余命14日間の彼女と、青信号を渡れないボク *5話*
海へと顔を向ける。
「ああ、たぶん、海ほたる」
「海ほたる?」
「そう。海の中に住む甲殻類。夜になると砂浜から出てきてさ、海に入るの。
波に反応して光ってるんだと思う。見たこと無い?」
この町の常識を、観光に来た彼女が知らないのも無理は無い。
「ありません。全く」
背後に居る彼女に声を掛けた。
「見たい?」
「はい!!」
元気のいい返事が戻ってくる。バイクスタンドを下ろして、海岸沿いのガードレールのそばへバイクを止める。ガードレールを飛び越えて、テトラポッドが防壁となっている場所へと足を踏み入れた。暗い海と灰色のコンクリートの境目は分かりにくい。
「足元、気をつけて」
彼女の細い手を握りながら、先へと進んだ。高く積み上げられたテトラポッドは、一歩足を滑らせれば、数メートルの高さから下へと嵌りこむことだってある。
月明かりを頼りに一歩ずつ進んだ。
ようやく潮が緩やかに漂う波打ち際へ辿り着いた。青みがかった淡い光が、潮が引く度に浮き上がる。潮が引いたあとの波打ち際を覗いてみると、砂粒ほど小さな海ほたるが、縦横無尽に水中で蒼央白い光の線を描いていた。
「この青い光の正体ってなんですか?」
「ああこれはね」
波打ち際にしゃがみこみ、光を眺める彼女の隣で、潮の中に両手を差し入れる。海の水を砂ごと、掬うと、青白い光が更に強くなる。さらさらと流れ落ちる砂の中からぼんやりと光らせた。暫くそのままにしてやると、こちらの様子を窺うようにしてふっと消え、揺らすとまた輝き始めた。
「この青い光を出してるのが、海ほたる」
「うわあ~素敵」
彼女の感嘆の言葉に、ほくそ笑んだ。其の様子を見て、同じように彼女も手を浸す。掬い上げた水の中で光が膨らんだ。神秘的な姿を呆けたように鼻先を近づけて見つめる彼女の顔に、青い光りが反射している。
「綺麗....」
そう呟いた彼女の唇の直ぐ側まで、顔を近づけた。
「きゃ」
突然近づいた僕に愕いた志歩ちゃんが、背を逸らす。その驚きように「ごめん!」と、慌てて謝罪を載せた。
——今、何しようとしてた?
彼女に、キスしようとしたのか、僕。
「ほっぺたが、青く光ってたよ?」
自分の邪すぎる行動を隠そうと、上ずった声で、適当な嘘を言う。彼女は僕の話が事実か確認するように、濡れた手で頬に撫でた。途端に青い蛍光塗料を塗ったかのように触れた場所が濡れ光る。
「あ、ホントだ」と、愕いて彼女が笑った。その姿に思わず噴出した僕の横顔を睨むように見つめた。怒るのかと思いきや真剣な様子で、「身体中に塗ったら、青くなりますか?」と尋ねた。
「……まじですか?」冗談交じりに答えた僕に、新しい遊びを見つけた子供のような顔をして「やってみたい」というと、海の中へと白い脚を進ませた。白いワンピースの裾が消えていき、どんどんと、深い場所へと進んでいく。茫然と眺めていた僕は彼女がどんどん沖へと向かっていることに気づいた。
「志歩ちゃん!」大声で彼女の名前を呼んだ。けれども、彼女の歩みは止まらない。波は彼女の胸の辺りまで近づいている。そんなところに、海ほたるはいない。ただ月を映す黒い海があるだけだ。
「危ないよ!」
波打ち際から水の中へと入った。急いで彼女を追いかけるが、水の負荷のせいで上手く前へと進めない。海に拒まれているかのようで、気持ちだけが逸る。
「志歩ちゃん!!」
遠くの黒い影に向かって、彼女の名前を叫んだ瞬間、大きな波が彼女を呑み込んだ。そして月が浮かぶ静かな海へと変わった。
彼女の姿が海に飲み込まれた途端、あずみの海の伝説を思い出した。地元の人間は、決して夜の海に入らない。
