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「溺愛する猫耳魔法少女とリアルで会ったら、イケメンだったのだが」 10話

#創作大賞2023

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第10話

side 白枝燕


 ぽたりと、髪の先から雫がワンピースへと落ちた。
 薄灰色のシミが大きく拡がっていく。

 「詐欺師か……、まあそうだよね。詐欺みたいなものだよね。
 でもこういう生き方しかできないの……那央」

 物心ついた時からそうだった。

 「燕ちゃんは、天使みたいね」
 「目も大きくて髪もツヤツヤ。本当にお人形さんだわ」
 「きっと将来は素敵なお嫁さんになるわね」

 私はいつも母が仕立てる人形と同じ服を着ていた。
 ピンクのふわふわドレスに赤い靴。
 頭には大きなリボンをつけて、髪は常に可愛らしいアレンジが施されている。
 
 「燕はピンクがとっても似合うわね。今日はこのドレスにしましょう」

 そういって、母はクローゼットの中からオーガーンジーのドレスを取り出し私へと着せる。
 
 「ミミちゃんも同じ服?」

 幼い私は母に尋ねる。
 母が作る人形のミミはいつも私が着る服と同じものを着ている。
 それは魔法のようにいつも同じタイミングでドレスが二着現れて、私はミミといつも一緒の服を着ることになるのだ。

 「そうよ。あなたはミミのモデルさんだから、あなたに似合う服はミミも似合うの」

 そうやって母は幸せそうに微笑んだ。
 その微笑みを絶やさない限り、母はいつも機嫌がよかった。
 だから、いくつになっても私は母の人形であった。

 本当はピンクのコートよりも黒革のジャンバーが着たかった。
 スニーカーが履きたくても、運動する時以外は革のパンプスだった。
 ジーンズが履きたくても、許されなかった。
 髪を結ばれるのが痛くて泣きじゃくっても、母はやめてくれなかった。
 
 「どうして私のいうことがきけないの?
 あなたに似合う服は私が一番わかってるの!
 あなたも、私を信じられないの?」
 
 女の子らしい子じゃない私は全否定された。
 
 ——だから羨ましかった。
 
 男の子と一緒に泥んこになって遊ぶ子たちが。
 水鉄砲を持ってはしゃぐ少年たちが。
 ジャングルジムの上から、堂々と飛び降りる彼らが。
 妬ましかった。 

 ジャングルジムに登ってはジャンプをする彼らを羨望の眼差しで見ていたら、
 「君もおいで」と、1人の少年に声をかけられた。
 
 「私もできる?」と尋ねたら、「やってみないとわからないよ」と少年が誘うように言った。
 
 やりたかった。飛んでみたかった。
 彼らみたいにキラキラした世界に飛び立ちたかった。

 私も彼らのようになりたくて、ジャンプした。飛べると思った。
 彼らみたいにできた……はずだった。

*    1    *



 「オタクの息子さんの真似をうちの娘がしたせいで怪我したんですよ。この子は女の子なんです。娘の身体に傷でも残ったら、どう責任を取ってくれるんです?」
 
 ひどい剣幕で母は、飛ぶことを教えてくれた少年の母親を怒鳴りつけた。少年の母親はずっと母に頭を下げていた。
 女の子の身体に傷でもつけたら、それはとんでもないことになるのだ。理不尽な理由を振り翳して、何もしていない大人に頭を下げさせるほどに、それはそれは恐ろしいことなのだ。と。

 そんな母の価値観に歯軋りを覚えた。私の身体は女として生まれた時から母のもの。自分で傷つけることもかなわない。彼女のお人形だった。

 そう思ったら耐え難いほどの悔しさが込み上げてきて、怒りを自分ではなく外へ向けて放った。私を誘った少年を激しく憎んだ。どうして私は女なんだろう、なぜあの男の子と母親を取り替えられないのだろう。
 と理不尽な想いを抱いて、少年を憎んだ。

 そして私は、同じ過ちが起きないよう、危険な遊びをする少年たちのいない場所へと囲い込まれた。大学まで女子しかいない幼稚園に転園することになった、そこから先は地獄でしかなかった。
 
 女らしさを振りかざす教育の沼で溺れ、淑女としての仕草や価値観を洗脳のごとく叩き込まれた。そこでは自分らしさ、多面性、個性なんてどうでもよかった。
 将来、素敵な伴侶に選ばれる女になることこそが、この学校の正だった。だから私は演じた。

 男の都合だけのために作られた女を演じていれば、母に許されたから。私は息を顰め、女の社会に染まっていく自分を俯瞰で眺めながら、少年が大志を抱くように、母にも誰にも気づかれない場所で自分らしい場所を求め続けた。いつかこの女だらけの世界から抜け出して、自分らしくいられる場所に辿り着けると信じて。

