女と青信号を渡れないボク *4話*

#創作大賞2023


 立ち上がろうとした僕の腕を彼女は掴んだ。

「そばに……、居てもらえませんか?」

 彼女の赤い唇から溢れる呼気が熱い。太陽の熱に毒されているその表情。この熱は、日傘なんかじゃこの暑さを遮れない。少女の細い二の腕を掴むと、ぬるっと指先が滑った。

「この状態じゃ危険だから、どっか涼めるところにでも入らないとさ」
「涼めるところ」

 ぼうっとした表情を向ける少女が、僕の言葉を反芻する。彼女の唇からこぼれ落ちた言葉は何だか妖しげに響いていて、慌てて説明を付け加えた。シャークテイルの呼び込み文句。それを大分離れた場所でいうことになるなんて思ってなかった。

「あそこ、見せますか? 僕、あそこのペンションの店員なんです! カフェもあるし店の中で休めるから! 勿論無料で! 僕が店までおんぶしてあげましょう!」

 クーラーボックスを肩から下ろし、代わりに背中を彼女に向けた。上体を起こした彼女が、僕の背中を眺めた後、そっと柔らかな指先が背中に触れる。自分よりもずっと熱い肌に触れてしまい、ことの重大さを感じて息を呑む。戸惑っている彼女の腕を掴み、立ち上がった。

「すみません。お願いできますか?」

と彼女が背後から僕へと声をかける。「任せてください」いつに無く声を張り上げて、砂を蹴った。




 12畳を2つに区切った一番奥にある座敷に彼女を寝かせた。氷を入れた氷嚢をタオルに撒いたものをぐったりとした彼女の首の下に入れると、安堵の声を彼女は洩らした。

「暫く横になったほうがいい」と告げると、小さく頷き、瞼を閉じた。長いまつげが、透き通る肌の上に影を落としている。真っ白な肌は、この土地には似合わない姿だ。多分、観光者だろう。一人だろうか。

「めっちゃ美少女! めっちゃくちゃ可愛い! なにあれ天使かよ!」
「海斗、うるさい」

 ユタさんが、海斗に肘を入れたが怯まずに、鼻息荒くさせて、座敷席を何度もチラ見していた。日が落ちかけ、海の客達が引いていく時間に、彼女が奥の座敷から顔を覗かせた。

「ごめんなさい、長らくお邪魔してしまいまして..…」

 海斗がダッシュで彼女のほうに走りよった。

「そんなの! 気にしなくっていいよ! 君いくつ? 名前は?  何処から来たの?ん? ん?」

 いきなり繰り出された質問に、固まる彼女を見て、ユタさんが、海斗の頭をポカリと叩いた。

「なにガッツイてんだよ」

 目を丸くしている少女にユタさんが振り向いた。怯えた表情を彼女が見せる。

「体大丈夫か? まだ優れないんだったら、病院連れて行くが……」

 気味が悪いほどに優しい態度をするユタさんに向かい「大丈夫です」とほほ笑む彼女が、僕へと視線を向けた。

「先ほどは、どうもありがとうございました。」

 ひまわりのように明るい笑顔に、めまいを感じる。

「おなか空かないか? 此処の名物の冷やしチャーシューメンもあるぞ」というユタさんの提案を少女はゆるく手を振って「大丈夫です。お腹減ってないので」と、断った。その小さな手は、太陽に翳したら全てが透けてしまいそうなほどに真っ白だ。

「甘いのはどう? カキ氷とか」
「カキ氷...」

 一瞬、少女の瞳が大きく見開いたのを見て、「じゃカキ氷、作ってくるか。ちょっと、待ってろ」と、ようやく辿り着いた答えに満足した様子で、厨房へと消えて行った。海斗はというと、テーブル席へと座り直した彼女の側から離れない。海斗のエプロンの紐を引っ張り机から引き剥がす。