なぜならこの海は観音様に沈められているだけで本当の姿は荒れ狂う海だからだ。過去の歴史では、いつだってこの街を呑み込んできた。だから観音様が闇に消える時、海は僕らに牙を剥く。
海水を掻き分けた先、彼女がいたはずの場所には、もう姿はなかった。息を大きく吸い込み、水面を蹴った。深く潜ると全ての音が消えた。
海の中で見えるのは、泡ぶくだけだった。ほんの一瞬でいい。灰色に濁る海へと融けた彼女の身体の一部だけでいいから触れられれば、浮かび上がってくれさえすれば。
祈る思いで、波の間を縫うようにして何度も潜った。波が重なる狭間で、指先に何かが触れた。か細い感触を手繰り寄せようと、波に引っ張られる体を無理やり前へと押し出す。ほんの少し伸ばせた指先に、強く握り返す反応があった。両手で掴み、力任せに一気に引き上げた。
「ぶはぁっ」
ようやく水の中から開放され、空っぽの肺に新鮮な空気を取り込んだ。僕の腕に抱きかかえられた彼女が、塩水を飲み込んだのか、咳き込んでいる。ひゅうひゅうと鳴く肺から出る呼吸音は苦し気だ。
「何、考えてんだよ。危ないだろうが」
人が死ぬ瞬間を見てしまうことを想像してしまったせいで、鼻の奥がツンと痛むほどに感情が昂っていた。怒りだけじゃ足りなくて、つい声までも荒ぶってしまう。
「……死んだと、思った?」
含み笑いを浮かべて彼女が呟いた。此方の焦りなど全く届いていない彼女のようずに苛立ちがつのった。
「ああ、思ったよ。こっちが心臓止まりそうなほど、びびったよ」
「止まりそうだったの? 心臓」
そういうと彼女は僕の胸に手を置いた。まるで心臓の音を確認するように手のひらで、僕の心臓の音を確認している。
「どうして追いかけたの?他人なのに」
僕の行動を彼女は不思議がる。
どうして心配しているのか、まるで分かってないようだ。
「当たり前だろ。夜の海は危険なんだ。ほんの些細なことで、危ない目に遭うんだよ。それに君は他人じゃない。君の前は志歩ちゃんで、14日後に死ぬんだったら、今、死ぬのはダメだ」
自分の目の前で、一つの命が消えたとなったら、この手が届かなかったことを、きっと一生後悔するだろう。僕の真剣な様子を見て、俯いた彼女が僕の胸に頭のてっぺんを押し付けた。波音で消え入りそうな小さな声で「口説いてくれませんか?」と、真剣な表情で彼女は告げた。
謝罪の言葉を口にしたのかと思いきや何を言ったのかがわからず、「なんなのそれ?」と、苛立ちを抑えつつ、尋ね直した。
「お願い、私の彼氏になってください」
潤んだ瞳が僕に向けられて、其の真剣さに戸惑った。
「今だけでいい。14日間だけでいい。私が18歳になるまで、蒼央さんの彼女になりたい」
真剣な表情だったが、冗談だとしか思えない。シャークテイルでのように、ジョークで流せばいい。薄く笑った僕を、じっと見つめているだけで、彼女は笑おうとしない。なら、彼女は、僕には予想もしなかったような、この地に、求めるものがあったのだろうか。
「お願い......」
握られた手のひらを見つめた。髪から滴り落ちる雫。瞼を閉じ、顎を引き上げたまま、僕の行く末を待っている。細い首筋を流れる道筋に視線を落とした。
月明かりの中でぼんやりと光るのは、海蛍なんかじゃ現せない程に、甘美な世界へと誘う彼女の姿。其の光に誘われるように、色を失くした唇が僕へと近づいてくる。吸い込まれそうになり、咄嗟に彼女から離れた。
「お、大人を揶揄うんじゃないって……。さ、そろそろ駅に行こう」
「無いんです」
「え? ……ない?」
「帰る場所……無いんです」
ペンション『ゴーストシャーク』へと戻ってくると、1Fのカフェの閉店作業中だった海斗がずぶ濡れの僕らを見るなり、幽霊を見たときのような叫び声を上げた。