 そして、出会ったのがM M O R P G。
 ゲームの世界だった。ここでは何にでもなれる。
 魔法使いにも勇者にも……男にも。

 どんな姿をしてもいい、剣を振り翳していい。
 汚い言葉を発し、叫んだっていい。
 ゲームの中ではリアルの白枝燕は関係ない。

 ——やっと息ができた。
 ここしかなかった、自分が自分らしくいられる場所が。
 だから、誰にも奪われたくない。壊したくない、絶対に。

*    2    *



 ポタリとテーブルに黄金の滴が落ちて跳ねた。一つため息をつき、テーブルに広がったビールを拭き取ろうと、おしぼりで拭いていると、知らない男性たちがテーブルを拭いてくれた。

 「大変だ、ずぶ濡れじゃん」
 「店員さーん。おしぼりもっとー」
 「大丈夫? こっちの席に避難しなよ」

 などと、こちらの様子を心配をする言葉をかけてくれる。彼らは私への同情心での対応で、きっと親切な人たちなのだろう。胸元を濡らしてしまったせいでブラウスが肌に張り付いている。おしぼりで拭っていると、先ほどまで那央が座っていた席に、誰かが腰掛けた。
 
 「ほーんと、ひどい彼氏だね。君のこと悪女みたいに言ってさ」

 男が箸を割る。シルクのような濡れひかるシャツのボタンを2つほど外して胸をはだけさせている。そして当然のように、テーブルの上にあっただし巻き卵を一つ摘んで、口の中に放り込んだ。

 「もうさ、その彼氏は忘れて、新しい恋をした方がいいんじゃね?」

と、箸先を持ち上げて、男が黄色い卵焼きを咀嚼している。その男の遠慮なく他人のエリアへ入り込んで来る図々しさに恐怖を抱く。視線を上げると、だんだん男性の層が厚くなってきていることに気づいた。人々の騒めきに、飲み込まれていく。

 テーブルにおしぼりを置こうと手を伸ばすと、目の前の男に手首を掴まれた。金の太いブレスレットとスティール製の腕時計がじゃらっと動く。

 「とりあえず、その濡れた服、乾かせる場所にでも行かない?」

 これは親切心なのだろうか?
 席の周りを囲む男たちは、みな揃ったような笑顔を浮かべている。その笑顔がぐしゃっと歪んで壊れていく未来が見えた気がした。男の手を振り解こうとしたが、強く掴まれてしまい、身動きすら取れない。恐怖の方が優ってしまい、「結構です」とうまく言えない。

 “助けて”と声を出したとして、もうここには、自分を守ってくれる人はいないのだ。

 「すみません。お客様方、他のお客様の邪魔になりますので、ご自分の席に戻っていただけますか?」

と、よく通る男の声が響いた。

 「お客さま。この席は清掃いたしますので、他の席に移動していただいてもよろしいでしょうか?」

 頭に緑色のバンダナを巻いた店員が淡々と指示をする。「は、はい」と、頷くと、パッと手を男は離した。「また後でね」と言うなり、男たちはその場から離れていった。弾かれるように、席から立ち上がりコートを掴む。これ以上ここに止まるのは危険だ。

 「あ、あのもう帰るので、お会計を」

と告げると、店員が「では、レジ前で頂戴します」と、誘うように入り口へと進んでいった。すぐにでもその場を離れたくて、店員の後を追う。お会計を終えた後、下駄箱で、靴箱の鍵がないことに気づいた。

 「どうしましたか?」

と、レジの前に立つ先ほどの店員が尋ねた。

 「鍵を席に置いてきたみたいです」

と、廊下を戻ろうとすると、店員が戻ろうとするのを手で止めた。

 「僕が見てきますので。お客さまは、そちらでお待ちください」

と言われて、石畳の玄関先で店員を待った。

 しばらくすると、

 「あれ?さっきの子じゃね?」

 という声がかかった。先ほど席にやってきた男たちだ。強い力で手を掴まれたことを思い出し、後ずさった。

 「どうしたんですかー? あ、もしかして俺たちのこと待ってたり?」

 その言葉に首を振った。が、男たちは、どんどんと距離を縮めてくる。

 「こ、来ないでください!」

 端によると、

 「はーい、壁どーーーん!!」

と男が両腕を突き出して壁が揺れるほど強く叩いた。

 「男に酒ぶっかけられたんだろ? 一体何があったか知らんけどさ。俺たちが……慰めてあげるよ?」

 男に顎先を掴まれた。男の酒とタバコの混じった吐息が顔に拭きかかる。

(第11話へ続く)

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