「なんだよ引っ張んなって!」というなり、また磁石でもついているみたいに彼女の元へと戻ろうとした。

「外の看板を仕舞う今日の当番は海斗だろ?」
「あー其の間に、口説こうという魂胆だな?」
「悪いな」
「ずりい!」

 文句を告げながらも外へと出て行く海斗に手を振った。振り返ると、唖然として僕を見つめる少女の瞳に囚われた。海斗とのやり取りの一部始終を聞いていたのか、頬を真っ赤にして、唇を震わせている。

「私のこと、くどきたいんですか?」と彼女は呟く。こういうときは、笑って誤魔化して欲しかったりするものだ。純粋な少女に尋ねられ、なんと答えるべきか頭を悩ませた。

「それはその冗談ってやつで。あ、僕ユーチューバーやっててさ。「しんごうき」って三人組のメンバーの青色担当。
 で、つい口が回ったっていうか。それに、僕は青担当だから、どんな時でも進まず進めーって精神で……。ってまあ、知らないか全然視聴者数ない底辺ユーチューバーだしね。つまりノリってわけ」

「ノリ……ですか...…」

 何処か肩を落としたように見える少女のテーブルの側に近づく。彼女の視線まで腰を屈めた。俯いたままの彼女の顔を覗き込むように、視線を合わせると、彼女は驚いたようにビクッと椅子から小さく跳ね上がった。

「そーいうこと、流石に高校生を口説くとかないんで」

 僕の言葉に頬を赤く染める。純粋な少女を安心させようとニコリと笑う。彼女をこれ以上いじめるのは良くないなと彼女の頭をポンと撫でた後、上体を起こした。

「かき氷、持ってくるね」

「あ! あの! あの……これ」

 と少女は封筒の中から100万円の札束を取り出した。テーブルの上のトンと置かれたのは、銀行名の入った紙が巻かれた札束だった。

「え……、諭吉?」

 テーブルに置かれた金は100万円の札束。突然の札束の登場に驚いていると、彼女は僕を潤んだ瞳で見上げた。

「100万円あげます。だから、私の彼氏になってくれませんか?」

「……は?」

「ユーチューバーなんですよね? しんごうきのあお! は止まらず進め! なんですよね? だったら、このお金を受け取って、一歩、私へ踏み出してください!」

「あ、いや、踏み出すって言われても、君、高校生でしょ?」

「もしダメなら、もう100万円差し上げます!」

 と腰にぶら下げたショルダーポケットから、札束を取り出そうとする。まるでそこから無限に金が出てくるかのように手を突っ込む少女に、慌ててその腕を掴んだ。

「いやいやいや、話がわからないんだけど。君の彼氏になったら、その、100万くれる……の?」

「はい!」

 純粋無垢な笑顔で元気よく応えた彼女を見て、目眩をおぼえる。

「一体どこの世界線から現れたお嬢様?」

「ねえねえ、僕じゃだめ?」

 と看板を下ろしてきた海斗が横槍を入れてきた。当然だ、こんな美少女と付き合えてさらに100万円ゲットできるなんて美味しすぎる。

「えー。僕も案外可愛いとこあるよ?」

「私は、あおさんを買いたいんです!」

 ビシッと指さされてしまい、狼狽えていると、さらに札束がどんとテーブルに置かれた。

「ちょ、ちょ、蒼央! どんな徳を積んだら、あんな美少女に彼氏になってくださいって言われるんだよ」と、海斗が僕の背中で爪を研ぎ出した。

「待って待って待って、これって何かのドッキリ? どこかでカメラが回ってて、僕のニヤケ顔をネットに晒す…みたいなやつだよね?」

 訳がわからないといった調子で彼女は首を傾げる。
 じゃあ、どこぞのユーチューバーの仕掛けではないってことか?