「のわー!なに? なんで? なんでずぶ濡れなわけ」
それはそうだ。無事に彼女を駅まで送ると誓ったのに、舌の根も乾かないうちに出戻ったのだ。さらに二人揃ってずぶ濡れで、潮の匂いをぷんぷんとさせているときている。
「ごめん、この子も泊められないかな」
床に水溜りを作る彼女へと、ユタさんがバスタオルを取って近づいてきた。彼女はタオルを受け取ると、ふわふわのタオルに顔を突っ込んだ。幸せそうに目を細める彼女を見て、なんだか捨て猫でも拾った気分になる。
捨て猫。そうだ、帰る場所がない彼女は捨て猫という言葉がしっくりくる。家出少女なんて東京でゴマンといるが、こんな辺鄙な土地でこんなふうに保護するとは。海斗がカウンター裏から戻ってきた。
「この時間に海に入るとか、正気?」
「あー。その海ほたるが見たくてさ」と誤魔化した。
流石に先ほど彼女から聞いた理由をユタさんにシェアできない。正直に言えば、逃げ出したい。けれど、あんな大金を持ったJ Kを1人放置するのは、流石にダメだろ。
「とりあえず、お風呂か。部屋まで案内する」
ユタさんと共に彼女が2階へと上がっていった。二人の足音が遠ざかるなり、海斗が口を開く。
「お前なあ、この時間に海入るとかほんとに地元民か? てゆうか、あの子は未成年だからな! 」
「わかってるわ! てか、まあ、いろいろ訳ありみたいだからさ」
「やっぱ、あの100万はやばい金なのか?」
物騒な妄想が飛び出した。あの清純そうな少女に限ってそれはない。とは思いたいが、彼女の不思議な発言を思うと、全くありえない。とも言い切れない。彼女は一体誰なのか、なぜ現れたのか。わからないことだらけだ。
「最近の若者は何をしでかすか、わかんないもんなー。我が家でどんぱちとか、流血沙汰とか、そういうのだけは勘弁な?」
海の中で見せた志歩の表情を思い出した。悲しんでいるとも楽しんでいるとも見える表情。その瞳の奥にある暗い影を見た僕は、腹の下を冷たい手で撫でられたかのようにゾワる。
「だったら追い出す?」
僕の質問に海斗は眉根を寄せて泣きそうな顔になった。
翌日から志歩ちゃんは店で働くようになった。
白の半袖のブラウスに黒のタイトスカート、糊のついたギャルソンエプロンを腰にキュッと巻いている。スタッフが夏を満喫した格好をする中、1人だけレトロな喫茶店の雰囲気を醸し出している。
「え、アロハシャツとかなかったの?」
「アロハよりこっちが着たいって言われてさー。でも良くねえ? さすが美少女何着ても似合うわー」
「いらっしゃいませ。2名様ですね」
「お暑いなか、お越しくださりありがとうございます」
「オーダー入りました、ランチセット2つとアイスコーヒー2つお願いします」
「いいじゃんいいじゃん、接客丁寧で、笑顔もバッチリ。しかも美少女!はなまるじゃん!」
「ちゃんと時給払うんだろうな?」
「それがさ、100万あげるから、ここにしばらくおいてください!アルバイトでもなんでもします!って頼まれちゃってさー」
と海斗が目配せをする。
「悪いな、100万円、僕がもらっちゃった」
「はあ?なんだよそれー!」
つまり彼女の持つ100万円の行方は海斗に渡ったわけだ。さらにバイトもさせるとか、こいつはなかなかの詐欺師である。
「だから、これはバイトじゃなくて、職業体験ってやつだから」
「お前なー。それタダ働きさせるってことだろ?しかも100万もらって、うわー信じらんねえ」
だったら僕が先に貰えばよかった。首に腕を回されて力一杯引き寄せられた。
「まあ、蒼央くんにも少しは還元してやるよ。で、蒼央、出前頼める?外にバイクあるからさ」
「えーこの暑い中?」
還元とは? 海斗の中で僕をこき使うことが還元につながっているのか?
「サクッと行ってきてよ、サクッっとさ」
「無理、溶ける」
「志歩ちゃーん、ちょっとー」
「はーい、オーナーなんでしょうか?」
「あのね、ちょっと、お外の職業体験してみない?」
「はい! やりたいです!」
と、何も知らない彼女は目をキラキラとさせた。
「わーかった! わかった。僕が、行くから!」
少女の眩い笑顔が1時間後には、波打ち際に打ち上げられた魚のようになるのを想像してしまい、僕が手を挙げた。志歩ちゃんは仕事を奪った僕を恨めしげに見つめたが、見てないことにしてベースボールキャップを深く被った。
「サービスの水。お客さんに渡せよ」
と、保冷剤がわりに”ゴースト水”とラベルに書かれた、凍った500mlペットボトルを手渡された。冷やしラーメンの簡易容器の器と一緒に正方形の保冷バッグの中へ放り込む。バッグのストラップを肩にかけた。不織布の生地の裏側に張り付くアルミニウムがガサガサと音を立て耳障りな音をさせる。よしっと、気合を入れて、真夏の世界へと足を踏み出した。
バイクが完全に止まったのは、坂を半分ほど登ったところだった。
「嘘だろ? マジかよ!」
「動けよ!」
うんともすんとも言わないバイクを炎天下の中押し続ける。首に巻いたタオルは店を出た時は、古びた繊維がごわついて肌を削るぐらいに硬かったが、今は、茹ですぎた乾麺みたいに肌に張り付いている。重くてべたっとして気持ち悪い。店の名前が背中にプリントされた紺色のTシャツは肌と同化してた。
緩いジーンズと太ももの間を一筋の温い水が急ぎ足で流れていく。むずがゆさをどうにかしたくても、僕の体重よりも重いバイク押しているため、止める術はなかった。
この炎天下の中、バイクのプラグがいかれたせいで、傾斜のきつく長い上り坂を押し続けている。海の家シャーク・テイルに出前を頼んできた、丘の上平和病院の外科病棟へ辿り着くべき時間は、とっくに過ぎていた。
注文の品は、冷やしチャーシューメン。
どんぶりからはみ出るほど大きな氷がどんと一つ浮かんでいるのが、店のウリだ。が、店を出てから30分近く経っているのだから、氷は溶けきり、器は外気温と同じ温もりになっているだろうことは予想がつく。コンクリートの凹みに車輪が落ちるたびに溢れ出したスープがびちゃびちゃと鳴って煩かった。
歯を食いしばりながら急坂を押す横を、緑色の路線バスが追い抜いていった。排気ガス臭い熱風を振りまき、僕の感情を煽る。頭の上で、油蝉が一斉に啼き出した。
「お前ら、うるせえぞ」
八つ当たりをしてみたが、直ぐに怒鳴ったことを後悔した。喉からは、ひゅうひゅうと草笛みたいな声しか出なかった。身体の渇きは限界だ。無い唾を飲み込んで、眼前に聳える急坂を、睨みつけた。まだ病院のてっぺんさえも見えない。
「畜生、ついてねえ」
出した声は蟻の声。誰にも届かない悲鳴を汗を垂らして叫んでる。
注文の品を、持って行ったものの、麺が溢れた器は、鉄製の煮え立つオカモチの中から逃げようと鍋のふちから鋏を出してぶら下がるザリガニのようだった。さながら断末魔が聞こえてきそうな器は、注文をした医師も僕にも記憶に残る恐ろしい姿となった。当然、生温い『冷やしラーメン』のお代は貰えず。「器持って、帰ってくれる?」という、
「せめて水だけでも」とサービスの水を差し出したが見向きもされずに、医者は部屋から出ていった。
予想以上に冷たい医者の言葉に涙を堪えた。
ついで程度に、親父の病室へと向かうと、姉が病室の扉をタイミングよく開けた。
「あれ?蒼央、何してんの?」
「ちょっと酔っただけ。今さ、海斗のとこ手伝ってるから」
「ああ、ユタさんとこ。ふーん。ちゃんと言いつけ守ってこっちにいるのは偉いけど。なんで家に寝泊まりしないのよ」
親父がいないからといって、家に帰れるわけじゃない。
これは僕なりのプライドの問題だ。
「じゃ、僕バイト中だから」
「あ、待って! 蒼央。お父さんの顔見て行かない?」
「……いい。生きてんならそれで」
「あんたってさ、いっつも自分ばっかで、周り見れてないよね」