「なんのことかわかりません」

 その表情に嘘はなさそうだ。だからといって信じられるわけがない。だって目の前にいるのは、紛れもない美少女。そして現実味のない札束、僕が彼氏???
ありえない。一体何が起きているんだ?
なかなか首を縦に振らない僕に痺れを切らしたのか、彼女はすくっと立ち上がった。

「足りないのなら、もっと持ってきます! 300万でも1000万でも!」

 と大きな声で言った。そんな彼女の発言に今では店内の客が注目をしている。この店を出た後、彼女が危険な目に遭いやしないかと、想像しただけで背筋がざわついた。

「待って待って、一旦落ち着こう、ふううー深呼吸―。ふー。すってー。はいてー。ふーーはー〜―」

 と僕を真似して。少女も胸に手を置いて、息を吐きだす。ようやく落ち着いたのか、スッと席へと腰を下ろした。つい先ほど熱中症警戒アラートが発せられたと、ニュースで流れていた。きっとこの少女の脳はすでに沸点を超えてしまっているのかも知れない。

 受け取った言葉を一旦シャットアウトして、プラスティックの水筒からガラスのコップへと麦茶を注ぎいれる。

「今日は特に暑いからね。まずはいっぱいどうぞ。で、ご注文は?」

 ギャルソンエプロンのポケットから、注文用紙を取り出して、ペンの頭をクリックした。バネに押し出され、勢いよく飛び出すペン先をまっさらな用紙の上にそっと置く。

 少女はグラスへと視線を落とすと、両手で抱きしめるようにグラスを掴み、ぐいっと一気に飲み干した。少女の白い首筋が露わになり、ごくりごくりと飲み干す音が、薄く店内にかかったハワイアンミュージックを消し去る。

「私の余命、あと14日間なんです」

 真面目なトーンで彼女はさらりと言った。14日後に死ぬ? 今度も何を言い出すのだ? それに嘘にしてもとんでもないセリフだ。きっと彼女の頭の中はまだギラギラの太陽が陣取っているらしい。僕はお盆を抱きしめて、首を傾げる。

「ううーん。まだちょっと休憩が足りないみたいだね。うん」

「はいーお待ち!シャークテイル特製、ゴースト苺のかき氷!」

 ユタさんがトレイに乗ったガラスの器を持ってくる。それを受け取り、彼女の目の前に置いた。吹けばはらはらと舞いそうな薄氷でできたうずたかい雪山が赤いシロップで染まっている。その上に白い練乳がたっぷりとかかり、丸いチョコボールの目がふたつ、彼女の正面に向かった氷山の中央あたりに張り付いている。

 ゴーストに見立てたかき氷がガラスの器の上にでんと置かれると、彼女は戸惑ったようにユタさんを見上げた。

「え、注文してません」

「これは店のサービス」

「そんな、困ります」

「食べないとかき氷のお化けが出てくるぞ」

 と強面な見た目のユタさんらしからぬ発言が飛び出した。そのせいで僕も彼女も目を丸くすることになった。遠慮がちに彼女がユタさんの好意を受け取る。

 かき氷の器を見つめる瞳は眩い光を放つ宝石を見つめるかのように輝いている。そっと刺しこんだ銀色のスプーンを優しく抜き取り、赤く染まる唇へと持って行った。

「...…甘い。美味しいです! とても!」
「最高級天然氷仕様だ。シロップは市販だけど」

 ユタさんが横から、突っ込みを入れた。なんの変哲もないかき氷に感動する彼女にユタさんも少し照れくさいのだろう。

「シロップのネタバレは禁句でしょー」

 僕が突っ込むと、ユタさんが舌をぺろりとだして立ち去った。シャクシャクと耳心地の良い音を立てながらスプーンを動かし続けている。幸せそうに食べ続ける彼女の横顔を眺めていると、はたと手を止めてほんの少し舌先を伸ばした。

「私の舌、赤くなってますか?」

 弾む声の調子と、子供のようにはしゃぐ彼女に、「うん、真っ赤だよ」と答えてあげる。「ふふふ」と赤く染まった舌先を自慢げに笑い、また赤い氷を口へと運びはじめた。

「君はどこから来たの? 観光?」
「....はい」
「それで君の余命は残り14日なわけなんだ」
「はい」
「ガチで?」
「はい。……14日後、私の誕生日なんです。その日に、死にます」