姉は心のシャッターをがしゃんと落とすように、瞼を伏せた。肩を怒らせて病室の中へと入っていく。姉の遺した言葉に反論したかったが、そうかもしれないとも一瞬思ってしまった。
自分の都合でYoutube配信を続け、辞めていったメンバーの気持ちを考えることもなく、怒りをぶつけてしまった。悔しいけど。姉のいう通りってことだ。
「蒼央ちゃん。こりゃプラグだけじゃないわ」
「え?まじっすか?」
バイク屋の店長である鮫山さんが、イカレタバイクを指摘する。鮫山さんは、40代過ぎのおじさんで、顎髭とモミアゲが繋がっている。190センチ近くあり、おまけに、ガタイもいいから鮫っていうより熊だ。その割に温厚な性格なので、凶暴な人食いホオジロザメではなくて、深海の生態系では頂点と言われる図体の大きなオンデンザメそのものという感じだ。
「ほら見てみ」と、鮫山さんは、身体を折り曲げてバイクの下を覗きこんだ。ビーチサンダルから、バカでかい親指が砂だらけの地面に付いている。
鮫山さんの視線と同じになるように隣にしゃがみ込んだ。エンジン内部に、黒光りし焦げた跡が見えた。その姿を見て、バーベキュー後の木炭の燃えカスを想い出した。
「エンジンブロウだよ。ああ~焼けちゃってるよ。エンジン交換するんだったら、結構な金額するからさ、中古バイク買ったほうが安上がりじゃないか。これは、廃車かなぁ」
バイクの状況を説明すると、海斗が誰よりも困った顔をした。
「えぇ。明日からどうすんの?」
「出前は、僕のカブを出すよ」
出前用に、大分古びたスーパーカブの貸し出しを受けたが、問題は仕事中だけじゃない。
「バイク無いと、こんな田舎じゃ生きていけないですよ」
見渡す限り海と砂浜しかないようなこの土地で、何処に行くにしても足になる物は必須だ。デートするにせよ、足はいる。
「自転車貸し出そうか?」
隣でユタさんが、網焼きの貝をトングで挟みながら提案してくれた。「最悪それでもいいです」と答える。今日のユタさんは、ランニングトップということもあり肌の露出が多いせいか周りにいつも以上に女子に囲まれている。
水着にパーカーを羽織った二人組。チューブトップタイプのバンドゥビキニ。ゴールドの星のタトゥシールが左胸に張り付いている。ユタさんへと視線を向け他ままの無防備な女子の胸元をじとっと眺めた後、口を開いた。
「デートで使えるやつがいいです」
「ま、まさか志歩ちゃんを!」と海斗が即反応する。
奥で注文をとっている彼女に聞こえないように、海斗のそばへと慌ててよった。だが海斗は声のトーンを抑えることなく、身体をクネクネとさせる。
「とか言って、あわよくばと考えてねえ?」
「勝手に想像するなって。女子は他にもいるだろが」
そう夏だ。海の家には女子がたくさんくるし、開放的なムードから仲良くなることだって、出会いだってあるさ。
「分かってねえな。ここにいる女子は全員ユタさん狙いだ」
まあ薄々感じてはいたが、はっきりと言われ最後の自信が消えてしまう。
正直に言えば少しばかり甘い体験にありつけると想像した。夏モードのビーチは開放的で、そこらじゅうに半裸な女性がわちゃわちゃしていて、気分を盛り上げるBGMが脳を揺らし、砂浜の上にはいろんな欲望が垂れ流されている。
だが僕の周りにあるのは汗だくなものばかり。ばちばちなイケメンがそばにいると、そこそこな僕らは水着の美女たちの目には映りもしないらしい。だから、せめて車やバイクなんかの”アシ”があれば少しは格好がつくというものなのだが……。
「チャリ、鍵いるなら貸すからいつでも言えよ」
と優しい声をかける生粋の沼らせ男子に向かい、心の中で負け犬の遠吠えをあげた。
仕事を終えて、ようやく布団へと潜り込めるようになった時はもう23時を回っていた。疲労感が身体の中心にどしりと腰を下ろしている。さっさと寝てしまおうと、布団を畳の上に敷いていると、扉をノックする音がした。扉を開けるとそこに立っているのは志歩ちゃんだった。
(6話へ)
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