 真面目なトーンで話す少女の言葉のせいで、脳内のカロリーが奪われていく気がする。頬を膨らませて強い口調に、其の瞳の強さに、肩を竦めてしまう。

「誕生日に死ぬんだ」
「はい」
「まあ死ぬにせよ、こんな大金持ってますって人に見せるのは危険だからね。しまっちゃおうか」

 彼女は、僕の言葉に素直に従って、カバンの中にお金をしまった。

「僕は、飯多 蒼央。で。君の名前は?」

「志歩です。調月....志歩(もろづきしほ)それで、私の彼氏になる覚悟できましたか?」

 と彼女はまっすぐに僕を見る。根が真面目なのか、それとも嘘が上手につける子なのかわからないが、彼女の瞳にはどこか決心した時に見せる炎のようなものが宿っている気がした。きっとそれはJ Kに告られるなんていうサプライズのせいでバグった頭が見せる都合のいい幻なんだろうけれど。

「それでさ、もしも君と僕が付き合ったとする。すると僕は14日後に恋人を失うってことになるよね。それってさフェアじゃなくないかな? 例えばこのかき氷。大食いチャレンジで10杯食べなくちゃならないとする。それを君と僕で食べる。まあ最初は美味しいよね。

 で、君はお腹がいっぱいになってごちそうさまって先にリタイア。でも僕は、残りのかき氷を食べなくちゃならない。食べきれないとペナルティがあるから僕は一人で黙々と食べる。氷で頭が痛くなりながら最後のひと匙まで。

 だから、後半、僕が一人で食べている時間は幸せとは言えない。君を失った後半戦を考えたら、この話はフェアじゃないよね?」

 彼女はスプーンを握りしめ、俯いてしまった。少しは残されるに人の気持ちがわかっただろうか。

「そうかもしれません。確かに私はずるいですね」

「だろ? だったら」

「でも! 彼氏が欲しいんです! 残りを一人で食べさせるのは申し訳ない。そう思います。でも、だからこそ、私がチャレンジしたいことに付き合っていただくのはタダではなく謝礼を払う。そう言ってるんです。100万円、それじゃあ足りないんですか?」

 たんっと、スプーンのお尻をテーブルに突き立て僕を睨んだ。




 夜になる前にどうにか彼女を説得して店を出た。彼女はまだ納得していない様子で唇をつんと尖らせて僕の後ろをついてくる。バイクを通りに出して「ほいっ」と、志歩ちゃんへと白いヘルメットを渡すと、今まで曇り空だった表情がぱあっと晴れた。 

 駅へと向かうバスの最終便が出てしまったため、海斗からバイクを借りて、彼女を駅まで送ることになった。旧式なディーゼルエンジンの唸りを響かせて、海沿いを走る。真っ暗な海辺の道にポツリポツリとある白熱灯の街灯だけが頼りだ。彼女の日傘と、小さな鞄を前籠に入れ、バイクを押す。バイクの後ろで僕にしがみ付く体温を感じる。

 正直こんな可愛い子の彼氏になれるなら光栄だ。けれども、

「どんな金かわからないもんな。変なトラブルに巻き込まれるのはごめんだ」

 という気持ちも少なからずある。この少女の事情がいまいち掴めない。

 彼女の持つ100万円の出所はどこなのか。

 どうして僕に彼氏になって欲しいのか。

 14日後に彼女は本当に死ぬのか。

 駅に着くとようやく諦めがついたのか、「あの、かき氷、奢って下さり有り難う御座います」とぺこりと頭を下げた。そんな素直な反応をもらえるとは。先ほどの話は彼女なりの冗談だったのだろう。そもそも自分の余命がわかるなんて、変な話だし。

「気にしないで。あんなのタダみたいなもんだし」
「そういう問題じゃないです。それに送ってもらって、どんなお礼をすればいいのか」
「お礼はいいから、電話番号ってさ」
「あ!!」

 突然彼女が大声を上げた。

「今!光った!!」

 指差しながら、僕の腰にギュッと力強く抱きついた。柔らかな彼女の身体が押し付けられてブレーキを握る指先が必要以上に強くなってしまう。それもあってか前のめりになりかけてバイクは止まった。振り返ると彼女の指先は海へと向けられている。その白い指先の向こう側には砂浜だ。真っ黒な海辺には淡く青白い光が点在していた。

(5話へ)

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